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ep72.今更ご都合主義

目標:大百足を討伐しろ

 あぁ、これは駄目かもな。


 心のどこかで諦めてしまった自分がいた。次の瞬きの瞬間には、この足は俺を貫くだろうということがよくわかってしまったからだ。

 この状況から無傷の生存は絶望的で、その射線から全身が逃れることは難しいのを認めた俺は、勇ましいことを言った割に結局はこういう末路かと迫る死を冷静に見つめていた。

 それを、これで終わりか、と萎んでいく自分がそう思うのと同時に。

 それでも諦めきれない、死んでたまるか、と死に瀕してなお気勢を上げる自分がいた。


 岩の上を転がった体は痛いし、脇の傷口からは血が止まらない。

 土だか砂だかで口の中はじゃりじゃりして不快だし、縋るように折れた剣を握って嵐のような呼吸で必死に酸素を取り入れている自分は惨めだ。

 思い描いていたゲームの主人公や、読んでいた異世界転生の主人公はこんな目に遭うことはなかったのだろう。

 自分は今、想像していたものからは随分離れてしまったように感じた。


 でも、それが理想と異なっているとは思わない。

 現実がフィクションのようにうまくいくはずがないことは、良く知っているだろう。

 物事がいつだって自分の思い通りに進むことがないのも、良くわかっているはずだ。


 だからこそ、出しゃばらなければよかったとか、オルドに任せておけばよかったとか、そういう思考は全部邪魔だ。

 自分で戦う道を選んだのなら、何に替えてでも成し遂げるのだ。でなければ俺は何のためにここに来たというのか。


 それに、ここで死ねばあの虎にどう思われるかは目に見えている。

 冒険者として先を行くあの男には、このネコ科だけには、そんなものかと失望されたくない。

 やっぱりな、なんて落胆させたくない。


 だから、こんな虫野郎に殺されるわけにはいかないのだ。


 瞬間、見えている世界が速度を落とす。

 どくどくとうるさい鼓動がやけに近くに感じられて、皮の剥けた両手が火が付いたように熱い。

 熱を発しているためか、地に突いたままわけもなく小石ごと握りしめた拳に妙な感覚を覚える。


 手の中の小石と掌の境界線が曖昧になって溶け込むような、奇妙な感覚。それは逆の手に握る剣の柄にも同じことが言えた。

 木に革を巻いてグリップ性を高めた柄が、自分の手の一部のように感じる。刀身は折れて、刃も欠けたその剣の存在を見なくともその姿を克明に頭の中に思い描けた。


 しかし、今はそんな感覚を気にしている暇はない。


 自分の体が思い通りに動く。

 筋繊維の一本一本が意のままに操れる全能感。


 回避の間に合わない俺に迫る百足の質量を正面から受け止めるのは無謀そうだった。

 無理やり体を捻ってその軌道から逃れつつ、振り下ろされる脚をせめて弾けないかと俺は立ち上がる途中の姿勢のまま両手を添えた剣で斬り上げるように腕を振るう。


 足先が俺の耳を掠めるような紙一重のタイミングで逃れたが、それでも百足の足は俺の胴体を捉えている。


 これを弾くばかりじゃなく、綺麗に切り落とすことができればな、と思わないわけではなかった。

 すぱっと切断して、その断面は輪切りにしたみたいに綺麗に足の筋肉が蠢いていて、こんな風に緑の血が流れて行って。


 その予兆はなかった。だからこそ、確信もない。

 あるいは、俺が単にそれを見逃していただけかもしれなかった。

 俺が脳内でそれをイメージしたのが先か、それとも現実に舞い込んだのが先かということすら判然としないのは、目の前の現象があまりにも現実離れしていたからだ。


 振るった俺の剣は、銀貨数枚で購入した安っぽい折れた剣は……虎の剣すら弾く硬さの魔物の脚を、豆腐か何かのように軽々と切断していた。


 しゃがみ込んだまま振り上げた腕で、タイミングを合わせて顔の前を払うように斬り上げる。頭上の大百足の脚は突きこまれる槍よりは早くなかったから、攻撃を合わせるのは楽だった。


 ただ俺は半分死んだものだと思っていたし、精々が軌道を逸らせればいいという程度だったので、今自分に去来したこの現象には驚愕するほかなかった。

 自分の脳がそれを現実と認識するのを拒むが、滴る体液はそれが紛れもないリアルを俺に立て続けに主張する。


「えっ……あ、あれっ?」


 ごとんっ、と切り離された百足の脚が俺のすぐ傍に落ちて我に返った。

 慌てて起き上がってその場から退くと、間合いが取れて安全を確保したからか急速に先程までの感覚が遠のいていくように思えた。


 今のは、一体。


 これまでにも戦っている時に集中にも似たあの感覚を覚えたことはあったが、先程のは明確に何かが異なっている気がした。

 あれだけ硬かった百足の足に、ずぶりと折れた剣が労せず沈み込む感触。

 そして、何故かその断面がわかっていたように切り離される足。


 俺如きが土壇場でそんな芸当を実力でこなせるわけもない、何か理由があるはずに違いないが合理的な解釈は到底見つかりそうになかった。

 もしかしてこの剣に秘密があるのかと視線を向けても、代わり映えのない折れた断面がそこにあるだけだ。


 明らかな異常事態を説明する鍵はあの体内の感覚が握っているはずだと直感して、もうそれを一度探ろうと思ってもあの時感じられた全能感や、握る剣が一体化したような感覚は自分の中からとっくに消え失せてしまったように影も形も感じられなかった。


