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ep71.時既に遅し

目標:大百足を討伐しろ



 だが、今はそんなことを考えるより、迫りくる大百足の頭をどう避けるかに思考を割いたほうが利口のように思えた。


「っ、あぶねぇっ!」


 ぎち、と頭の下から突き出て蟹のハサミのように動いている牙状の顎が俺を挟もうとするのを、横に逸れて躱した。


 まだ一分も戦っていないというのに、早々にくたばってたまるか。

 何があっても対応できる距離を保ちながら、俺は大百足の注意を引くべく拾った石ころを顔に向かって投げつけたり、ばたばたとボートのオールのように上下する足の傍を通り抜けざまに折れた剣で叩く。


 正面に立つと伸びるような突進をもろに食らってしまうだろうというのは上から虎の立ち回りを見ていた時から気づいていた。

 なるべく側面を取って動き続けるのは、人でも猪でも、ましてや虫でも同じことらしかった。


「っ、ぐぅっ……!」


 一本で俺の頭から尻まで軽々と串刺しにできるだろう足が踊って、土煙を上げて俺に迫る。

 あちこちが刺々しく節くれだっていて、まさしくカニの足のような見た目の硬い殻を叩いて痺れた腕を抱えながら、時に横に、時に後ろへ避ける俺は百足に一撃入れて怯ませるための手段がないことを歯がゆく感じていた。


 攻撃しようにも虎の膂力で打ち付けて多少揺らぐだけの硬い殻に覆われた体を相手に、俺の力で傷をつけられるイメージはまったく持てない。

 せめて異次元の切れ味が剣にあれば黒々としたカニの足に見える一本くらいは切断できるだろうが、そんなものがあるはずもない。


 更には背中の節目を狙おうにも百足ははっきりと俺を標的として狙っているようで、背後に回ろうとする俺を逃さず意外にも機敏に俺に頭を向けて捉えてくる。

 とぐろを巻くように回転して外敵から目を離さない百足を振り切って背後に回るのは俺の脚力では難しそうで、そもそも折れた剣では関節部分を貫くことすらできないだろう。


 素手で戦うというのも実に馬鹿げている。電柱のような太さの足に組み付いて折るイメージはいくら何でも非現実的だ。

 結局俺は安全な距離を保つべく足を動かして回避し続けるだけしかなく、わかってはいたことだがこれが思ったよりも苦しいものだった。


 視界に映った虎は、部屋の隅でしかめっ面のまま剣を正面に構えている。

 集中しているようでありながら、その頭部では欠けて不揃いの耳がちらちらと俺と百足の攻防を気にして揺らいでいるのがバレバレだった。

 心配そうにしてるなぁと俺は他人事のように思いつつ、大百足の周囲を回って足を動かし続ける。


 ぶんぶんと頭を振るう大百足から距離を取って、ふと背後に壁が迫っていることに気がついた。

 下がりすぎたか、これだけ大きな敵相手に壁際に追いやられて逃げ道を絶たれるのは避けたい。

 短く跳ぶようにステップし続けている足に力を込めて方向転換すると、何かにつまずいて思わず体勢を崩してしまう。


 足元を見れば、転がる岩塊が俺のつま先に引っかかっていた。

 蹴飛ばすには重いそれに俺から足を挟ませてしまったようで、慌ててその岩を足で転がした。

 白獅子に殺され続けている時は何もない平野だったので失念していた、そういえばあの野郎も戦いの場は刻一刻と変化する、とかなんとか言ってたっけなあ。


 クソ、ドジったと思った俺が体勢を整える暇もなく、電車みたいな勢いで大百足が俺に突っ込んできた。


「ッ、スーヤ!」


 天井どころか山全体が崩れるのではないかという地鳴りに、血相を変えてオルドが叫ぶ。


 そんなに人のことを気にして、飛剣の工程とやらはちゃんと繋げられるのか心配になる。

 轟音を響かせて大百足が採掘場の壁に激突すると、揺れた天盤からぱらぱらと砂や小石が降ってくるようだった。


「だい……じょうぶっ! こっちは、いいから!」


 声を張り上げると、胴体がずきりと痛んだ。


 突き出た牙を伴った突進は咄嗟に腕を上げて辛うじて避けたが、その切っ先は岩を穿ってめり込んでいた。

 硬そうな岩肌に力任せに叩きつけた先端が沈んだ先では細かい亀裂が表面へびしびしと広がっていて、直撃していたらどこぞの猪を相手にした時と同様にひとたまりもなかっただろうというのがありありと伝わってくる。

 しかし態勢を崩していたとはいえ俺がそれを避けられたのは、その猪との戦いの経験があったから辛うじて速度と出先を見極められたという節があった。


 突進の風圧か、あるいは顎肢が掠めたのか、胸骨に覆われた脇の下から衣服がざっくりと裂けていて、その奥から覗く素肌に赤いインクで線を引いたように傷ができていた。


 思わず患部に手を当てるが、切り傷はそこまで抉れていないことを確認して鼓動を落ち着かせる。

 肋骨最下段の表面を滑って百足の顎が掠めたようで、傷は浅くはないがそこまで深くもなかった。

 皮と肉を裂いた傷からはざぁっと血が流れ出して、ねっとりと俺の手を濡らす。傷を自覚すると途端に蹲りたくなるような痛みが俺を襲うが、逆にその痛みが俺を冷静にさせた。


 大丈夫、肋骨は痛むが内臓はまだ無事のはずだ。

 まだ戦える。まだ動ける。


 今がこんな状況でなければ、危ないところだったと腰を抜かす場面だろう。

 傷もそれなりに痛むはずだが、それでも今は死を間近に感じてどくどくと跳ねる心臓が痛みや恐怖を遠ざけてくれているようだった。


 慎重に呼吸を重ねて、大百足の扁平な頭に壁ドンされる形になっていた俺は転がるように地面に手を突いてその包囲から抜ける。

 頭を引いた大百足は、耐え切れなくなるほど亀裂の入った硬い岩壁ががらがらと砕けるのも気にせず逃げた俺を射線に捉える。


 地面にしゃがみこんだままの状態から、間髪入れずに蛙のように横っ飛びしてゴロゴロと地面を転がった。

 ぶおっ、と音がして掬い上げるように頭の角を振った百足が通り過ぎる。ぱっくりと衣服が裂けて露わになっている一文字の傷口に土や砂をくっつけて転がる俺を追って、どすどすと槍のような百足の足が地面を打つ。


 ごつごつした濃い灰色の岩場が、生皮がでろんと擦り剥けた手の肉に食い込むのも気にせず、俺は地面に手を突いて再び顔を上げた。

 誰かが掘り出してそのままにしたのか、あるいは今日の攻防で欠けたのか何かの原石のように表面が艶やかな石ころが手に触れる。


 もう片方の手に折れた剣を握ったまま顔を上げた俺は、横を通り過ぎた足が今まさに頭上から振り下ろされようとしていることに気がついた。


 だが、気づいた時には既に遅く。


 よく磨かれた矛のように鋭い足先が俺の脳天を捉え、外に向かって棘が迫り出した威圧的な槍が今まさに俺を串刺しにするべくゆっくりと振り上げられていた。

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