3 無自覚の口説き
「……へ?」
ぽかんとした拍子に伊達眼鏡がズレる。
今、何を言われたのだろう。咄嗟に思考が追いつかない。
「どんな話題にも興味を持ってついてきてくれるから、話していて楽しい。ご令嬢方も笑顔で聞いてはくれるが、興味がないのが丸わかりだからな」
「えっ、と……」
「それに、クリスは真面目で落ち着いているし、気遣いが細やかで雰囲気も柔らかい」
「あの……」
「素直で、そのくせ意見を言うときには俺に対しても遠慮がないところや、負けず嫌いで努力家なところも好ましいな」
「……」
「殿下~、お気に入りなのはわかりますけど、クリストファー君を口説くのはそのくらいにしといてくださいよ」
笑いを含んだ声に、クリスティーナは我に返った。
のんびりと口を挟んだのは、執務室内で書類仕事をしていた筆頭補佐官エドウィンである。
エドウィンはバークリー侯爵家の嫡男にしてジェラルドの乳兄弟。王太子の右腕と呼ばれる存在だ。
(か、顔が熱い……)
クリスティーナは顔に熱が集まっていることに気づき、ズレた眼鏡を直すふりをしてさりげなく手で顔を隠した。
「別に口説いたつもりはないが? 事実を言っただけだ」
「あーあー、無自覚とは質が悪いですねぇ。殿下って、ほんと人たらしなんですから。ほら、クリストファー君が困ってるじゃないですか」
「……」
目を伏せていても、ジェラルドの視線を感じてしまう。
「すまん、困らせてしまったか」
案じるような声音に、クリスティーナはうつむいたまま頭を左右に振った。
「いえ、あの、光栄です、とても……」
ちらりと目だけ上げて見ると、ジェラルドが嬉しそうに目を細めた。
「そうか、良かった。クリスには、長く俺の傍で働いてもらいたいと思っているからな」
「は、はい……!」
(す、好……尊すぎてツラい……!)
自身を見つめるジェラルドの笑顔があまりに眩しくて。クリスティーナは再び顔を赤くしてうつむいた。
「ところで殿下、あちらの方はいかがですか?」
エドウィンの問いかけに、ジェラルドは途端に渋い顔になった。
「残念ながらあまり手応えはないな。男の側からの反発は当然に予想していたが、女性達がこれほどまでに消極的とは想定外だった」
多忙なジェラルドが候補者全員とのお茶会開催を決めたのには、実は理由があった。
『年の近いご令嬢方とじっくり話をする良い機会だと思うんだ。公爵家や侯爵家の令嬢とは面識はあるが挨拶を交わす程度だし、子爵家や男爵家となると会ったこともない令嬢が多いしな』
そう話すジェラルドは、王太子として一つの目標を持っている。
それは、女性にも文官への門戸を開くこと。
補佐官になって間もない頃にその話をジェラルドから聞かされたとき、クリスティーナは感激と興奮で震えた。
ベッドに潜りこんでこっそり悔し涙を流した十歳の自分に教えてあげたかった。今すぐには無理でも、いつか素敵な王子様が夢を叶えてくれるかもしれないよ、と。
聞けばジェラルドは、十年も前からその目標を抱いていたのだという。十年前といえばジェラルドはわずか十歳のはずだ。
『……古い友人との約束でね』
そう言ったジェラルドは見たことのない表情をしていて、その『友人』がジェラルドにとって特別な存在なのだということが察せられた。
その目標実現のために同年代の令嬢達と意見を交わし、あわよくば任官に関心を持つ令嬢を発掘したいというのがジェラルドの目論見なのだ。
だが、今のところうまく運んではいない様子だった。
「一人くらい任官に関心を持つ者がいるかと思ったが……」
「上位貴族のご令嬢ともなれば、致し方ない気も……」
公爵家や侯爵家のお嬢様達は、自ら働くことなど考えたこともないに違いない。
王太子が相手とあって、明確に反対意見を口にする者はいなかったが、一部の者が遠まわしに消極意見を述べたほか、ほとんどの者は「思いもよらないことを聞いた」というような反応だった。
「子爵家や男爵家の方々なら、もう少し反応は違うと思いますよ」
「子爵家……。そうだ、クリスの姉君はどうだろうか?」
「えっ、あっ、姉ですか?」
突然、自分のことが話題にのぼり、クリスティーナの心臓がドキリと跳ねる。
「クリスを推薦したベケット氏から、クリスティーナ嬢もクリスに負けぬほど優秀だと聞いている。文官も問題なく務まると思うのだが」
ベケット先生がそんなふうに評価してくれたことも、ジェラルドが文官にと期待してくれていることも、クリスティーナはたまらなく嬉しく感じる。
(子どもの頃の夢を叶えるチャンス、だけど……)
ジェラルドの期待に応えることはできない。
「その、残念ですが姉は……」
「文官の仕事には関心がない?」
「いえ、姉本人はむしろ希望すると思います。ただ……」
(まさか、クリスティーナは弟の替え玉ですでに出仕していますので、なんて言うわけにはいかない……)
それに、クリスティーナが文官になれない理由は他にもあった。
「姉の婚約者がそれを許さないと思うんです……」
クリスティーナには婚約者がいる。
フィーラー伯爵家の嫡男ドミニクだ。
半年前、夜会でクリスティーナを見初めたと言って、先方から婚約の打診があった。
ドミニクは社交界で浮名を流し、婚約とその解消をすでに四回も繰り返している男だ。はっきり言って事故物件である。
断りたかったが格上の伯爵家相手にそうもいかず、クリスティーナはドミニクの五人目の婚約者となった。
ドミニクはクリスティーナに、外見の美しさと従順さのみを求める。
クリスティーナが男性と対等に話をしようとしたり、難しい本を読んでいるだけで嫌みを言ってくるのだ。そんなドミニクに、文官として王宮で働きたいなどと言えばどんな反応が返ってくるか、試みるまでもなかった。
「婚約者……フィーラー伯爵家のドミニク殿だったか」
クリスティーナの婚約者まで把握しているとは思わず、驚いて見返す。その意図を正確に察したらしく、ジェラルドはうなずいた。
「クリスに補佐官を打診する際に、親族関係は一通り確認させてもらっているからな。……しかし、そうか、ドミニク殿か。彼は……いや、やめておこう」
ジェラルドは眉根を寄せて何か言いかけたが、すぐに小さく首を振って口を噤んだ。
どうやら社交界でのドミニクの良くない噂は、ジェラルドの耳にも届いているらしい。
「それにしても惜しいことだな。幼い頃からベケット氏に師事して一緒に勉強してきたのだろう? 一度会ってみたいものだな、クリスティーナ嬢に」
(今まさに殿下の目の前にいます……)
などと言うわけにもいかず。
「あ、その、光栄です……」
もごもごと答えてクリスティーナはそっと目を伏せた。
気まずさはあるけれど、それ以上にジェラルドが「クリスティーナ」に関心を持ってくれたことがたまらなく嬉しい。本来の自分、「クリスティーナ」としてジェラルドと会う機会があればどんなに素敵だろうと思う。
(だけど、クリスティーナの姿で殿下に会うのは絶対に避けるべきだわ。万が一にも替え玉だと気付かれないように……)
幸い、しがない子爵家の娘が王太子殿下にお目にかかる機会などそうそうあるものではない。
それにクリスティーナは補佐官としてジェラルドの予定を把握している。
鉢合わせしないように立ち回るのは難しいことではない。
そう、思っていたのだが――――。