ep73.活路の仕掛け
目標:大百足を討伐しろ
仕掛けを施してどれくらいが経っただろう。
相変わらず百足はごりごりと強靭な顎で岩盤を砕き、剥がれ落ちた鉄鉱、時に覆うような消化液を俺に振りかけてくるが、ありがたいことに俺はまだ五体満足で動けていた。
しかしずっと見上げているので首は痛いし、異物感でずきずきと痛む目は砕けた石や砂の粒が入って真っ赤になっているだろう。
振りかけられた消化液の飛沫でズボンはしゅうしゅうと煙を上げて穴が開いているし、そのせいか腕からもヒリヒリと焼けるような痛みを発していた。
それでも天井の百足から、降り注ぐ岩群から目を離したらそれこそ目も当てられないことになるはずだ。
広間を横切るように駆け抜けると、俺を折って土砂が次々と落下してくる。
脇を切った傷から流れた血で胴体はもとよりズボンまで濡れてしまっていて、動くたびにぐちゃぐちゃと音を立てるのが鬱陶しい。
避けるまでもない細かい石であちこちを打ってずきずきと痛むし、靴の中にいつの間にか入り込んだ小石は足の裏に痛くて不快だ。
髪の毛もとうに塵や砂まみれで服もどろどろに汚れていたが、それでも俺は永遠に続くとも思われる岩の雨の中で駆け抜け、踊り続けた。
「スーヤ、もういい。戻れ!」
ポケモントレーナーみたいな文句だなぁなんて見当違いのことを考えながら、ごすんと目の前に落下してきた岩を跳び箱のように飛び越えて、後続の岩粒を避ける。
自分の呼吸で肺が破れそうだ。酸素を必死で吸う俺にはそろそろオルドを気に掛ける余裕がない。
もういいと言われても、ほかに手立てなどないだろうに何を馬鹿なことを。
勝手についてきたのは俺だ、それもお前に庇護されるために来たわけじゃない。
「戻って、どうすんだよ……! っぜぇ、いいからっ、オルドはっ剣構えとけ……っての! はぁっ」
喘ぐような呼吸を繰り返しながら、俺は口の中に入った小石をそこら辺に吐き出した。
そう、百足が天井に張り付き、岩を落とし始めた時点で俺達は半分詰んでいる。
このままオルドのところに下がったところで、オルドの風ではこの岩雪崩の質量は防ぎきれず二人まとめて潰されるだろう。
逆に逃げようにもこのスロープを登りきる前に攻撃されるのは目に見えていて、仮に狭い坑道まで逃げ切ったとしてもその中を追われれば迎え撃てるわけもない。
撤退も継戦も、進退窮まった俺達にはこれしか道がない。
どちらかを犠牲に退却するくらいなら、俺の仕掛けが奏するのを待つか、あるいはオルドに構えてもらった魔法をそのまま放ってもらって俺もろとも、あるいは仲良く崩落に巻き込まれるかしか選択肢はないのだ。
しかし、これだけ待っても結果が出ないとなると、仕掛けはうまくいかなかったのかもしれない。
それはそうだ、冒険者が入念に準備したものならまだしも、ずぶの素人が思い付きで巡らせた策なんてうまく機能するわけもない。
じゃあ俺はこのまま力尽きるまで岩を避け続けるより早々に潰れて、満足して降りてきた大百足をオルドに斬ってもらったほうが建設的じゃないか。
そんな考えすら頭を過ぎる。
いつ終わるとも知れぬ苦しみには慣れたはずだったが、楽になってしまえという悪魔の囁きには抗しがたい魅力があった。
なんで俺こんなことしてるんだっけ。
生きていたころも苦しかったのに、死んでなお苦しい思いをして、せっかく楽しいことが待ってると思ったらまた痛くて苦しい思いをして。
考えるのも面倒だ。思考に回す酸素がなくて、八つ当たりのように強く地を蹴る。
この足を動かし続けるのは、もはや意地と執念以外に説明のつかない、泥臭い底力のためだった。
そして。
降り注ぐ岩の勢いが弱まる。
頭上の百足はぴたりと動きを止めて、ぎちぎちとしきりに顎から突き出た牙を動かしている。
俺はふらふらと覚束ない足取りで、近くに落ちてきた棺桶サイズの岩に手を突いたまま、痛む首を酷使して百足の姿を見上げる。
明らかに何か異常をきたしている様子に、痙攣するように全身を跳ねさせている様子を認めると……視界の隅で、壁沿いで倒れてまだ燃えている薪をこぼす灯火台に目を向けた。
脂をよく含んでいる薪は大部分が炭化しているもののまだめらめらと炎を上げていて、その上に置かれたそれは焦げてぶすぶすと煙を上げていた。
細く、しかし絶え間なく狼煙のような煙を立ち上らせているのは……イレイネから受け取った、あの布袋だった。




