ep77.あのまま目が覚めていなかったら
目標:???
下半身に気配を感じて、目が覚めた。木の梁を張り巡らせた天井が目に映る。
何か嫌な夢を見ていた気がするが、その一切が思い出せなくてすっきりしないのはひとまず置いておいて、頭がずきりと痛むのを堪えながら視線を下に向けた。
「…………あの、い、イレイネさん?」
「あッ、スーヤ様! お気づきになられたんですか!?」
肩までの茶色いショートヘアを揺らして、鼻筋の通った女性が歓喜と安堵の入り混じった表情を見せる。
上半身裸の俺が、唯一身に着けているズボンの腰に手をかけながら。
「はっ……い、いえこれはお召し物を変えようと思っただけでして!」
イレイネは強張る俺の視線の先を見て、誤解されかねないことに気付いたのかパッと手を放してあわあわと弁明する。
何かいかがわしいことをしようとしていたのでは、と僅かに狼狽えてしまうが、そんな平和な光景にどうやら助かったらしいという安堵が先行してどことなく張り詰めていた気持ちが緩むのが感じられた。
ベッドの脇には替えのものらしい濃茶色のズボンが添えられていて、言葉通り意識を失っていた俺を看病してくれていただけとすぐに理解すると共に、なんだか懐かしい気持ちになった。
寝たきりになったばかりの頃は家族以外に体を見せることにも抵抗があったが、今ではすっかりそれに慣れた俺が自分が上半身裸なことも、イレイネが傍にいることも全て看護のためだと好意的にすんなり解釈できたのは、長い入院生活の影響かもしれない。
看護してくれる人が、ましてやイレイネがそんなことをするわけがないと動悸を訴える自分を切り捨てて、がさがさに乾いた喉を無理やり震わせて礼を言った。
大丈夫です、と言うだけでも一苦労で、そういえば耳と首元の石は壊れてないよなと危ぶんだものの、問題なく伝わったようだった。
それを聞いたイレイネは心配そうに頷いて、ベッド脇の木のスツールにも座らず立ったまま控えているので看護師というよりメイドみたいだなと思った。
女性の前に裸を晒している気まずさも、自分が病人、怪我人なのだから仕方ないと思うとすぐにそんな考えも浮かばなくなった。
全身が軋むように痛むのを堪えながら上体を起こして、周りを見渡す。
すかさずずきりと頭が痛んで、目の奥が突き上げられているような痛みすら覚えた。
それだけでなく脇腹にも鋭い痛みが走って、肩や腕のあちこちは鉛を張り付けたように重く、全身の筋肉はびりびりとした筋肉痛を訴えている。
「痛っ、つぅ……」
「大丈夫ですか? まだ起き上がらない方が……」
上体を中途半端に起こしたまま思わず蹲って痛みに呻く俺に、水の注がれた錫のグラスを差し出すイレイネが心配そうに声を掛ける。
俺は軽く首を振りながらなんとか起き上がると、持ち上げるだけでもびりびりとする腕でグラスを受け取って迷いなく口をつけた。
特に冷やされているわけでもないのに、冷たく感じるぬるま水がつるつると食道を滑り降りて体を潤していく。
グラスを受け取った利き手はともかく、反対側の手は皮がずる剝けてずきずきと痛みを発していたので、今後の日常生活に支障を来しそうだなとちらりと思った。
「目に見えていた外傷はある程度治療いたしましたが、お加減はいかがでしょう? ほかに痛むところはございませんか?」
どうやら自分が泊まっていた宿屋で寝込んでいたようで、二つ並んだツインベッドの片方に俺は寝ていた。
グラスに注がれた水の半分を一息に飲んだ俺は、改めて助かったのかと安堵に背中を丸める。
体のあちこちは痛むが、動けないほどではなさそうだった。グラスから口を離すと同時に片方のベッドが空いているのを見て、俺はさっと血の気が引いた。
反射的に、傍に佇むイレイネに尋ねる。
「イレイネさん、オルドは……?!」
その名を口にしてようやく、フラッシュバックするように意識を失う直前の記憶が呼び起こされた。
降り注ぐ岩の塊。全身が麻痺したように動けなくなっている虎。ヘッドスライディング、あるいはダイビングキャッチよろしく頭から飛び込んで、その巨体を突き飛ばす俺。
そこで俺の記憶は途絶えていたが、もしかしたらあの後にさらなる崩落が起きて、お互い生き埋めになって俺だけ命が助かったのではないかと焦りにも似た不安が胸を占める。
そんな俺の胸中を察してか、イレイネは俺を安心させるように微笑んだ。
「ご安心ください、無事ですよ。今はこの度の討伐について冒険者ギルドまで出ておりますが、すぐに戻られると思います」
その報告を受けて、憎たらしいネコ科が無事だったと聞いて……俺は、胸のつかえがとれたようにほっと息を吐いた。
「そうか……無事だったんだな」
「はい。それに……動けなくなったスーヤ様を運んでくださったのもオルド様なのですよ」
えっ、と俺が驚くのを見て、イレイネは笑んだまま続ける。
「そして、この度の大百足討伐誠にお疲れ様でした。まずは管理組合を代表して、この町に住むただのイレイネとしてここに深く感謝を申し上げます」
そう言って深々と頭を下げると、イレイネは茶髪を揺らして俺が意識を失っている間の顛末を語り始めた。




