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ep91.トカゲの刃物商

目標:錫食い鉱を王都に納品しろ


「……そうなると、こちらのナイフと合わせてディジオ銀貨百二十五枚ですか?」


 こくんと店主が頷く。

 もう少し強い態度で来てくれればやりやすいのだが、陰気そうな店主を相手に値切るのはなんとなく相手の弱みに付け込んでいるようでやりにくく感じた。


「えーと、あいにくケーニッテ銀貨しか手持ちがないのですが……その場合だと、幾らくらいでしょうか」

「えっ」


 ここで初めて、店主がわずかにその頭を持ち上げる。

 そのリアクションは、まさか食い下がるとは思っていなかったのか、あるいは別の銀貨での試算を行うためだろうか。

 深く被っていたフードがぱさりとズレて、マズルの先がわずかに開く。


「……えぇと……じゃあ……ケーニッテ銀貨、百五十枚、とか」


 ディジオ銀貨より二割ほど安いケーニッテ銀貨の方が高くつくだろうというのは想定内だ。

 はたしてそんな金額の買い物を独断でしていいのだろうか、という理屈は……至極その通り、真っ当な意見だ。

 しかし、大百足退治を終えた自分へのご褒美として何か買ってみたい気持ちが、衝動が抑えきれずにいた。それは、この大陸に来て初めて自分で稼いだ金で何かを買うことに、テンションが上がっている自分がいるからだ。

 それも、生まれて初めての衝動買いだ。自分が欲しい! と思ったものを自分の金で買うだけで、こんなに誇らしい気持ちになるとは思わなかった。


 百足退治で受け取った報酬は折半したままほとんど手付かずで、精々が日々の飲食代に使う程度だったのでまだまだ財布は重たいままだった。

 俺はごくりと意を決したように頷いて、財布の紐を緩めた。


「金貨で支払いたいのですが、ウェスタ金貨一枚とケーニッテ銀貨三十枚でも良いでしょうか」


 金貨、と聞いて店主の側頭部を覆うくすんだ色のフードが僅かに蠢く。動揺が傍目からでも伝わるようだった。


「……か、確認、させていただいて、も?」

「えーっと……はい。この机の上で見るのでしたら大丈夫です」


 気弱そうに思えたフードの店主は、金貨で支払うと聞くと意外にもはっきりと言葉を返してきた。

 金貨はその価値の高さゆえに確認を求められることが多いというが、その間にすり替えられないかを最も警戒すべきだとオルドは言っていた。


 伸びてきた大きな手は人と同じ五指が揃っていたが、表面が細かい鱗で覆われているほか、鋭い爪なども人のそれとは違って見えた。

 俺の頭くらいなら軽々と片手で覆い隠せそうな手で金貨を受け取って、机の上にそれをぱちりと置いた店主は虫眼鏡のようなレンズで確かめたり、天秤に乗せたりして金貨を慎重に確かめていく。

 見ている限り怪しいそぶりは見当たらなかった。フードの店主はごつごつとしたマズルの先を俺に向けて振り返る。


「……でぃ、ディジオ銀貨は、お持ちでないです、か?」


 首を振って、「残念ながら」と答えた。店主はしばし悩んだように黙ったのち、ゆっくりと口を開いた。


「……わ……わかり、ました。そちらで、お受けしま、す」


 銀以上に価格が安定している金貨は、時にその銀貨百枚分以上の価値を生み出す。

 おそらくこの店主の頭の中でも、ケーニッテ銀貨百十枚分の価値を俺が渡した金貨に見出したにも違いなかった。

 俺は頷いて、袋の中から掴んだ銀貨をぱち、ぱちとオセロでもするように銀貨を十枚単位で机の上に並べていく。

 じゃらじゃらとした貨幣を交わしていると、紙幣がどれだけ軽くて便利だったのかがよくわかるというものだった。


「……は……はい、確か、に……ま、毎度ありがとう……ございます……」


 店主は両手で机の上の貨幣を数えると、震える手で金庫のような箱に貨幣をしまい込む。

 机の上に置かれたままのナイフと火打ち棒を受け取る。ナイフの鞘は硬質で、紺色の石のような素材でできていて、グリップ同様ひんやりとした感触が気に入った。


「……あ、あの……お手入れ、ですが……鞘が、そのまま……砥石に、なってます。なので……あ、脂がついたら、そちらで……休む、前、に……軽く研いで……あげてください、ね……」

