10 王太子の初恋②
引き続きジェラルド視点です。
新人の補佐官として挨拶に訪れたクリストファー・エイベルと対面した時、ジェラルドは密かに息をのんだ。
目の前の少年が、遠い記憶の中の想い人の姿と重なったからだ。
そんなはずはない、と内心で自嘲する。クリストファー・エイベルは、小柄で華奢だが男だ。
そこまで考えて、クリストファーに双子の姉がいることを思い出した。
名前はクリスティーナ・エイベル。
双子であれば見た目はよく似ていることだろう。それに、クリストファーを推薦したベケット氏によれば、姉のクリスティーナも同じくらい学問に秀でているという。
考えれば考えるほど、あの時の女の子はクリスティーナ・エイベルだと思えてならなかった。
だが同時に、クリスティーナに婚約者がいるという事実も思い出していた。
ドミニク・フィーラー。見目は良いが軽薄で、良い噂を聞かない男だ。特に女性関係で度々問題を起こしていると耳にしている。ドミニクと結婚して、クリスティーナが幸せになれるとは到底思えなかった。
それでも婚約者は婚約者だ。
王族とはいえ、いや王族だからこそ、フィーラー伯爵家とエイベル子爵家との契約に、軽々しく横槍を入れるわけにはいかない。
ちょうど同じ頃、父である国王から、半年以内に婚約者を定めるよう厳命が下された。
引きずり続けた初恋にいいかげんケリをつけろと、天から突きつけられたように思えた。
もしも本当にクリスティーナが長年探し続けた人だったとしても、諦めるよりほかない。
頭ではそう分かっているのに、なかなか気持ちの整理はつかなかった。
整理がつけられなかった最大の理由はクリストファーの存在だった。
真面目で落ち着いていて、負けず嫌いで努力家で。気遣いが細やかで雰囲気も柔らかい。その一方で、必要と思えばジェラルドに対しても臆せず意見する。どんな話題を振っても目を輝かせて食いついてくる様子は、図書館で出会った初恋の人を思い起こさせた。
華奢な体でくるくると立ち働き、甘いお菓子を食べて幸せそうに顔をほころばせる。クリスを見ていると心が和み、そんな自分自身に驚いてもいた。
クリスに好ましさを感じるたび、双子の姉クリスティーナに会ってみたいという思いも募った。
そんなある日、エドウィンからの情報で、クリスティーナがとある侯爵家の夜会に参加することを知った。
この機会を逃しては二度とクリスティーナに会えないような気がして、ジェラルドは無理矢理時間を作り、急遽その夜会に参加した。
ドミニク・フィーラーのエスコートでクリスティーナが会場に姿を現したとき、ジェラルドは一目見て「彼女だ」と思った。
もっと近くで確かめたくて、挨拶に訪れる人の列がほんの一瞬途切れた隙に、デザートを頬張るクリスティーナに近寄り、声をかけた。
小さく肩を震わせて振り返ったクリスティーナの顔を間近に見て、ジェラルドは衝撃を受けた。
そこにいたのは紛れもなく、毎日仕事で顔を合わせているクリストファー・エイベルその人だったからだ。
髪型、眼鏡、衣装。一見した印象は異なるが、間違いないという確信があった。
驚愕と戸惑い。
けれど歓喜がそれらをはるかに上回った。
ようやく探し出した想い人。その人はすぐ側にいたのだ。
断れないのを承知で、半ば強引にダンスに誘った。緊張している様子すら愛おしくてならない。
もっと顔を見せて。俺に微笑みかけて。
そんな想いで見つめるうちに、あっという間に曲は終わった。
名残惜しさをこらえ、彼女の手を離す。
逃げるように人混みに紛れていくクリスティーナの後ろ姿を見送りながら、ジェラルドは誓ったのだ。
あの手を必ず、自分のもとに引き寄せてみせると。
すぐさまジェラルドは、自身に仕える『影』に二つのことを命じた。
一つはクリスティーナの護衛。
もう一つはドミニクの身辺を探ることだった。クリスティーナとドミニクとの婚約に、正当に介入する糸口を求めて。
同時に、エドウィンに命じてエイベル子爵家の内情を探らせ、替え玉の理由を知った。王宮に害をなす意図がないことを確認して胸を撫で下ろした。
とはいえ、たとえ害意がないとしても、替え玉と分かった以上知らぬふりをすべきではない。
