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ep69.タイムアタック

目標:大百足を討伐しろ

 その時だった。


「余所見たぁ、余裕だなァオイ!」


 自分から注意の外れた獲物を、虎は逃がさない。

 ぶぉんと特大の風切り音。火花が散るような太刀音。

 上体を持ち上げて地面から体の浮いた百足がびくりと全身を跳ねさせると、ギイッと悲鳴を上げて全身がぐったりと弛緩した。


 身を起こして露わになった腹に、オルドが鋭い一撃を入れると大百足が地面を揺らしてその場に倒れこむ。


 狩猟ゲームでは殻の関節部分を狙う以外に腹を狙うのもセオリーだったなと思いながら、俺は長大な百足の胴体を挟んだ向かいの虎に折れて不格好な剣を振り上げる。

 剣を握ったまま変に擦りむいた手がヒリヒリと痛んで、虎が身に着けている穴あき手袋を羨ましく感じた。


「さんきゅー! 助かった!」


 しかし俺の言葉を受けてなお、オルドは険しい表情をやめなかった。

 どうしたのだろう、今の礼が英語だったから伝わらなかったのだろうか。いやこの翻訳石はどんな言語だろうと翻訳してくれるはずだけど。


 そんなことを思いながらオルドに近寄る俺は、虎の尻尾がぶわりと膨れるのを見た。

 それで、近寄った俺に舌打ちが聞こえた。


「浅いか……オイ、まだだ。終わってねェ」


 えっ、と驚くよりも前にぎちぎちと顎を鳴らして、無数の脚を動かした大百足がのそりと再起する。

 一本一本の足を順々に動かして、ばたばたと血を垂らしながら頭をもたげる百足は笑うように顎を忙しなく動かしていた。


「参ったな、硬ェ上にしぶといと来たか……この辺りの鉱石を食いまくってるせいか?」


 オルドと俺に向き直る百足を見ながら、虎が冷静に分析する。

 腹から流れた緑の血が地面に落ちているのが腹と地面の隙間から見えるが、明らかに流血量は少なく致命傷には遠いようだった。


 しかし傷を負ったからか、あるいはセンサーとなる触角の片方を折られたからか、百足は少し慎重になっているらしく間合いを保ったまま角のような顎肢を俺達に向けてギチギチと威嚇してくる。

 オルドは片側の刃に緑の血を散らした両刃剣を肩に担いだまま、ちらりと俺の手元を見た。


「スーヤ、お前は急いで戻ってちょっとは戦えそうなやつを連れてこい」


 それからそんなことを言うので、俺は驚いて目を向けた。


「灯りはまだ生きてるはずだ、お前の足ならここからでも二十分もいらねェだろ。ごろつきでも冒険者でも、時間が稼げそうヤツならなンでもいい。イレイネに行って、応援を寄越してもらえ」

「ど……どうするつもりだよ」

「言ったろ、勝算はあるってな」


 坑道を歩きながら作戦について話していた虎の台詞を思い出す。

 だがそれは、できれば使いたくないと言っていたはずだ。百足から目を離して虎を一瞥する。


「使わない方がいいんだろ、それ? 背中になら刃が通るんだ、無理にリスクを負わなくても……」


 言いながら、気がついた。

 さっきのはオルドが注意を引いていたことと、俺が意識されていなかったこと。

 その二つがあって初めてできた攻撃だった。


 では、今は?


 百足ははっきりと俺を認識し、オルドに軽率に襲い掛かるようなこともない。

 ましてや俺は剣すら折れてしまっている。この状態で、どうやって背中まで回るというのだろうか?


