13 新たな一歩
本日2話目の更新です。
(オウタイシヒ……)
ぽかんと呆けたまま、心の中でジェラルドの言葉を反芻する。
(オウタイシヒ……王太子妃って聞こえた気がするけど、えっと、何をどう聞き間違えたの……!?)
「王太子妃、つまり俺の妃になってほしい。将来的には王妃、ということになる」
重ねて言われ、どうやら聞き間違いではなかったらしいと知る。
(待って。待って待って待って!?)
混乱した頭でどうにか考えを巡らせる。
「あの、でも、殿下はもう御心を決められた、と……」
もう半月以上も前に、父から確かにそう聞いた。ジェラルドの婚約者はとっくに内定しているはずだ。
「ああ、お前の正体に気づいた時から決めていた。ようやく求婚できるようになったのでエイベル子爵に婚約を申し入れたら、すげなく断られたのでな……往生際悪くこうして説得に来たというわけだ」
つまり、名前も聞かずに断った求婚者はジェラルドだったのだ。
(お、お父様〜〜〜!)
聞かなかった自分も悪いが、どうしてこんな大事なことを教えてくれなかったのかと、父を責めたくなる。
とはいえ、もし名前を聞いていたとしても、何かの間違いだと決めつけてしまっていたような気もしないではない。
それほどまでに、ジェラルドからの求婚は本当のこととは思えなかった。
「なぜ、私に……?」
「どうしてそんなに不思議そうな顔をするんだ? クリスが自分で言ったのではないか。俺の妃には実務能力が高くて俺を癒やしてくれる人がよい、と」
「確かに言いましたが、でも……」
「クリス以上にこの条件に合う女性はいない」
そこまで聞いて、クリスティーナはようやく腑に落ちた。
ジェラルドはとても素敵な人で、当然のように令嬢達からも大人気なのに、この年まで婚約者を定めず、浮いた話の一つも耳にしたことがない。おそらく、女性にあまり興味がないのだろう。
興味がなくても、王太子の立場で独身を貫くわけにはいかない。だから、結婚相手のことを仕事仲間として考えようとしているのではないか。実際に、先ほども王太子妃のことを「仕事」と表現していた。
クリスティーナは替え玉補佐官として、ジェラルドと一緒に仕事をした経験がある。その実績を買われての打診に違いない。
(殿下が私を選んで下さった。それだけで十分。私が殿下を想う気持ちとは違っていても、お側にいられるなら――)
王太子妃だなんて、自分には分不相応で荷が重いことは分かっている。もっと相応しい女性はたくさんいるだろう。それでも、ジェラルドが求めてくれるならその期待に応えたい。
クリスティーナは覚悟を決めた。
「殿下、このクリスティーナ・エイベル、王太子妃のお役目、謹んで――」
「待て」
お受け致します、と言いかけたのを渋い顔で止めたのは、当のジェラルドだった。
「ちょっと待ってくれクリス。どうも俺の意図が正しく伝わっていない気がしてならないんだが……いや、そうだな、すまない。俺の言葉が足りなかった。もう一度やり直させてくれ」
「えっ、と……?」
目を瞬くクリスティーナの前で、ジェラルドが片膝をついた。宝物を扱うように、そっとクリスティーナの右手を掬い取る。一心にクリスティーナを見上げるエメラルドの瞳に、見たことのない熱が灯った。
「クリス、俺はお前が好きだ。一人の女性として愛している。お前でなければ嫌なんだ。どうか一生俺の側にいて欲しい。お願いだ」
祈りを捧げるように指先に口付けを落とし、再びクリスティーナを見上げる表情は甘さの中にも切なさを帯びていて。
その顔を目にした瞬間、クリスティーナの中で何かが決壊した。
(ああ、もう、もう駄目……)
「好き……っ!」
(ひゃっ、声に出ちゃった!)
