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ep8.理不尽と修練の果てに

目標:軍神を認めさせろ

 果たしてどれくらい死んだだろうか。

 結局この鬼畜獅子に満足いく一太刀を浴びせることはできず、どれも体を掠ったり手足を軽く斬るだけに至ったまま試練を進めていった俺は、無人の平野に一人立っていた。


 全身の神経を集中させて、指先に至るまで即座に反応できるよう意識を張り巡らせる。

 五感を研ぎ澄ませ、緊張の糸を緩めずに警戒する。

 ゆっくりと深く長く呼吸をして耳をそばだてて、周囲に目を配る俺は不意に首の後ろがヒリつくような嫌な予感を察知した。


 それは矢に貫かれて死んでいく度に、僅かながらに培われていった修練の賜物としか言えない第六感だった。

 僅かな風切り音、あるいは空気の乱れ、発射体のにおいなど言葉で説明できない情報の断片を頭ではなく体で感じた結果、考えるよりも前に体が動いた。


 振り向きながら深く腰を落として沈み込むと、俺の頭があった位置をどこからともなく放たれた矢が通り過ぎる。

 妙に感触のない大地を蹴って、低く跳ぶように駆ける。視線の先、何もない空間から二の矢が突如現れて飛来するが、方向さえわかっていればもはや躱すのは造作もない。

 矢の強さ、発射された角度、わずかに感じるにおいと呼吸音。何もない平野の上を駆けた俺は、自分が見極めた個所を目指して剣を振り下ろした。


 がぎん、と剣が受け止められる。それから、満足げな声が響いた。


「……見事!」


 すぅ、とまるでカメレオンのように風景の色に溶け込んでいた獅子の輪郭がその場に表れて、見慣れた色を取り戻した。

 獅子は斜めに振り下ろした俺の剣を大きな鉄弓で受け止めていて、目立った傷は負っていないように見える。すかさず俺は左の前蹴りを放つが、獅子はひらりとそれも躱した。


「よくぞここまで磨き上げた、見事な武であるぞ愁也よ!」

「そりゃ、どう……もっ! クソ野郎!」


 逃げる巨体を追ってぶん、と斬り上げる俺の剣を風に舞う木の葉のようにひらりと再び躱して、獅子は矢筒に手を伸ばしながら後ろに距離を取ろうとする。

 その巨体でどうやったらそんなに軽やかに動けるのかというのはここに来てからずっと思っていたことだが、今となっては避けんじゃねえという気持ちしか湧いてこない。


「うむ、我が武を存分に継ぎし貴様はまさにこの軍神アレスの遣いというに相応しい。どうだ、我のことを師匠と呼んでも構わぬのだぞ」

「うるせえ! いいから黙って、ぶっ殺させろ!」


 後ろに跳んで三本の矢を同時につがえた獅子が、バシュッと弦を鳴らして矢を放ちながら感激したような声音で本気とも冗談ともつかぬおぞましい申し出を投げかけてくる。


 まともな戦いにすらならない一般人を相手にここまで一切手を抜くことなく殺し続けてきたその精神は完全にイカれているとしか言いようがないし、アンタを斃すためにその戦い方を学ぼうとしたことはあるが千通り以上の方法で俺を嬲り殺し続けながら愉快そうに笑うその姿は神というより邪神そのものだ。

 そんな鬼畜野郎を師として尊敬したことは当然ながら一度も、むしろ一瞬たりともない。


 放たれた矢のうち、体に当たるものを剣の腹で受け止めて弾きながら獅子に追走する。勢いよく放たれた矢は確実に俺の命を狙っているもので、明確な殺意を感じると腹の奥が煮えるような熱を感じてその勢いのままに怒鳴り返した。

 それでなくとも、これまでのことを思い出すだけでもむかっ腹が立つ。手を変え品を変え、武器で、飛び道具で、時には毒や炎まで使って俺を殺そうとしてくるそのやり口には呆れを通り越して感心すらしてしまうほどだった。


 いつ終わるともわからぬこの地獄を、バリエーション豊かな獅子の対処法をゲームに準えて考え続けることでなんとか乗り切ったが、あとちょっとでこの剣でその体をぶった切れる、というところでまた戦い方が変わって一から考え直しになる絶望には我ながらよく耐えたものだと思う。いやほんとに。

 もうとっくに我慢の限界で達成感すら湧かないこのクソゲーを続けさせられる怒りを、俺は今日も獅子にぶつけるべくあがき続ける。

 俺と違って死んで蘇ることがないためか、衣服や体のあちこちに作った獅子の切り傷はそのままになっていて、明らかな致命傷こそ認められないものの最初と比べれば幾らかみすぼらしくはなったなと思った。ざまあみろ。


「うむ、だが貴様の覚悟は十分に伝わったぞ。これならば、貴様を主神の儀に……かの地に送り出しても問題なかろう」

「えっ……?」


 瞬殺されることが少なくなってきたころからこのような獅子の挑発が増えてきて、それに俺が罵倒で応じるのはここ最近の定番だった。

 どうも何もできずに死に行く相手より少しでも抵抗がある方が楽しいようで、戦闘時間が長引くほど獅子が上機嫌になっていくのが何とも胸糞悪かった。人が必死に抗うことでこのライオン野郎を興じさせているのは癪だったが、かと言ってこのまま引き下がるのも自分の決心がこの獅子に負けたようで許せない。

 何もかも手のひらの上かよ、と苛立ちながら俺は今日も挑み続けていたが。


 降って湧いた終わりの兆候に、思わず剣を振る腕が止まった。

 獅子がいつにも増して上機嫌なことも意に介してなかった俺は、聞き間違いかと思って身を強張らせた。


 その瞬間、やっちまった、と思った。

 どす、と頭の中に鈍い音が響いた。視界の上の方に、矢羽根のついた棒が俺に向かって生えていることに気がつくと、そのままぐるりと白目を剥いて俺は仰向けに倒れ伏した。


「隙だらけだぞ。相手を完全に殺すまで気を抜くなと教えたはずであろう、まったく先が思いやられる」


 お前に教えを乞うたことは一度もねえよと胸中で吐き捨てる。

 人をなぶり殺しておいていっちょ前に師匠面するその様は完全に異常だし、最後の最後まで腹の立つライオン野郎だとしか思えない。


 しかし……結局一本も取れなかったな、と。

 一瞬だけ頭が割れるような痛みを感じると共に、最早慣れたことのように俺は意識を手放した。


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