ep85.若き日のこと
目標:錫食い鉱を王都に納品しろ
数年前、下位の冒険者としてその実力を見出されていたオルドリウスは今日と同じように鉱山を訪れており、その頃はまだ他に数名の冒険者とチームを組んでいたという。
そこで幾つかの仕事を──鉱山一帯の警備や、魔避けの香を焚いて魔物を掃討する仕事だと本人の口から補足されたが、ともかく──を請け負っていたまだ若き日の虎は、長期滞在の拠点に決めたこの宿で仲間たちと食事をしているところだった。
「ちょうどそん時だ、まだ学生だったイレイネの嬢ちゃんが来たのはなぁ。あれももうだいぶ前になるか」
「もぐ……そうだな。あン時も変わらずアンタの頭はツルツルだったな」
話の折で、自分のことをダンと名乗った宿屋のおやじは、その目に当時の光景を思い浮かべているかのようだった。
毛むくじゃらが言いやがるぜとオルドの軽口を笑い飛ばして、ダンは話を続ける。
それが虎が初めてこの町を訪れた日であり、そして初めて冒険者として請け負った初仕事だったという。
ダンは、宿屋のおやじとして宿泊客やそれこそ冒険者など大勢見てきたが、この若い冒険者のことは不思議とよく覚えていたそうだ。
それからほどなくして、冬がやってきた。
虎を含めた冒険者の一行が泊まりに来た二回目の夜だった。一味の弓使いの男が、顔馴染みになった宿屋のおやじにここに宿を開いた理由を尋ねたことがきっかけで、それぞれが冒険者を志した理由について話題が転がる。
暖炉の前で集まって、宿屋が饗する温かい山羊乳で暖を取りながら、それなりに短くない関係ということもあって互いの身の上を語るのをダンは頷いて聞いていたという。
ダンがこの鉱山の町に宿を開いたのは、その昔日雇いの労働者としてあちこちを放浪していた時期に、世話になった宿で受けた歓待を忘れられず、いつか似たような宿を構えてあの日のように誰かへ感銘を与える宿を開きたいと思ったことがきっかけだったという。
そして現在も労働者に溢れるこの鉱山の町、ミオーヌでは同じように宿を求める労働者が後を絶たない。
美しく整備されながらも荒々しさの残るこの町で鉱山夫として働いていた経験を生かし、冒険者や労働者向けにこの町で宿を開いたのだと言った。
その話を聞いて俺が頷いたのは、それが夢を叶えた話だったからだ。
何かに憧れ、理想に近づくよう努力して、その結果勝ち得た話は冒険譚にニュアンスが近く、俺は素直に相槌を打って返す。
しかし、過去……その時宿屋のおやじと語らっていた冒険者の連中のほとんどはそうではなかった。
その殆どは、金のためだ。故郷の家族や、その日の糧のためと切羽詰まった理由のために冒険者を志していて、日銭を稼ぐことこそが彼らの主たる目的だったという。
それ自体は珍しいことではなく、むしろありふれた理由だった。
安定した収入を求めて手に職をつけるように、大きく稼ぐために命を安売りして傭兵になるように。
金のために冒険者を目指し試験に受かる若者というのは珍しくない。
そんな中で、年若い虎は語った。今まで語りたがっていなかったそれを、仲間にせがまれて渋々と語り出した割に、その語り口には熱があったとダンは言う。
虎は言った、幼いころ見たおとぎ話のような光景を、誰も見たことない宝の山や秘境を探し求めたい、と。
抱えきれないほどの黄金を見つけ、その資金でまたどこか果てへ旅に出て、冒険者という名前の通りに生きるのだと。
それを聞いた仲間連中の反応は……しかし、色の良いものではなかった。
ある者は大笑いし、ある者はまるで幼子を注意するような口振りで言う。
『だっはっは!! た、宝だとよ……! 呆れたぜ、オメーそんなガキくせぇ理想に命賭けてんのかあ?』
『……その、理想的だとは思うけど……オルドリウスのそれは、現実的とは言えないかな。あるかどうかもわからないものを探すより、明日食べるパンの心配をした方がいいって思ってしまうんだ。夢じゃお腹は膨れないだろ?』
『そうだね、あんたは悪くないよ。アタシだって最初はそんなことを考えたけどさ……命懸けで養わなきゃいけない人がアタシらにはいるんだ。夢とか理想とか、いつまでもそんなこと言ってられないんだよね』
何をもって冒険者を志すのか、まだ若いオルドリウスは知らなかった。
あるいは、最初に同じことを胸に抱いていたとしても、いつしか人はそれに折り合いをつけて現実を過ごすのだと。
夢に見た黄金や、隠された秘宝などはおとぎ話に等しい絵空事で、夢や理想では金は稼げないということを。
そして、そんな日々の中で己の信念を貫けるほど人は強くないということを。
若き冒険者は、初めて組んだ仲間たちにそのことを思い知らされた。
その次にオルドが泊まりに来た際には、もう一人だったという。
一体どんな話し合いが彼らの中であったのか、町の宿屋が知る術はないがオルドが『オルド』と名乗り始めたのはこの時期だったとダンは語る。
『へぇ、オルドって言うのか。同じ冒険者だし、よかったら俺と組まないか?』
『……いや、悪ィが一人が気楽なもんでな』
『アンタほどの風使いがなんだって冒険者なんかやってんだ? 食い扶持にゃ困らねえだろうに』
『別に……なンだってイイだろ』
それからだった、この虎がけして誰かと連れ合うようなことはなくなり、そればかりか自分が何のために冒険者をしているのかすらあまり人に語りたがらなくなったのは。
別室に泊まっている同じ冒険者にも、咄嗟に手を貸したのがきっかけで言葉を交わすようになった労働者にも。
誰に対しても等しく、それ以上踏み込んでくるなとでもいうような態度を取るようになったのだった。




