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ep75.神々の語らい

目標更新:大百足を討伐しろ→???

 かつ、かつと暗い堂の中で足音だけが反響していた。

 頭から爪先まで覆うような丈の長いローブの裾を地面に引きずり、ゆったりと歩を進める影が一つ。


 深くフードを被ったその人影は、堂の中を進み視線の先に捉えた背中へまっすぐ近寄っていく。

 淡い光にわずかに照らされている巨体は、発光して映像を映し出す床面を大樹のように微動だにせず見つめていた。

 穏やかで、それでいて軽薄そうな男の声が響く。


「あぁ、ここにいたんだ。自分の領域にいないからどこ行ったのかと思って」

「……何用だ、夢の神」


 男の声に、目線すら返さない唸り声が応えた。フードの男は、見上げるような巨体に肩を竦めながら語り出す。


「大した用じゃないよ、そろそろ一年の終わりだろう? それで、せっかくだし十二神達でちょっと集会でもしようかと思ってみんなに声をかけて回ってるんだ」


 巨体に並び立ちながら、男は続ける。


「主神の儀に臨むに当たってみんな思うところはそれぞれあるだろうし、この際色々なテーマを持ち寄って腹を割って話し合うのもいいんじゃないかなって思ってね。……でも誰も参加してくれなくってさぁ、『主神の座を奪い合う敵と顔を合わせる気にはならん』ってアポロには冷たく言われるし、『そんなことよりあなた年末の調整儀式終えたのでしょうね』ってヘラ様には怒られるしで……みんな冷たいよねぇ」


 男は声真似をするように限りなく低く呟いたかと思えば、今度は裏声で女声を真似て飄々と語る。


「戦い合ってるのは僕達じゃないってのにナーバスなことだよ、我々がいがみ合わないための儀式なのに。これじゃ本末転倒だよ! 創世紀を駆け抜け共に召し上げられた僕達十二神の絆はどこ行っちゃったんだよ、まったくもう!」


 心外そうに語る男の声には明らかに棘が埋まっていたが、しかし隣に立つ巨体が無言で見つめている視線の先を見るや否や打って変わって冷静に、得心したように続ける。


「……また見てたんだね。わかるよ、自分の領域で見るよりこっちの方が画面大きいものね」


 あっさりと転身した男が見下ろす先、円形に光る床には映像が映し出されている。

 誰かの視界をそのまま撮影したような、一人称視点のそれは揺れやブレがひどいものだったが、男も、その隣の巨体も文句を言わずにそのサイレント映画を見つめていた。


「でも、ちょっと意外だったな。キミのことだから、もっとこう……それっぽい子を遣うのかと思ったのに」


 野暮ったい黒いローブに全身を包んだ男が、すい、と光を放っている床面の上にかざすように手を動かすと、パっと画面が切り替わる。


 同じく誰かの視界をそのまま画面にしたような映像は、どうやら大きな剣を構えたまま視界の先で落石の中を駆ける一人の男を見つめているところだった。

 棺桶サイズの岩塊が降ってきて、音がしそうなほど画面が揺れて映像がブレる。それで、あわやというところで焦点の先の青年は脇を抜けるように岩雪崩を回避する。

 フードの男はその光景を見つめながら予め用意していたように口笛を吹くと、何の感慨もなく「ヒヤヒヤするねぇ」と感想を口にした。


「ほら、波長の合う子の方が力も加護も授けやすいし、色々とやりやすいだろ? その辺り、こっそり調整するのかなーって思ってたんだけどね、事実僕もそうしたし」


 見下ろしている映像の中で、視点の主が落下してきた巨大な虫を相手に剣を振りかぶる。

 男はローブを姿のまま肩を竦めて、隣を見上げた。


「他にも何人か同じことしてるだろうし、キミもそれくらいしても良かったんじゃない? って思ったけど……そもそもキミ自身がそこまで熱心じゃなかったか。でもさ、純粋な疑問なんだけど……」


