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ep98.さらばミオーヌ

目標:錫食い鉱を王都に納品しろ

「あぁ、イレイネさん。もういいんですか?」

「……えぇ、お時間をとってしまって申し訳ありませんわ。ダン様も、宿の前で失礼しました」

「なに、構わねぇよ。若人の門出を見送るのも宿屋の主人の仕事さ、それが旧い友とくればなおさらな」


 にっこりと白い歯を見せて笑む宿屋の主人と反して、イレイネの表情に少し陰があるように思えた。

 笑顔を作るその顔はどことなくぎこちなく、無理やり笑っている感じが否めない。ダンはこれに気づいているのだろうか、何か変だなと思ってるところに、ごちりと石畳を鳴らすブーツの足音が聞こえた。


「あ、オルド。荷物積んどいたぞ。一応ちょっと確認してくれ」

「……おう」


 覇気のない返事に、首を傾げる。


「どうした、腹でも痛いのか?」

「何かあったのか?」

「なンでもねェよ」

「そうですよ、逞しい冒険者様に何かあるワケありませんわ」


 ダンと俺が交互に聞くが、バツが悪そうに答える虎と対照的に、イレイネがおほほ、と明らかにイメージと違う笑い声を上げる。

 何かがおかしいと感じたのは俺だけではないようで、宿屋のおやじは禿頭を光らせて俺と顔を見合わせる。

 二人で話し込んでいたと思ったらこの様子、明らかに何かあったに違いない。

 出発前に喧嘩でもしたのかと思ってしまう俺は、オルドが荷台の様子を見に後ろへ逃げたのをいいことにこそこそと茶髪の女へ耳打ちする。


「あの……オルドになんか言われたんですか? 喧嘩とか……?」

「あら……そんなワケありませんわ。オルド様とは良いオトモダチですもの」


 それならそれでよいのだが、そのはっきりとわかる笑顔の圧はどういうことなのだろうか。しかしダンは、それを聞いて何か合点が言ったようで「……ははぁ」と意味深な笑みをこぼしていた。

 なんだ? またこの三人だけにわかる何かがあったというのだろうか。


「それと、馬車の返却ですが……オルド様にもご説明したのですが、こちらの文書を商会ギルドの方にお渡しください。馬車の所在と、これからの鉱石の交路について綴ったものです。馬車も預かってくれることでしょう」


 イレイネは事務的にそう言って、手に持っていた羊皮紙を差し出す。腕が動かないオルドには渡すべくもなかったのだろうと察しがついた俺が少し戸惑いながらも礼を言って受け取ると、イレイネはようやくいつも通りにっこり笑ってくれた。

 気になる。とても気になるが……こっちには張本人のオルドがいるのだ。二人になったタイミングで何があったか聞いてみよう、と思ってとりあえずは気にしない素振りで俺は微笑みを返した。

 それから、ぎしっ、と荷馬車が軋む音に振り返れば、御者台にさっそく大きな体が上がり込んでいた。


「スーヤ、そろそろ行くぞ。日暮れまでには関所に着きたいからな」

「あ、うん。それじゃイレイネさん、俺たちはこれで」

「はい、お気をつけていってらっしゃいませ」


 面白いものを見守るように愉快そうな笑みを浮かべる宿屋のおやじの隣に立つイレイネが笑みを返す。

 強張っていた女の顔も、今は普段通りに見える。しかし先程感じた圧は本物のはずだし、それでなくともオルドとの間に何かがあったのは間違いない。

 俺は踵を返しがてら、悩んだ挙句イレイネに再度耳打ちする。


「あの……オルドに何言われたかわかりませんけど、あんまり気にしないでくださいね。口は悪いし、デリカシー……というか、配慮が足りないやつですけど、なんていうか……悪気があるわけじゃないと思うんで」


 イレイネを励まそうと思ったのに、あの虎をフォローするような口振りになってしまったのが不本意だった。

 しかし、イレイネは俺の言葉に少しだけ目を丸くすると口元だけで柔らかく笑みを返す。


「……えぇ、意味もなく人を傷つけるような方ではないことはスーヤ様も知っての通りですわ。それに、喧嘩とか、そういう類のものではありませんのでご安心ください」

「そ……そうですか」


 そう言われると、それ以上踏み込みようがない。イレイネは自分の物言いがきっぱりと拒絶するようなトーンを帯びたことに気づいたのか、そのまま恥ずかしそうに笑って続ける。


「それに、私のことなら大丈夫です。鉱山の女は強いんですからっ」


 今までの礼儀正しい態度ではなく、この町らしいフランクさを感じる物言いをして、イレイネは寂しげに笑った。

 きっと俺の想像もつかない何かがあったんだと思うし、いろいろな思いがあるのだろう。

 ただ、そう言って笑って送り出してくれる女の姿に俺もそれ以上は何も言えなくて、ゆっくり頷いて踵を返した。


「それじゃイレイネさん、いってきます。ダンさんも、お世話になりました!」

「えぇ、こちらこそいろいろとありがとうございました。ウェスタ様のご加護がありますように」

「……またな」

「おう、またいつでも来い。オルドリウスと見習いスーヤのことは、おれが覚えておくからな!」


 気まずそうに小さく呟くだけのオルドは「その名で呼ぶなっつうの」と呆れたように言うだけで、見送る二人にそれ以上何かを言うことはなかった。

 もうちょっと他にあるだろと思うが今生の別れというわけでもないしそんなものなのかなとも思ってしまう。

 特にイレイネとの間で何かあったのは確実だ。喧嘩別れなんてみっともないなと思わなくもないが、喧嘩の類ではないと本人も言っていたし、どちらにしろ当人たちの問題なので俺はそんなことより自分のことをなんとかしないといけない。


 馬を連れてきた管理組合の小僧とオルドに教わった通り、馬の首に繋がっている手綱を上下に鞭のように弾ませると、ゆっくりと馬が歩き始める。


「うわッ……あ、歩いてる、動いてる!」

「うるせェ、いいからそのまま手綱握っとけ。離すんじゃねェぞ」

「う、うん……というかオルドもうちょっとそっち詰めろよ! こっち狭いって」

「こっちもいっぱいいっぱいだっつぅの」

「嘘つけ! 尻尾一つ分空いてるじゃん!」


 ごとごとと石畳の上を車輪が転がることに感動する間もなく、御者台の三分の二を占める巨体に文句を言うと広々とスペースを使っている虎は悪びれもせずにそう宣った。

 押し込むように体を寄せると荷台が揺れてひやりとしたが、荷馬車を引く馬とは鎖で連結しているのでその振動が伝わることはなさそうだ。


 狭い御者台のスペースを奪い合いながらぎゃあぎゃあと言い争って町の出口へ向かう俺たちを見て、宿屋の前で見送るダンが肩を竦める。

 その隣でイレイネは、くすくすと吹っ切れたように笑っていたのだった。

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