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ep89.職人通り

 その場を後にした俺は、せっかく金があるのでまだ見ていない職人通りを見回ることにした。


 この町は山を切り開いたように三方向を囲まれていて、町の出口と入り口は一つしかない。

 第一、第二の鉱山は町を囲う左右の山を掘るもので、第三鉱山はその中央の山を地下に掘り進めたものだ。ではそこで得られた鉱石はどこへ行くのかというと、その鉱山エリアから手前に町を戻ると、鉄工所や加工所が軒を連ねる職人通りに行き着く。

 そこから更に手前に戻ると、いくらかの居住区を経て、宿屋や食堂、そして観光客や旅人向けの小売商が軒を連ねる町の入り口付近のエリアに至るのだった。


 鉄鋼を得るための製錬所なんかはこの通りの中で一番大きいが、加工のための地金をそこで作っているので利用する客はその原料を用いて何かを加工する職人か、あるいは仕入れ目的の行商人というところで、俺のような商品を実際に使用したり消費する冒険者の立ち入るところではなさそうだった。


 しかし町を横断するような職人通りは、それ以外にも様々な店が立ち並んでいる。この町で製錬された地金や、あるいは採掘された原石を独自に用いた商品が並んでいて、装飾品を扱う宝石屋や調理器具などが並ぶ金物屋なんかはそれなりの人で賑わっていた。


 俺も旅の支度をする必要があるが、本格的にあれこれ購入するのは午後にオルドと合流してからでいいだろう。俺一人だと必要か不要かどうかの判断も怪しいし、逆に何に使うのかもわからないものも多い。下手に買い込むより、相談しながら買って回るほうがいいのは間違いないだろう。


 今はひとまず、下見程度に見て回ろう。どうやらこの真横に伸びる職人通りは、途中で縦に伸びる市場とも接続しているようで、そのまま食品や衣服の買い出しも行えそうだった。

 未だに血のシミの残る服を着て羽織ったマントでそれを隠している格好の俺は、せっかく金が入ったのだから装備を色々新調してもいいだろうとあとで服を見るのを忘れないように胸の中に留めておいた。


 オルドも同じようにどこかで時間を潰しているだろうが、腕が動かないのを放置しておくなんて怪我人、病人の対応としては褒められたものではないだろうと少しだけ懸念を覚えるが、しかしあんな図体の男を少しくらい放っておいても問題ないだろうと自分を納得させた。

 そもそもネコ科だし、べたべたと傍で世話を焼く必要もないはずだ。

 俺は財布代わりの巾着袋を盗まれないようにだけ気を付けつつ、職人通りの出店に並ぶ商品を見て回った。


 オルドやイレイネが言っていたが、この町で一番多く取引されているのは食器や鞍、蹄鉄だったりの日用品。

 次いで兜や剣などの武具、最後に細かい装飾品や希少な宝石、および魔石を扱った石工品で、これらは近隣国への土産物としても重宝されているらしい。


 町の最深部が鉱山だとして、その手前に工房や製錬所がある。

 こうして見て回ると、職人通りはそこで作られたものが多く並べられているが実際の職人が並んでいるわけではないようで、この町の市場の通称なのだろうと想像がついた。


 俺は買う予定もないのに埃一つない銀の燭台や扉飾り、それに艶やかな釘やネジといった小物類を眺めて市場を見て回った。

 折れた剣の代わりが見つかればいいなと思ったのだが、武具の類は防具が主なようで、辛うじて見つけた武器は槍や大剣、斧なんかが主流で手ごろなサイズの片手剣が見つけられずにいた。


 俺の知ってる異世界転生とか創作物とかだとこういう時は名工が向こうから俺のことを見つけてくれたりするんだけど、と周りを見渡すがそんなイベントが起きるわけもなく、周囲の人間は自分の買い物や目利きに忙しいようで俺の黒髪黒目を意外そうに見る者以外に特別な注意を向ける人はいなかった。


 人も多いし剣はまたどこかで探すか、と肩を落とした俺は、しかし視線の先のとある商品に目が留まった。

 その店は、店とも言えない簡素な佇まいだった。机一つ分ほどのスペースに、ばらばらと統一性のない商品を並べているが両隣に数坪ほどの観光客向けの石工商と路面にまで大きくはみ出して鎧を並べる武具店に挟まれているために、余計にみすぼらしく見えた。

