電子書籍化記念SS 王太子の筆頭補佐官
本編第5話のお茶会の、翌日の出来事です。
筆頭補佐官エドウィン視点になります。
「あの、エドウィン先輩、少しよろしいでしょうか……?」
クリストファー・エイベルに声をかけられたのは、エドウィンが書類の作成を終え、ペンを置いて顔を上げたタイミングだった。どうやら仕事が一段落つくのを待ち構えていたらしい。
王太子ジェラルドと他の補佐官達は全員出払っており、執務室にはエドウィンとクリストファーの二人しかいない。クリストファーは、緊張の面持ちでキョロキョロと室内を見回してから口を開いた。
「実は、殿下のことでご相談があるのですが……」
「相談、ですか。もちろん構いませんよ。私でお役に立てるかどうかは、お聞きしてみないとわかりませんが」
にこやかにそう答えながら、エドウィンは内心で「おや?」と首を傾げた。
(内密の相談、か。それも、これほど緊張した様子で。もしや、例の件と関係が……?)
エドウィンが即座に思い浮かべたのは、目の前の華奢な美少年が抱える重大な秘密のことだ。
新人補佐官クリストファー・エイベルの正体が、実は男装した双子の姉クリスティーナ・エイベルであるということ。
つい最近発覚したこの秘密を知っているのは、エドウィンとジェラルドの二人だけ。そして、二人がクリストファーの正体に気づいていることを、当の本人は知らない。
(本来であれば直ちに替え玉の事実を糾弾し、クリストファー・エイベルを罷免すべきところだが……)
クリストファーの直属の上司である王太子ジェラルドは、そうはしなかった。本人には何も告げることなく、これまでどおり補佐官の仕事を続けさせている。
(いや、これまでどおりとは、少々言い難いか……)
クリストファーに特段の変化はない。
問題はジェラルドの方だ。クリストファーとの距離が、明らかに近い。何かと声をかけ、気づけば目で追っている。
先日は、見合いお茶会が急遽中止になったのをいいことに、休憩と称してクリストファーと二人でお茶会を開いていた。それも、王族専用の庭園に招き入れて。
クリストファーは気づいていないようだが、これはとんでもない特別待遇なのだ。もしもクリストファーが本来の姿――うら若きご令嬢の姿であったなら、王太子殿下の意中の令嬢としてすぐさま王宮中の噂になっていたことだろう。
(まったく。十年探し続けた初恋の相手とはいえ……)
さすがに浮かれすぎだ、とエドウィンは少々呆れている。
今のところ誰からも不審に思われていないのは、正体を知る前からクリストファーがジェラルドのお気に入りだったのと、ジェラルド自身が長年にわたり積み上げてきた信頼の賜物だろう。
(それにしても、今さら初恋の相手と再会するとは……。それもこんな形で)
ジェラルドが十年前に図書館で出会ったという少女。名前も知らないその少女を、ジェラルドが想い続けていることは知っていた。
だが正直なところを言えばエドウィンは、初恋の少女など見つからなくても構わないと考えていた。
伯爵家以上の家の令嬢の中に例の少女がいないことは、早い段階で確認が取れていた。そうすると、少女の家柄は子爵家以下だ。
王太子の結婚相手、すなわち未来の王妃に相応しいとは思えない。――本人によほど優れた資質がない限り。
ジェラルドは、エドウィンの乳兄弟としての贔屓目を抜きにしても優れた王太子だ。誠実で、責任感も強い。
これまではのらりくらりと婚約者選びを躱してきたが、国王の命に背いてまで初恋の少女に固執はしないだろうと、エドウィンは踏んでいた。候補となった令嬢達の中から最も国益にかなう者を婚約者に選び、その相手と誠実な関係を築いていくだろうと。
実際、ジェラルドは一度、初恋の少女への未練を断ち切ろうとしていた。
彼女の面影を色濃く感じさせるというクリストファー・エイベル。ジェラルドのその直感に間違いがないとすれば、初恋の少女はクリストファーの双子の姉、クリスティーナである可能性が高い。しかしクリスティーナにはすでに婚約者がいて、ジェラルドの妃候補にすることはできなかった。