「わかってンだろ、ちょっとやそっと切ったどころでこいつには蚊に刺されるようなもんだ。だらだら時間を掛けりゃ炎が消えて暗くなる。そうなりゃ一巻の終わりだ」


 少しだけ早口な調子が、俺にかつてない緊迫感をもたらす。

 オルドは薄暗い中に佇む百足の動向を見張ったまま、剣を握り直しながら続ける。


「短期決戦となるとあとはこれしかねェ、ただ時間が要る。お前の呼んできたやつに時間を稼がせて、その隙に決める。……ここまで硬いやつに通せるかは、結局賭けだがな」


 自嘲して笑うオルドからは余裕は感じられず、むしろ追い詰められているように見えて落ち着かない。

 賭け、と虎が表現したのはまさしくその通りで、その勝算について事前に聞いていた俺はオルドがベットするものは命であることを即座に理解した。


 俺に来た道を戻れと言うが、この採掘場を照らす火は複数あるとはいえ既に炭化した薪が燻っているだけのものもあれば明らかに弱々しく揺らいでいるものもある。

 俺が誰かを連れて戻ってくる間にここの火が消えてしまったらどうするというのだ。視界のない中で自由に動き回れる百足をこの虎が相手取れるとは思えなかった。


 退がるなら一緒にと思ったが、追撃されないとも言い切れないし、あの狭い坑道で百足に追い回されて逃げ切れるわけもない。


 だからと言って一人で残るなんて危険すぎる、と言おうとして、言えなかった。

 その危険を承知でついてきた身で、どの口がそんなことを言えるというのか。


 なるほど、こういうことか。

 危険を承知で冒険する、宝を守る魔物を退治する、未知の世界を旅をする。

 それが冒険者だと思っていた。だが、結局は俺の憧れたファンタジー世界は、命がけの冒険は……誰にとっても命がけの戦いと隣り合わせだということだ。

 頭ではわかっていたつもりのことを、この期に及んでようやく身に染みて理解した。


 俺は漠然と、オルドなら何とかなる、どうにかして倒せると心のどこかで思っていた。

 それはまるで自分は平気だと言うような自信満々な虎の口振りや、百足相手にも引けを取らない戦いぶりを目の当たりにしていたからだろう。


 だが実際は、命がけというのはこの虎も同じことだった。

 俺だけではなくてオルドも、更にはこの百足に挑んで散っていった冒険者も、誰もがそうなのだということを虎の思い詰めたような横顔を見てやっと理解できた。


 全く愚かなことだと、自分でも思う。

 戦いや痛みとは無縁でいたいと思っているくせに、危険のつきまとう冒険を自ら望むなど。

 自分と同じように命を賭して戦う誰かを見て、逆に奮い立つなど。


 死ぬのも痛いのも嫌だけど、逆に嫌になるほど経験してきた。

 ならばそれを回避するためにどうすればいいのかというのも、数年かけて理解したはずだ。

 結局俺は、どこぞの鬼畜獅子が望んだとおり戦うしか能がないのだ。


 殺される前に、殺せ。

 脳裏で笑う白い鬣の思い通りになるのは癪だが、それで同じように命を賭ける誰かを救えるのならば。


「わかったらとっとと行け、ここの火だってどれくらい保つかわからねェんだ」


 皮の剥けた手の肉に痛いほど柄を握りしめて百足に向き直る。

 這いつくばる虫はその場でどすどすと足踏みをしていた。


「……時間稼ぎって、どれくらい必要?」

「……スーヤ、やめろ。そいつは大馬鹿のすることだ」


 勘づいたように虎が俺を見る。折れた剣を握ったまま、俺は全身に力を巡らせる。


「いいから、どれくらい?」

「……工程を繋ぐのに三分もあれば十分だが、お前じゃ無理だ。死にてェのか、テメェ」

「決めつけんじゃねえよ! ……オルドもわかってるだろ、これが一番早いって」


 今にも消えそうな採掘場の火に照らされて浮かび上がる百足から目を離さず、俺は一歩踏み込む。


 残された薪も松明も全て溶かされてしまった。

 せめて明かりがあればと思ったが、それを手放して無駄にしてしまったのは自分だ。

 もしかしたらオルド一人なら、消化液も避けて、松明だってまだ残せていたかもしれない。なればこそ、これくらいはしなくては割に合わない、ついてきた意味がないのだ。


 うまくやれるかどうかはわからない。だが、虎が失敗すれば間違いなくこいつは死ぬ。

 そういう覚悟で戦いに臨む相手を残して、自分一人だけ安全に、なんて考えられない。


 それに、俺はまだオルドに何もしていない、できていない。

 俺だって戦えると言っているのに、頭数に入れず、戦力外扱いされるのにも腹が立つ。

 この世界に来てしまった客人ではなく、自らこうなることを選んだのだ。それをよりにもよってネコ科に庇護されるなんて、そんな癪な話はない。


 死ぬつもりは毛頭ない。体に刻まれた全ての経験を思い出せ。

 不安がるとオルドの邪魔になるから、無理やり口端だけで笑った。


「終わったら、また冒険の話聞かせろよ」


 今の死亡フラグっぽくなかったかな、まあそこまで思い詰めた内容じゃないし大丈夫だろう。


「……本気なンだな? 助けには入れねェぞ」

「大丈夫だって。そっちこそしっかり頼んだぞ、飛剣の英雄さん」


 それだけ残して、俺は大百足に向かって斜めに走り込んだ。背中に聞こえた、「馬鹿野郎が」という呟きも聞こえないふりをして。

本日はここまでとなります、次回は12/18の更新となります。

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