理性はそう告げていたが、自らクリスを手放すことなどできるはずもなかった。
表面上は今までどおり、良き上司として接した。
けれど気づけばいつも、クリスを目で追っていた。
『ほどほどにされませんと、他の者が不審に思いますよ』
呆れたエドウィンから釘を刺されるほどに。
クリスと二人きりになりたくて、予定がキャンセルになったのを幸いと、王族専用の庭園でお茶会を開いた。
自ら紅茶を淹れ、ケーキを取り分けて。クリスを甘やかせることが嬉しくてたまらない。
口元に触れると、顔を真っ赤に染めて固まってしまった。少しは男として意識されているように思えて、そわそわと気持ちが浮き立った。
そう、柄にもなく浮かれていたのだ、と思う。
だから突然「クリストファー・エイベル」が職を辞したときの喪失感は、例えようのないものだった。
いつかこういう日が来ると、分かっていたはずなのに。
想い人に会えない日々。
父王から定められた期限が迫っていることに焦りを感じてもいた。
そんな中、再会は思いがけない形で訪れた。
『影』をつけていて良かったと、ジェラルドは心の底から思う。
おかげで、クリスティーナをすんでのところで救い出し、犯人達を捕えることもできた。今頃はエドウィンが中心となり、背後関係の裏を取っていることだろう。クリスティーナをこのような目に遭わせた者達を、決して許すつもりはなかった。
「すべてのことに片がついたら」
愛しい人の白い寝顔を見つめ、その手をそっと掬い取る。
「どうか俺の手を取ってくれ、クリス――」
祈りを捧げるように、ジェラルドは細い指先に口づけを落とした。
クリスティーナの休む客室を出ると、腹心の部下であるエドウィンが待ち構えていた。
「殿下。捕えた連中が口を割りました。ドミニク・フィーラーに雇われたと」
「やはりそうか」
ドミニクがクリスティーナとの婚約を解消したがっていたこと、素性の怪しい連中と接触していたことは、『影』からの報告で把握していた。が、まさかこのような卑劣な手段に出ようとは。握りしめた拳が怒りで震える。
「ドミニクは?」
「そちらもすでに、殿下の『影』が身柄を確保しております」
「よし。ドミニクの処分だが、秘密裏に進めたいと思っている」
「それがよろしいかと。事を公にしては、クリスティーナ様の名誉が傷つきます。そうなれば、殿下のお望みにも差し障るでしょうしねぇ。至急フィーラー伯爵に連絡を取り、面談の約束を取りつけましょう」
「頼む。エイベル子爵の意向も確認しながら進めてくれ」
承知してから、エドウィンは心配そうにわずかに眉を寄せた。
「クリスティーナ様のご様子は」
「先ほど一度目を覚ましたが、すぐにまた眠ってしまった。悪いがもう少し休ませてやってくれないか」
ジェラルドの『影』によって救い出されたクリスティーナは、エドウィンが管理するバークリー侯爵家の別邸で密かに保護されていた。エイベル子爵家にはすでに、クリスティーナの無事を知らせてある。
「御意。お目覚めになられたら、私が責任をもってエイベル家の屋敷まで送り届けましょう。子爵への詳しい説明もそのときに」
「本当は俺も同席したいところだが……」
「気持ちはお察ししますが、これ以上殿下に王宮を留守にされては、皆が困ります」
ぐぅ、とジェラルドは口惜しそうなうめき声を漏らした。
「わかっている。わかってはいるが……クリスのことはエド、最も信頼するお前にすら任せたくはないのだ」
するとエドウィンは、くくっと楽しそうに口の端を上げた。
「おやおや、独占欲丸出しでいらっしゃる。まぁ無理もありませんか。十年もの間、しつこく執念深く往生際悪く求め続けた方ですからねぇ」
「エド、お前。もう少し言い方があるだろう……」
わずかに熱を帯びた顔でじとりと睨むと、エドウィンはコホンと咳払いをして居住まいを正し、
「あとのことは万事このエドウィン・バークリーにお任せを。殿下は気の利いたプロポーズの言葉でも考えておいて下さい」
パチリと器用にウィンクをした。
次回はクライマックスに向けて再びクリスティーナ視点に戻ります。