「えっ……あ、はい。わかりました」


 途切れ途切れに、しかし落ち着いたトーンで手入れについて語る店主に言われるがまま、鞘を見る。

 つるっとした質感の鞘はよく磨いた石のようで、軽いうえに爪で叩いてみるとカツカツと硬い音を立てている。砥石って使うと摩耗していくと思うが、この鞘はそんなことはないのだろうか。

 光を跳ね返す艶やかな鞘を眺めている俺の足下を見つめるように俯いていた店主が、僅かにその頭部を揺らして低く紡ぐ。


「……あの。す、すいません、が……冒険者さん、です、か……?」

「えっ。あ、そうです。いや、まだ無免許なんで、冒険者志望です」


 ゆっくりとした喋り方でフードを被った店主が俺に聞いてきたので、まさか質問されるとは思ってなくて少し慌てた。

 店主は続けて問う。


「……そうです、か。……あの」

「は、はい」

「……わ、ワタシの、子……だ、大事にして、あげてくださいね……」


 戸惑ったのは、その台詞と受け取った商品が咄嗟に結びつかなかったからだ。俺は手に取った二つの商品を軽く持ち上げて、フードを被ったままの店主の頭部と手の中のそれを見比べるように視線を彷徨わせる。


「え、えーと……はい。大事にさせていただきます」


 店主は俯きがちに俺の言葉に軽く頷く。

 もういいかな、それとも何か聞き返した方がいいのだろうかと立ち去るかどうか迷っていた俺は、店主の肩が小さく震えていることに気づいた。

 泣いている? と思ったのも束の間、俺の耳に届く嗚咽にも似たしわがれた声が、笑い声だと気づいて俺はぞっとした。獰猛さを孕んだ忍び笑いが、言葉となって俺の耳に届く。


「……っふ、くく、ふふ。売れた……ワタシの子が、売れたぁ、くふっ、ふふ……」


 目の前のフードの店主が不気味に肩を揺らす。厚手のフードに覆われた頭はよく見ると不自然に突っ張っていて、この店主が途端に得体のしれないものに思えてくる。

 ワタシの子、というのは自分の作品という意味合いだろうが、その笑いようを見ていると自分が受け取ってはいけないものを受け取ってしまったような気がして不安になってくる。


 売れたからというだけで何をそんなに喜ぶことがあるのだろうか。不気味なセリフから真意を計り損ねている俺は、素直にこれを持ち帰っていいのかどうかと悩んだ結果、受け取ったナイフと削り刃付きの火打ち棒を狭く感じるポケットに押し込んだ。


「……ま、また……どうぞ」


 軽く会釈をしてその場を離れた俺に、鱗の店主はそんな挨拶だけを残して、またその場に置き物のように佇み始めた。

 そのフードを思い切り剝いでやりたいという思いが少しだけ芽生えるが、俺は危ういところでそれを堪えた。


 通りの喧騒に戻って少し歩くと、机一個分の露店はすぐに見えなくなった。

 がやがやと賑やかな人ごみの中に入ると、不気味な笑い方に掻き立てられた不安感が少しずつ薄れて落ち着いていく。


 ポケットに押し込んだことで中途半端に飛び出たナイフと棒の柄に手を添えながら、気味の悪い店主だったなあとあの鱗の風貌について考えていた。

 爬虫類型の獣人というとトカゲのリザードマン辺りが思いつくが、そういえば竜とかドラゴンとかってこの世界ではどうなっているんだろうと疑問に思う。

 しかしこういう異世界ファンタジーでは竜に類するものは高尚な生物と相場が決まっている。となればまさかあれが竜人なんてこともないだろう、と俺が結論付けたのは、ファンタジーを代表するようなドラゴンがあんな気味の悪い店主であるはずがないという希望的観測のためでもあった。

 しかし仮に竜だったとしても、トカゲ野郎とか罵られてる作品は結構見かけるほどだ。獣人すら見たことがなかった現代人の俺では、そのどちらであったとしても見分けがつかないかもしれなかった。


 さて、結局剣は買えなかったがナイフは買えたし良しとしよう。

 帰ってからオルドに聞いて、どこかオススメの店がこの町にないか聞いてみたほうが早いかもしれない。

 それから、気味の悪い店主の店で衝動買いしてしまったこの火打ち棒も見せてみよう。

 もしかしたらたまたま虎が持っていなかっただけでこの道具自体はポピュラーなものかもしれないという不安もあるにはあったが、これまで巨体を丸めて一生懸命石を打っていた姿を思い出すとこれが便利であることに変わりはないと自信が湧いてくるようだった。

本日はここまでとなります、次回更新は1/19になります。

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