 相手が応えないのをいいことに一方的にまくしたてる男の声が、次第に剣呑さを帯びる。

 その声音は、核心に触れる緊張に僅かに張り詰めていた。


「主神には興味ないくせに、何をそんなに気にしてるんだ? こっちからの干渉はもうできないはずだろ、やっぱり血も涙もない軍神でも自分の力を分け与えた遣いは気になる?」


 ふぅ、と隣の巨体から息が漏れる。

 白い鬣が揺れて、ともすれば無機質にも取れる獣の目がきろりと尋ねた男に向けられた。


「……くだらん」


 一蹴した声は、必ずしも気に障ったというワケではなさそうだった。


「神の権能、加護、付け焼刃の技能。斯様な紛い物を当てにする遣いを我が尊ぶとでも?」

「……ってことは、まさかとは思ったけどやっぱりキミ……」


 低く唸るような声で宣うので、男は思わず反応してしまう。

 何かに感づいたような男が全てを言い終わるのを待つことなく、片腕が肩ごと出る民族衣装に全身を包んだ白い獅子の獣人は眼下の映像に目を向ける。


「我がここで見定めんとしているのは……我が弟子の武の研鑽、その覚悟である。軍神アレスの遣いとして、あの魂が何を成すかを見届ける責を果たすまでだ」


 視点の主が剣を取り落として、緩慢に退こうとするのを……突っ込んできた両手が突き飛ばす。

 視界が揺れて、崩れ始めた天井が映って、視線が戻る瞬間に微かに岩に飲み込まれる肌色の腕が見えた。

 男はそれを眺める白獅子の反応を確かめるように覗き見て、「でも」と切り出す。


「それだけにしては……キミ、ずいぶん楽しそうだけど」


 再度、フッと息が漏れた。男は、それがこの白獅子の笑い声だと気がつく。

 白獅子は再び男に目を向けて、不敵な笑みを浮かべた。


「当然だ。それが如何なる終わりを迎えようとも、己が手で鍛え抜いた剣がどのように振るわれるかを眺めるのは……愉しいものであろうよ」


 そう言われた男は……降参とばかりに諸手を中途半端に挙げると、そのまま踵を返してもう一度肩を竦めた。

 うつ伏せに横たわったままぐったりとしている青年の姿を映し出す映像に白獅子は手をかざして、床に映し出される映像を切り替える。

 それを、発光しながら暗転したままの画面を横目に見ながら、男は肩越しに言い放った。


「……相変わらず、戦闘狂の考えることはわからないけど……まあいいや、実のところ主神の座に興味ないのは僕も一緒でね。お楽しみのところお邪魔して悪いんだけど、集まりには是非来てほしいな、今のところの参加者は僕一人だけど……トークテーマはもう決まっていてね」


 男はそこで一度言葉を区切って、幾らか声を潜めた調子で続ける。


「誰が主神を……ゼウス様を消したかって話さ、気が向いたらいつでも来てくれ」


 フードの男がとっておきのカードを切るが、白い尻尾を一度だけ波打たせて持ち上げる以外に布を体に巻きつけたような装いの背中からは反応らしい反応が得られない。

 しかしローブの男もそれを気にした様子はなく、一歩踏み出してその場を後にする。

 かと思えば、数歩進んだところで「そうだ」と思い出したようにローブの裾をなびかせながらもう一度振り返った。


「うちのが色々と嗅ぎ回ってるみたいだけど……そっちは僕の入れ知恵じゃないってことを先に言っておくよ。力を貸したのは僕だけど……キミのとこの子が何に巻き込まれたとしても、悪しからず」


 もっとも、キミがそれを気にするとは思わないけど。


 それだけ言い残して遠のいていく足音に、はたまたその言葉に……軍神アレスは嗤う。

 闇を映し出すばかりの映像を見つめるその瞳には憧憬の色が浮かんでいた。短いマズルの端に獰猛な笑みを浮かべて、呟く。


「……構わぬとも。如何なる苦難が待ち受けようと、貴様の生きる意志はそう容易く消えはしない。そうだろう、愁也よ」

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