ep80.夢追人
目標:???
表情も変えず、俺への返事以上に何かを言うわけでもない虎の大きな手は指の一本すらぴくりとも動かず、固まったままである。
俺だけでなく、オルドの振るう剣すら弾く岩のような硬さの体表に覆われた大百足を、軽々と切断した大きな刃を放つ術を思い返す。
その程度はどうあれ、その威力を目の当たりにした身としては、代償もなくあんな破壊力のある魔法を放てるわけがないよなと逆に腕の様子を納得できてしまうのがなんだか悔しかった。
そうだ、剣と言えば。
虎から視線を外して、周囲を見渡すと汚れた服が置かれたサイドテーブルにそれが鞘と並んで立てかけてあるのを見つけた。
一安心するとともに、その有り様を恥じるように言葉を紡ぐ。
「剣、折られちゃってさ。焦ったよ。せっかく買ってもらったのに悪いな」
立てかけられた剣は、まだ使って間もないというのに刀身は折れて柄は汚れてと散々な様子だった。
折れた刀身は、土砂に埋もれた百足の背に刺さったままだろう。それを思うと、当時の自分の焦燥が蘇ってくるようでなんだか落ち着かない。
大体は百足が暴れたせいなのだが、折れたことに関しては無理に力を込めた俺のせいでもある。
綺麗に折れたことで、薄っぺらいひし形の断面を見せる折れた剣は自分の未熟さの表れのように思えて、俺は買ってもらったものを台無しにしたことも含めて謝罪を口にした。
それから、「今度は自分で買おうと思うんだけど」と努めて明るく切り出す。
「猪倒したときの金がまだあるからさ。それで、よかったらオルドがおすすめの店とか鍛冶職人さんとかって……」
「……夢のためだ」
俺の話を遮って、ぽつりと虎が呟いた。
えっ、と俺が言葉を止めて窓側に振り向くと、虎は壁にもたれたまま目を合わせないように部屋の中空を見つめて話し始める。
「俺が冒険者なんて安定とはかけ離れた仕事を続けてるのはな、金のためでも名誉のためでもねェのさ」
ずきりと頭が痛むのを堪えて、俺はそれを黙って聞いている。
どうして急に虎が自分の出自を語り始めたのか、どういう意図で話し始めたのかの見当がつかなくて。
「海のどこかに沈んだ都市、遺跡の奥深くに眠る古代の秘宝。誰もがお伽話だと笑うが、それが存在しないことも、誰かの想像であることも証明されちゃいない。絶対どこかにあると、今でも思ってる」
僅かに落とされた視線は、俯くようでもあり、ベッドの上の俺の足を毛布越しに見つめているようでもあった。
冒険者だから、金目のものとか古代の宝とかに目がないのかとだけ思っていた。
それは冒険者という職業が職業である以上、金を稼ぐための手段のひとつでしかないからだ。
この虎も、金のために冒険者をしているわけではないと言っていたが、日々の口ぶりから貴重な宝や財物には興味がありそうなのでその根幹は変わらないと思っていた。
「俺は……誰も見たことがねェものが見たい、そのために冒険者を続けてる」
だが、どうやら違うらしい。
この虎の偉丈夫にとっての冒険者稼業は金を稼ぐためではなく、夢を叶えるための手段だということだ。
それこそが、魔法も使えて他に働き口も多いだろうオルドがわざわざ危険の多い職業を選ぶ理由だった。
他に方法がないから仕方なく、とか。金儲けのために嫌々で、とか。
そういうことではなく、目の前の虎は命がけの冒険こそが目的であり手段だということだった。
「……うん。なんとなく、わかるよ。そんな気はしてた」
「命がけで、在るかどうかもわからねェもんを本気で探してるバカな男だと思ったか?」
珍しく自嘲的な口ぶりを取る虎に、俺は苦笑いで返す。
見たことがないものってなんだよ、という気持ちがあまり湧いてこないのは知らずのうちに俺がその話に共感しているためだろう。
「そう……だな。命がけで、必要のない危険に身を晒すバカとおんなじだって思った」
それは、ファンタジー世界に憧れ、現代日本じゃ見れないものを求めて冒険の日々を望んだ俺と同じだ。
俺も命がけの冒険がしたくて、冒険者になることを選んだ。
理由もなく誰かと戦ったりいたぶったりすることが嫌いなのはこの先も変わることはないだろうが、俺の目的は命を賭けた先でようやく果たされるのだとしたら、俺の冒険を邪魔する障害は何に代えても取り除くことだってやぶさかでないように感じられた。
それが忌み嫌う争いの火種になったとしても。
今回のように痛く苦しい思いをしたとしても。
俺はあんたと違う、自分の目的のために正しくこの力を振るってみせる。
頭の中でしたり顔する白獅子に正面から言い返すと、少しだけ頭の痛みが遠のいたようだった。
俺の自虐を虎はフンと一笑に付すと、ベッドに座り込んだままの俺に目を向けた。
「そんなバカに命を救われた大バカをどう思う?」
「生きててよかったと思う」
今にして思えば、俺は証明したかったのかもしれない。
俺はあんたに守られ助けられる対象じゃない。
庇護を受けるほど弱くはないし、逆に危ないときは助けてやることもできるんだ、と。
それは相手がネコ科だから、俺を弱者として扱うような態度が気に入らなかったのかもしれない。
どこかの誰かを無意識に重ねて、自分だってネコ科の野郎と同等に戦えるんだとトラウマめいた幼稚な反骨精神を抱いていたためかもしれない。
ただ、それだけのためにわがままを言って、あそこまで無謀な行動に出たのだと思うと我ながらとんでもないなとは思う。
それでも、ここまで俺を助け、そしてこの世界での生活をもたらしてくれたこの虎にただ認めてほしかった。
今にして思えば……そういう思いが、まったくなかったとは言い難い。
力強い眼差しをぶつける俺に、オルドはだらんとして動かない両腕をそのままに肩をすくめて返す。
「まったく、同感だ。……よく戻ってきたな、お前さんもしぶとい野郎だぜ」
そう言って、ようやくいつもの意地の悪い笑みを俺に見せたのだった。