「クソ、何だってんだ……?!」


 まさかご都合主義的にピンチで覚醒でもしたのか、と高揚する気持ちはあったが、それ以上に強い困惑を抱えながら、俺の頭は手がかりのないそれを追うのを断念して、目の前でのたうつ巨体を見据えた。


 百足はギィギィと声を上げるばかりで、距離を取る俺に追撃してくる様子はなかった。

 思わぬ攻撃に怯んでくれたのか、足の断面から締め忘れた蛇口のようにだらだらと流れ出る緑の体液で採掘場の床を汚して戸惑った素振りで悶えている。

 あれだけ人のことを攻撃して、今この場にない命を奪い尽くしておいて自分の身を案じるような虫の素振りに無性に腹が立つ。


「っはぁ、はあっ……! テメェ、そんだけ足があんだから、一本くらいで騒ぐんじゃねえよ……!!」


 息を切らしながら虚勢を張りつつ、しかしもう一度同じ芸当ができそうもない俺は今のは偶然でもなんでもないのだという態度を保つ。

 今のが良いハッタリになったようで、百足との間に気まずい膠着が訪れた。

 今のうちに一秒でも多く稼げれば、と思った俺を他所に、しかし大百足が動きを見せる。


 がさがさと足を動かして採掘場の床を這い、壁に張りついた。

 どこに行く気だと思った俺を放置して、百足はそのまま壁に空いた巣穴に潜り込んでしまう。


 緑の絵の具を刷毛で擦ったような跡を床と壁に残した百足に、まさか逃げたのかと危ぶんでいると頭上の気配に気づく。

 ごごご、と地面を震わせる振動を発して巣穴の中を這い回っているらしい百足は、今度は天井に空いた穴からにょろりと姿を現した。


 壁の巣穴は天井に繋がっているのか。

 完全に照らしきれない天井に張り付いて、とてもじゃないが俺達の手が届かない高さに陣取った大百足を最初は戦意をなくしたものだと思った。


 しかし俺の予想より数段も小賢しいことに、百足は暗闇の中でがつんがつんと音を立てて岩盤を砕くと、下層にいる俺達へ岩を落とし始める。

 遠近感を計りかねる薄暗い闇から、わずかな風鳴り音を立てる落下物に俺は目を見開いた。


「っそ、そんなんアリかよッ!?」


 砕けた細かい粒を伴って、サッカーボール大の岩から俺の体ほどもある鉄鉱などが次々に落下してくる。

 天井を見上げたまま、落ちてくる岩雪崩から懸命に逃れる俺は横目でオルドのことを一瞥した。


 どうやら狙われているのは俺だけで、虎が剣を構えている部屋の端は比較的安全なようだった。

 だからといって俺がそこに逃げ込むわけにはいかない。なるべくその一帯からは離れるように岩の雨を避けると、頭上の百足は俺を追って岩を降らしてくる。


 向こうに被害が及ぶことはないだろうが、この状態ではオルドの傍に近寄れないので半ば叫ぶように問いかける。


「オルドっ、ま、まだかっ!?」

「あと少しだ! だが、これじゃあ打てねェ!」

「なんでさ!」

「天井ごと崩して生き埋めになるワケにはいかねェだろ!」


 怒鳴り返した虎は半分嘆くように、「つっても、今のままじゃ時間の問題かもしれねぇが」と付け足した。


 この状態で巨大な百足の体に見合うほどの空気の刃をそのまま放てば、百足はおろかその天盤にまで被害が及ぶことは俺にも想像がつく。

 確かに、これだけ立派な巣穴を岩盤に堀っている以上崩落の危険性はかなり高くなっているだろう。

 それこそ百足に自滅覚悟で坑道を落盤させられでもしたら厄介だし、この虫は岩に埋められても平然と生きてそうなイメージもあるが、さておき。


 虎の懸念はもっともである。

 落ちてきた岩の上に乗って、跳ぶように避けながら俺は納得した。


 であればなんとかして降りてきてもらう必要がある。

 しかし上に張り付く百足に有効なものなんて何も持ってないし、弓矢があったところであの外殻ではびくともしないだろう。

 ならば今度こそ、上に張り付いているのをいいことに一旦退却するほかないが、スロープを駆け上がっているところを狙われる可能性もある。


 どうする、何かないかと上から降ってくる岩を避けつつ、一瞬だけ周囲に目を巡らせた。


「くッ……一か八か、打つしかねェか……?」


 それで、落石の振動で倒れた火鉢を視界に捉えて、思いついた。


「……オルド、その場で待機! いつでも打てるようにしておいてくれ!」

「あァ……?! どうするつもりだ、テメェ!」


 どうもこうもない。

 やらなければ、やられるだけだ。降り注ぐ岩の隙間を縫うように避けながら、俺は仕掛けを施す。


 うまくいけば、天井に張り付く百足を引きずり落とせるかもしれない。

 ただしそれは、鉱山が崩落するのが先か、はたまた俺が岩の下敷きになるのが先かという賭けではあるが、やらないよりはマシだと思った。


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