ep70.オール・オア・ナッシング
目標:大百足を討伐しろ
『勝算って、前言ってた奥の手ってやつ?』
『まあな。……お前も聞いてンだろ、あの村で』
俺の前を歩く虎は、モイリの村で聞いた英雄伝説のことを言っているのだとすぐにピンときた。
であればその勝算、奥の手というのは。
『飛剣、って言われてたよな。それがそうなのか?』
『そんな大したもんじゃねェがな』
オルドが言うには、剣を振るった時に生じる圧力をそのまま空気の刃として飛ばす風魔法の応用というだけで、飛剣なんて大それた名称ではないとのことだった。
銅魔法の本質は、元素の操作。
そして銀魔法の本質は、元素の変質と増大。
圧力を受けた空気を形のない刃に操り、どんな鋼鉄よりも鋭い切れ味に固めた不可視の一撃を放つこの魔法は銀の領域に踏み込んだ魔力の行使であると虎は語る。
『ただし、短所もあるがな』
ものすごい大技じゃないかとはしゃぐ俺を諫めるようにオルドが続ける。
魔法は想像力が物を言う世界だ。
体内に存在する質量のない力を知覚したあとは、それを注ぎ込んで自分の操りたい元素をどのように扱うかを明確に描き、イメージすることが魔法の入門となる。
イメージとは言うが、話を聞く限りはそのステップは非常に論理的だと俺は感じた。
空気を操って風を起こすだけの風魔法の初歩を取っても、どのように空気に働きかけるのかを一つ一つ段階を踏んで想像する。
全身からか、それとも掌から魔力を使うのか。それはどの程度使えば、どれくらいの結果が得られるのか。
空気はどこにあるものを使うのか。空気はそこら中にあると本当に言い切れるのか。
風はどこからどこへ吹くのか。風はどのように吹くのか。
空気を動かすことで風が起きるというのなら、それはどのように空気を動かせばよいのか。
魔力はどのように空気に作用するのか。そもそも魔力は空気とどのように溶け合い、その結果としてもたらされるものは何か。
結果に至るまでの過程を克明に描けるほど魔法の現実性は増す。
故にこれらの過程、工程を『繋ぐ』ことが魔法の準備手順として存在する。
魔法の練度とは、即ちこの段階的思考をどれだけ瞬発的に行えるかにあるとオルドは言っていた。
更に、それが精密であればあるほど魔力の消耗は少なく、思いた通りの効果を発揮するという。
しかし、逆に言えば想像力の及ばない魔法は現実性を欠くが、その実現と効果そのものが劣るのかと言われるとそうではない。
ある程度の発現過程さえ想像がつけば魔法として成り立たないわけではないらしく、練度の足りない魔法を発現させることは可能であるがそれは想定外の消耗や代償を伴うという。
無理やり行使した魔法は、イメージの及ばない過程を魔力で補填する。
それは足りない絵の具を血で賄うように、描こうとした魔法が発現できるまでの魔力を肉体に求めるもので、体内の魔力を過剰に奪われるだけならまだマシでその許容量を超えようものなら体で代償を払うことになるとオルドは言う。
魔法を使った腕が真っ黒に変色する者、視力を失う者、頭髪が全て抜け落ちる者や、人間として生きながら精神が死を迎えるほどの例もあるとのことだった。
故に魔術師は己の魔力量の把握と、魔法の行使を途中で停止する術をまず第一に学ぶという。
それさえわかれば魔術に失敗した際にも大事に至らず身を守れるからだが、それに甘えず日々行使できる術の範囲を模索し己の力量を把握した者こそが優れた魔術師とされていた。
そして、例に漏れず己の魔力量と行使できる術を把握しているオルドは、斬撃を飛ばすなんて荒唐無稽なイメージを実現するための想像が追い付いていないことをよくわかっていた。
鋭い空気の刃を飛ばすために、空気を固形化して鋭さを持たせればいいというのは想像がつくが、空気を操るだけでなく空気の質まで変えるとなるとそれをどのようにイメージすれば実現できるのかが明確に描けてはいなかった。
それでも構わず行使しようというのなら、この虎の場合代償は腕に現れることが多いという。
それも飛行型の骨の軽い魔物ならまだしも、報告されているような剣も矢も弾く魔物を断つとなると、とオルドは苦い顔をした。
『小せェものならちょっと痺れるくらいで済むがな。あまり大きく鋭いものを撃とうとすると……その分の反動も大きくてな』
『ど……どれくらい?』
『手足がしばらく使い物にならなくなる。足は……おそらく平気だが、直接剣に魔力を流し込む腕がひどいもんでな。数時間休めば元通り動くようになるだろうが……今回の百足相手だとどうだろうな、この坑道ほどでけェ上に硬てェとなると……まず間違いなく両腕はイカれるか』
オルドは自分の技のデメリットを、まるで自分に言い聞かせるように語った。
反動とは言うが、手足がその戦闘中ろくに動かなくなるほどのデメリットならば外せば自らがピンチになる一撃必殺の技、まさしく奥の手だと俺は納得した。
その話を聞いた俺は、確実に仕留められるときだけしか使えないなと思う程度で、いくら硬いといえどこの虎の重たい剣戟に耐え得る生き物があまり想像つかなくて、今の今まで気に留めていなかった。
しかし今、虎はその一撃を繰り出そうとしている。
渡り合うだけで、刃を交えるだけで危険な相手に通用するかわからない決死の一撃を構えている。
刃が通る箇所もあるんだしそんな技使う必要ないじゃないかと無責任な文句も言いそうになるが、他にこのサイズの大百足を倒しきれる手立てがあるわけでもない。
虎の言う通り、今は洞内に灯した明かりのために大百足の姿が見えているが、それも有限の明かりだ。
時間をかけすぎて火が消えてしまえば、俺達は戦うことはおろか元来た道を戻ることすら危ういのだ。
それくらいのことは俺にもわかった。ならばオルドも当然視野に入れているはず。となると今この場は虎の策に乗るのが最善だというのは疑いようもない。
俺がその時間を稼ぐ囮役を買って出たのは、みすみす光源となる松明や薪を無駄にしてしまった負い目もあるが、けっして自棄になったわけではなかった。
それどころか足を動かす俺が苛立っているのは、戦えると言っている自分に任せてくれない信用の無さ、自分のことは放って俺のことを逃がそうとする身勝手さ、他に選びうる策があるのではないかという不安にも似た焦燥感。
そしてオルドの言う通り未熟な自分の不甲斐なさ、その全てのためだった。




