ep95.二回目の旅立ちの朝
目標:錫食い鉱を王都に納品しろ
死線を潜り抜けたミオーヌの町での最後の夜も、特別なことはなかった。
いつものようにその辺で食事を持ち帰って、当然と言わんばかりに食わせてもらおうとする虎の喉奥までフォークを突っ込んでしまって、大丈夫かと謝罪するものの必死に噎せるその姿に思わず吹き出したら睨まれて。
いい加減そろそろ毛皮が臭かったので出発前に綺麗になってもらおうと思い、王都に着いたら自分で洗うと部屋の隅で威嚇するオルドを無理やり蒸し風呂に放り込んで、用意してもらった大きな盥の上に座らせる。頭から焼き石で熱された湯をかけて、しんなりと濡れた毛皮の張り付いた尻尾の先までを石鹸でわしゃわしゃと丸洗いした。
腕が動かないなりに魔法は使えるようなので乾かすのは自分でやってもらいたかったが、そのままにしておくのもなという気持ちである程度タオルで拭いてやると、気分はまさにペットトリマーという感じだった。
脇に転がされて不服そうに自分の体を風にそよがせている虎を尻目に俺も体を流して、余した湯で俺がこっちの世界に来た時に身に着けていた下着を洗濯しておいた。
これなら旅の途中で服を着替えて清潔な状態を保てるはずだ。着替えを携行するだけで旅というより旅行に出るような気分になって、俺はここではないどこかへ旅立つ冒険者生活もやっていけそうな根拠のない自信で満たされるのを感じた。
新調した服は、襟ぐりをざっくりと切り取るように穴を空けた長袖のシャツで、暗いクリーム色をした衣服だった。
袖を通す時にびきりと脇腹の傷が引きつったが、もうだいぶ痛みも薄れていたのである程度なら動いても問題ないだろう。
痛みがあると言えば、手の方だ。濃い茶色のズボンに足を通して、両手に指抜きの革手袋を嵌める。皮が剥けてまだかさぶたの残る手のひらにごわごわとした感触を覚えつつ、軽く手を握ったり開いたりを繰り返す。
あまり思い切り指を開くと固まったかさぶたが引きつるようで少し痛むが、ナイフを握ったりフォークを手にすることは問題ないようで、差し障りはなさそうだった。
自分の体を見回して新しい旅装に満足げに頷いた俺は、身支度を済ませるとまだ眠たそうな虎頭の毛を跳ねたり寝かせたりしている寝ぐせを濡らして整えて服を着せる。
こうなってくるともはや看護師気分かトリマー気分かというのは自分でもよくわからなくなってしまうが、ともかく虎のズボンの腰帯をきつく結び終わるとそのまま宿を出て管理組合に向かった。
昨日は出発までに訪ねてほしいと言ってくれていたものの、こうして当日申し出るのはなんだか急で申し訳ないように感じたが、俺を出迎えた茶髪の女性は昨日と変わらぬ笑みを返してくれた。
それどころか服装まで変わっていないように見える。目の下に深い隈ができている辺り、泊まり込みで作業をしていたのだろうかと戸惑いつつも荷馬車の件を話すと、イレイネは快く頷いて宿の前まで用意しておくと話してくれた。
別れ際にちらちらとオルドは来ていないのかと気にしていたので、そういえば出発前に話したいって言ってたなと思い出す。
一緒に来たほうがよかったかなと申し訳なく思いつつ、ひとまずその場を後にした。
宿に戻る際に職人通りを通りがかったが、意外にも朝から開いている屋台は意外と多くて、どろどろの麦粥や牛の乳を豆と煮たスープ、それ以外にも蒸したパンなんかを出勤前だろう職人や鉱山夫がこぞって立ち食いしていた。
しかし、ただでさえ人に食べさせづらいことに加えて、俺個人の思い出から流動食は遠慮したいところである。
となると固形物、パン類が無難だろうかとしばらくぶらついて、熱々の鉄板の上で焼かれた卵の香ばしいにおいに惹かれた。
油を引いた鉄板の上でオムレツのようにまとめて焼いた卵を玉ねぎや葉野菜などと一緒にパンで挟んだ熱いサンドイッチにも似た料理が目に入る。それを二つ購入して、そのうち片方を三つに切ってもらった。焼き立てを包装紙代わりの大きな葉で包んだそれらは手に熱くて、早足で宿に持ち帰った。
昨日買ったものは整理できているけど、馬車が手配されるまでにもう一度積み荷を確認しておきたいところだった。
オルドがその辺りを済ませてくれているといいのだけれど、と思いつつ部屋に入ると、山吹色の巨体は……ベッドにうつ伏せになって鼾をかいていた。




