ep92.合流
目標:錫食い鉱を王都に納品しろ
結論から言うと、俺の買い物はそれなりに成功だったらしい。
くだらないモノ買いやがって、と馬鹿にされるか笑われるかするのではないか、という俺の予想とは裏腹に、火打ち棒という道具はオルドも初めて見たという。
火打ち石の代わりに簡単に火種を作れるのだという実演を合わせた説得により、その便利さを素直に認めてくれたのだが、その値段については流石に無視できなかったようだった。
幾らしたのかを聞いた虎は渋い顔で「お前の金だしどう使おうと自由だが……」なんて不満そうに漏らしていたが、気にしないフリで躱すことに成功した。
無論、ナイフについても値段を聞かれた。それを答えたところ案の定苦い顔をされたが、その刀身を検めた虎はすっと表情を変えた。
テーブルにかけたまま、自分の顔の前で浮いているナイフをじっと眺めているオルドは手も使わずにその背と刃を見比べるように空中で回転させる。
見えない雲に乗ったようにふわふわと横たわって光を跳ね返す刃を見つめて、しかしオルドは感心した声音で言う。
「へェ、こいつはなかなか……いい買い物するじゃねェか」
デザインが目に留まりなんとなく気になって買ってきただけの割には高い買い物になってしまったが、オルドにそう言われるとどことなく誇らしく感じた。
ちなみに最近のオルドは魔力の使い過ぎで腕が動かないというのに、日常生活でこうして空気を操って物を動かすことが増えてきていた。
そんな状態で魔力を使って腕の回復が遅れるんじゃないかと俺は気が気でならないが、オルドはそんな俺の様子などどこ吹く風という様子でこのように物を浮かせたり、鉱山から戻った日に持ってきた錫食い鉱の欠片を空中でぐるぐる回して暇つぶしをするのだった。
まあ腕が動かないとなると退屈しのぎにも困るだろうし、ストレスも溜まるだろうからとある程度はお目こぼししていたものの、余計なことして悪化でもしたらどうするのだというここ数日介護続きの俺の思いは届かずにいた。
いつだったか気になって聞いてみたところ、当人曰く空気や風の操作なら既に習熟しているのでこれくらいの魔力ならちょっと疲れるだけで問題ないとのことだった。魔力については素人同然である俺は、専門家であるオルドの言い分を全面的に認めるほかない。
業腹だが、しかしオルドと言えど自ら症状を悪化させるようなこともないだろう、と室内での小規模の魔法行使については口出ししないことにしていた。
「衝動買いだったんだけど、もしかして結構いいナイフ?」
「そうだな、肉を捌くためだけに使うにはもったいねェな……見てみろ」
それなりの重さのあるナイフをふわふわと浮かせたまま、傍に漂っている鞘を俺に向けて吹き飛ばす。
山なりの放物線を描いて放られたそれを、俺は刃物を飛ばすなと避けそうになるが黒く照った質感が目に入って鞘だと理解した。
これがどうしたのかとでも言わんばかりに受け取った鞘とオルドを見比べると、ぎらりと昼の太陽を跳ね返す銀刃を輝かせながら虎が続ける。
「この鞘が砥石代わりになる……そう言ってたんだな?」
「え、うん……そんな石あるんだ~って思って不思議だったんだけど」
「そりゃ石じゃねえ、なンらかの魔物の素材だな」
えっ、と思ってもう一度鞘に目を向ける。つるりとした表面は固めた樹脂のように硬く、しかし空気を含んだように軽い。
指の腹でなぞるとわずかにざらついているような気もするが、その目は細かすぎて指で触るだけではよくわからなかった。
病院の机がこんな質感だったなぁなんて呑気に考えていた俺に虎が言う。
「最初は黒檀か象牙かとも思ったが、よく見ればうっすら魔力が滲んでらァ。そもそも、砥石ってのはざらついた表面で刃物を磨く代わりに自身は削れていく消耗品だ。わざわざ鞘を擦り減らす意図がわからねェ」
「持ち運びの利便性とか……?」
「だとしても、だ。いずれ擦り減って肝心の鞘としての機能を失うくれェなら砥石なんて小せェもんいくら持ってても問題ねェだろ」
それはそうだ。話を聞いているときに、砥石として使い切ったら鞘としてはどうなるのか、と疑問に思ったのは俺も同じだった。
オルドは続ける。
「となると……このうっすら魔力を感じる鞘に砥石向きの効果がある、砥石にするのに適した素材で作られている、って考えるのが自然だろうな。その根暗な店主とやらは何も言ってなかったのか?」
何も言ってなかったはずだ。俺が頷くのを見て、オルドはフンと鼻を鳴らした。
「ただの思い付きか、それとも単に砥石にしても丈夫な素材ということか……こんだけの刃を作る職人なら何か考えがありそうなもんだがな」
それから、鞘を投げてくれと俺に申し出るので、俺はベッドに腰掛けたままテーブルの虎に下手投げで鞘を放ると、それをぴたりと空中で受け止めた。
ふわふわと漂う鞘を転がして、テーブルの上に浮いているナイフと合流させると風に乗せたまま器用にも空中で刃を納めてみせた。
かちん、と小さな音を立てて鞘が根元まで嵌まると、浮いていたナイフは何段階かに分けてそのまま落下し、最後には木の机の上にごとりと転がった。
怠そうに両腕を投げ出したまま座っている虎が目線だけでやってのけたその芸当に、俺が小さく歓声を上げるとオルドは得意げに鼻を鳴らす。
「そういうのって、見てわかるもんなのか?」
「俺くらいになるとな」
虎がばっさりと答える。
それが事実であるのは理解できるが、同時に俺には無理だと言っているようで少しだけ気に入らない。
「ま、せっかくこんな職人がいるってわかったんだ。後で市場を回るときにでも案内してくれ」
そうだ、王都を目指すと決めたのだから次なる旅支度のために買い出しに行かねばならない。
旅路のことを想像したためか、一つ思い出した俺は「そういえば」とイレイネからの伝言を口にする。
「さっきイレイネさんに挨拶してきたらさ、荷馬車借りてくかどうかって聞かれたんだけど……」
「ほう、いいじゃねェか」
「借りるんだったら明日出るときに管理組合に来て欲しいってさ。……借りる?」
俺が尋ねると、オルドはギザギザになった左耳をピクつかせながら顔を上げた。
「借りねェのか?」
「いや、そうじゃないけど……ほら、オルドの腕もそんなんだし」
「別に荷馬車くらい……あぁ、そういうことか」
合点がいったとばかりに虎目がすっと細まった。そのまま俺を見て、肩を竦める。動かないのはどうやら腕で、胴体に連なる肩は麻痺を免れているらしかった。
「馬の扱いくらいどうとでもなンだろ。何も山を越えろってわけじゃねェんだ、王都までほとんど一本道となりゃお前にも乗れるだろ」
「う、うん……やってみる」
表情の固い顔を一瞥して、オルドははぁっと溜め息を吐く。
それから「転倒さえしなきゃ構わねェよ」と、慰めなのか煽りなのかわからない文句を口にしたのだった。