クリスティーナ・エイベルが婚約者のドミニク・フィーラーと共にとある夜会に参加することを知ったエドウィンは、その情報をジェラルドに流した。初恋の少女と思われるクリスティーナとの束の間の邂逅、そして引きずり続けた初恋に区切りをつける機会を与えるために。
その夜会で、ジェラルドは初恋の少女との再会を果たした。
それでその話は終わりになるはずだった。
まさか、新人補佐官クリストファー・エイベルの正体が、その初恋の少女だとは思いもよらなかったのだ――。
そのクリストファー、もといクリスティーナは、エドウィンの前で躊躇うように何度か口を開け閉めしている。艶やかで形の良い唇も、わずかに伏せた長い睫毛も、そうと知ってみれば女性にしか見えない。
「その……僕は殿下から、婚約者選びの補佐を仰せつかっています」
「ええ、そうですね」
「お務めをしっかりと果たすために、殿下の好み、というか、性癖? を、知っておいた方がいいかと、そう思いまして」
「なるほど。それで?」
「それで、ですね。ジェラルド王太子殿下はもしかして、その……」
クリスティーナはそこで一旦言葉を切り、やがて意を決した様子で顔を上げ、まっすぐにエドウィンを見た。その神妙な面持ちに、エドウィンも自然と背筋を伸ばす。
「女性ではなく、殿方がお好きなのでしょうか!?」
「……は?」
エドウィンはぽかんと目を瞬き、それから爆笑した。
◇
「……ということが本日ありまして。いやぁ、あんなに笑ったのは久しぶりでしたよ。まさか意中の女性に男色を疑われるとはね」
思い出し笑いに口角が上がりそうになるのをこらえながら報告すると、ジェラルドは真っ赤に染まった顔を片手で覆って項垂れた。
珍しい主の姿に、ますます口の端が緩む。
「……笑うな、エド」
「おや、こらえたつもりでしたが」
「全くこらえきれてないぞ。……それで、ちゃんと否定しておいてくれたんだろうな?」
「さて、どうでしたか……」
「おい、勘弁してくれ……!」
今度は顔を青くするジェラルドに「冗談です」と笑顔で答えてから、エドウィンは表情を改めた。
「ですが気を付けて頂きませんと。彼女があんなことを言い出したのは、殿下からの好意を感じ取ってのことでしょう。浮かれるお気持ちはわかりますが、ほどほどにされませんと、他の者が不審に思いますよ。彼女の正体に勘付く者が現れるやも」
「それは困る」
「でしたら自粛なさってください。殿下の望みを叶える準備が整うまで」
「善処する……」
呻くように答えてから、ジェラルドは窺うような目でエドウィンを見た。
「……エドは反対しないんだな、クリスを妃にと望むことを。本当はあの夜会で、区切りをつけさせるつもりだったんだろう?」
おや、とエドウィンは内心で目を瞠る。言葉にも態度に出したつもりはなかったが、エドウィンの意図をジェラルドは正確に察していたらしい。
ゆるりと、自然に口角が上がる。
「殿下の御心のままに。私をそれを御支えするまでです」
忠実な臣下の顔で、エドウィンは答える。
もしもクリスティーナ・エイベルがただ愛らしいだけの少女であったなら、ジェラルドの隣に立つにふさわしくない人物であったなら、エドウィンは違う行動を取っていただろう。たとえジェラルドが望もうとも、裏で手を回しエイベル子爵家を潰してでも阻止していた。忠実な臣下とはそういうものだと、エドウィンは考えている。
(王太子妃としての資質。足りない点もあるが……)
きっとあの素直さとひたむきさで乗り越えていくだろう。そう思う程度には、エドウィンもまた、彼女のことを気に入っているのだ。
(さて、我々の望みを実現するために、いかにしてドミニク・フィーラーを排除するか……)
温厚な笑みを浮かべながら、王太子の筆頭補佐官はそんな策略を巡らせるのだった。
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