慌てて口を押さえるも、一度飛び出た言葉は戻らない。
見上げるジェラルドは、一瞬目を丸くしてから、子どものように破顔した。
立ち上がり、クリスティーナの両手をぎゅっと握る。顔が近い。
「ああクリス、本当に? 幻聴じゃないよな? 頼む、もう一度聞かせてくれないか?」
「うぅ……」
大好きな人に請われて断れるはずがない。だって、クリスティーナの本当の気持ちなのだから。
ずっと自分を偽ってきた。これからも心の奥底に隠し続けるはずだった。でも、もうひっそりと胸に秘める必要はないのだ。
「……す、好きです」
「本当に?」
顔が熱い。動悸が激しすぎて息が止まりそう。
「本当です。殿下のことがずっと好きでした……」
「嬉しい。夢みたいだ。クリス可愛い」
感極まったジェラルドに正面から抱きしめられたクリスティーナはその瞬間、
(え、待って、幸せすぎて無理……)
頭が真っ白になり、
「はわ……」
ジェラルドの腕の中で気を失ってしまったのだった。
*
それから三ヵ月後。王宮の一室に、美しく着飾ったクリスティーナの姿があった。
今夜、王家主催の夜会が開かれる。夜会に備えて、クリスティーナは朝から王宮に参上し、侍女達の手によって全身を磨き上げられていた。
支度が整ったのを見計らったようにノックの音が響く。続いてジェラルドが姿を現した。
「クリス、準備はいいか?」
「はい。あの、どこか変なところはないでしょうか……?」
クリスティーナはジェラルドの前でくるりと一周して見せる。
ジェラルドと一緒に見立てたドレスは、クリスティーナの瞳に合わせた澄んだ青色。大人っぽくシンプルなシルエットでフリルやレースも控えめだが、全体に金糸で施された刺繍のおかげで非常に華やかだ。
イヤリングとネックレスは、ジェラルドの瞳の色と同じエメラルド。今日のためにジェラルドから贈られたものだ。
全て王家が用意し、王宮の侍女が手を尽くして支度を整えたのだ。
おかしなところはないと分かってはいても、ジェラルドからどう見えるか気になってしまう。
クリスティーナの全身に目をやったジェラルドは、嬉しそうに頷いた。
「ドレスもアクセサリーもよく似合っている。今日のクリスは一段と美しいな」
「あ、ありがとうございます……」
ストレートに褒められて、クリスティーナは頬を染める。
するとジェラルドは不意に眉を寄せて溜息をついた。
「……クリス、その顔はいけない。お前の姿を誰にも見せたくなくなってしまう……」
「そういうわけにはいきません」
クリスティーナは即座にキリッと表情を引き締めた。
今日の夜会はジェラルドとクリスティーナとの婚約を発表する場でもあるのだ。
「殿下の婚約者としての初仕事なんですから」
「……クリスのそういう真面目なところも好きだ」
「きちんとお務めを果たしてみせます! ご心配なさらずとも、先ほどのような表情は殿下の前でしか……」
「ジェラルド」
「へ?」
「公の場以外では名前で呼んで欲しいと、いつも言っているのに」
「……あの、では、ジェラルド様」
「様もいらない」
「……そ、それはまだ無理です……!」
真っ赤になって顔を覆うクリスティーナを、ジェラルドが愛おしげに抱きしめる。
いまだに名前で呼ぼうとするたびに照れてしまうクリスティーナのことが、ジェラルドは可愛くて仕方ないらしい。
ひとしきり抱きしめ、こめかみにキスの雨を降らせてから、ジェラルドはようやくクリスティーナを解放した。
いつものことながらふにゃふにゃになってしまったクリスティーナは、胸に手を当てて動悸を整える。涙目でジェラルドを軽く睨むが、それが逆効果であることに気づいていないクリスティーナなのだった。
再び腰を抱き寄せられ、つむじに口づけを落とされて。それから頬の熱がようやく引いた頃、改めてエスコートのために肘が差し出された。
「では行こうか、クリス」
差し出された肘に手を添えて、クリスティーナは隣に立つジェラルドを見上げる。
「はい、行きましょう、ジェラルド様」
微笑みを交わし、共に前を向いて。
二人は揃って、新たな一歩を踏み出した。
〈了〉
これにて完結となります。
最後までお読み頂きありがとうございました!
よろしければ、★★★★★、ブクマ、いいねで応援頂けるとたいへん励みになります♪