 言われなければその商品を売っていると気づかないかもしれない。現に通りを歩く客は、皆一様に隣に並べられた煌びやかな武具や精緻な細工の施された装飾品に目を奪われているようだった。


 一歩、その机に歩み寄る。机の内側で店主らしい人物は、椅子に座って黙って俯いていた。


 机の上には、見慣れたものとそうでないものが並んでいた。

 そのうちの一つ、木製の鞘を備え、鈍い銀光を放つ抜身の刃に黒々とした握りを取り付けたそれは、十五センチほどの刃渡りで俺の手でもしっかりと握れそうなナイフだった。

 店先にはその他にも、もう少し小ぶりなナイフや金鋸、それに鉈のような刃物が並んでいて、数本並んでいるナイフを見ても小指ほどのサイズのものから腕くらいのものまであったが、剣の類はなさそうだった。


 何に使うのかよくわからない、持ち手のついたヤスリのような紐付きの金属棒や、見慣れた形状のハサミなどを眺める俺は金物屋にしては品ぞろえに偏りがあるなと思って見ていたが、そういえばと鉱山の町に着くまでの旅路を思い出す。

 オルドは、自身の得物となる大剣の他にナイフを所持していたはずだ。


 確かに、ゲームでも狩猟後の剥ぎ取りには武器とは別の解体用ナイフを扱っていた。肉を捌くような技術はまだないが、野生の木の実を採る際にも刃物が役立つだろうということは俺にもわかる。

 いいな、ナイフ。冒険者だしこれからまた旅に出るんだから、刃物があって困ることはないよなと思うと俄然ナイフが欲しくなってしまった。


 しかし、商品を並べた机の背後に佇んでいる店番らしい人物は全身を覆うローブを着て頭からフードを被ったまま俯いて座っているので、どことなく声をかけづらい。

 周りの客が寄り付かないのも、そんな店主の態度のために距離をとっているようだった。

 これだけ店がある通りなのだ、ナイフなんてどこでだって買えるだろう。そう思いつつも、逆に繁盛している店に入ってナイフを選ぶのも周りの目を感じてしまって気恥ずかしい気もする。

 ちらり、と周りを見る。店とも呼べない机の前に俺が立っているからか、誰もここに並べられた商品を気にした様子がない。

 フードをかぶって俯いたままの店主を見ていると、果たして本当にこれは売っているのかと逆に声をかけていいものか不安になってしまうが、こうして商品を並べている以上売る気はあるはずだ。

 ちょっと戸惑いつつ、勇気を出して尋ねてみる。


「すいません、手に取ってみても?」

「ッ!」


 フードを被ったままの店主がびくりと肩を震わせて、寝てたのかと思った俺を見もせずに「どうぞ」と呟いた。

 がさがさとした声は辛うじて聞き取れたものの、こちらを向くこともないし俯いたままの返事は物売りの態度としてはどうなんだと思わなくもないが、別にもてなしを受けたいわけではない俺は一番最初に目にしたナイフを手に取る。


「へぇ……」


 ナイフの目利きができるわけではないが、握り心地を確かめたり刃先を天に掲げてみたりして俺は手の中のそれを検める。

 柄の長さも申し分ないし、握った感じも悪くない。刃物を持つとなんとなく高揚してしまう俺は、そのまま鋭くなった刃を眺めた。

 よく磨かれた刃を備えた少し厚みのある刀身の、ひんやりとした金属の感触を確かめるように指先で触れる。


「……よ、よく……切れるので、お気をつけ、て」

「えっ?」


 唸るような低音で何事かを呟かれて顔を上げる、その時だった。

 ナイフを持つ手がブレたことで、ちくりとした痛みが指先に走る。


「あ、痛って……」

「……あ」


 指の腹が焼けたような小さい痛みに、瞬時に刃が当たってしまったと理解した。

 しまった、売り物なのに手を切ってしまったか。

 まだ買うと決めたわけでもないのに血をつけて汚したりしてないだろうか、と俺が汚れも曇りもない刃に目を向けて、次いで自分の指先を見た。

 しかし、不思議なことが起きた。


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