ep6.幼年期の終わり
目標:軍神を認めさせろ
それからまたしばらく死んだ。
頭の中で数えている数は五千と三百二回だが、最近はどうも刻んでいる回数とカウントが合っていないような気がする。頭の中のカウントを間違えたかなと思いながら、暇になったら改めて数え直そうと思い続けて今では意識が戻ったら石を刻むまでの一連の流れがすっかり形骸化してしまった。
このライオン野郎に対する怒り以外で、死に続けたことによる明らかな変化と言えばここに来た当初より確実に自分の体つきが逞しくなってきていることだ。鏡がないので定かではないが、やせ細り棒のようだった俺の手足は見るからに太くなり、明確に筋肉の隆起を表面に浮かせるようになっている気がする。
一体これらの筋肉はどこからエネルギーを経てどうやって成長しているのかというのは相変わらず謎だったが、ともかく以前のヒョロヒョロとした病弱な体からは見違えるように健康的になったはずだった。
獅子の槍が掠めて、俺の髪がはらはらと舞う。もともとそんなに伸びてはないけど、そういえば髪とか爪は伸びないんだなぁなんて思いながら、足元を薙ぐ一撃を跳び退って回避する。
「安易だな。地から両足を離すということは……真っすぐ動く、と明かしているようなものだ!」
足元を払った獅子が、俺が後ろに跳ぶのを読んでいたようにそのまま伸びあがるように突きを放つ。やべ、と思った俺の胸元に切っ先が迫った。
飛ぶような速度の槍に肉体を裂かれないように、狙われている位置を横に向けた剣で隠す。刀身に片手を添えたまま、俺は片足が地に着く瞬間に地面を弾くようにもう一度思いきり後ろに跳ぶ。
金属同士の衝突音。伸びる槍が剣ごと俺の体を貫くのとタッチの差で、宙に浮いた俺の体を獅子の槍が後方へ吹き飛ばす。
辛うじて衝撃こそ殺したものの、槍をぶつけられたことで剣の峰が俺の胸を叩いて鎖骨が嫌な軋み方をした。
地面を滑って距離を取りながらも前に向き直った俺は、巻き上げた土埃の向こうから強烈な殺気を直感して、それが現実になるより早く斜め前に踏み出た。
左腕を槍が掠めて血が飛ぶ。確実に無傷ではない鎖骨と肩にまでその痛みが響いて、痛みに歯を食いしばる。
「痛ッ、てぇな……! クソ野郎っ!」
引き戻した槍を持って慌てるように半歩引く獅子に勝利を確信しながら叫んで、両手を添えた剣を振り抜いた。
斬りつける瞬間にぶうんと回転する穂先が見えて、顔の下から急速に何かが迫ったかと思った瞬間、俺の意識は途絶えた。
「はッ!?」
目覚めた俺は、もう見飽きたモニュメントの前に寝転んでいた。
手にはさっきまで振るっていた剣が。死んだのか、と理解すると同時に今回は惜しかったんだけどな、と悔しさが込み上げた。
それから今度は何がダメだった、と反芻する。
槍先を上げた状態で、あの体勢から繰り出せるとすれば柄での一撃か。攻撃する瞬間を狙われて、顎を砕かれたかと推理した。そう考えると、死ぬ間際に感じた顔下からの気配にも説明がつきそうだ。
しかし半歩引いた体勢で体重を乗せずとも易々と俺の顎を砕く一撃を繰り出せる膂力はまさに理不尽そのもので、どうやって勝てっていうんだよとと俺が自暴自棄になるのも仕方ないことだった。
そもそも剣で槍相手ってリーチ的に不利すぎるだろふざけんな自分だけ有利な武器使いやがってと呪いのように石柱にがりがりと死亡回数を刻む俺の背に、声がかけられた。
「暁原愁也」
「……は?」
モニュメントに向かい合う俺に、獅子が声をかけてきた。
これまで散々死んで来た中で、蘇った俺に声をかけてくるのは初めてのことで、俺はてっきりついにモニュメントに勝手に回数を刻んでいることに文句を言いに来たのかと思った。
しかし獅子は、槍を持っていない左腕を俺に見せるように掲げて口を開いた。
「良い一太刀だった。貴様の覚悟、見届けたぞ」
「えっ……!?」
ぱっくりと、毛に覆われた前腕部を斜めに裂く切り傷がそこにあった。
血こそ出ていないが、大きな獅子の腕をそのまま斜めに分割するような傷跡はまさしく俺があの時切りつけたもので、すんでのところで一太刀浴びせられていたのだと俺は理解した。
最初は何を言っているのかと思ったが、ついに自分の攻撃が通用したのだと徐々に理解するとそれまで沸々と茹っていた赤黒い怒りが晴れて、急速に足下から充実した気持ちが満ちていくのを感じた。
「ま……マジかよ。それ、俺が……?!」
「うむ。我の槍を躱し、傷を負えどもなお敵を屠らんとするその覚悟たるや、見事であった。よくぞ我が試練を乗り越えた」
「~~っ、よっしゃあ……!!」
この獅子の前で思い切り喜ぶのはなんだか恥ずかしく感じたが、俺は拳を握り締めて心からのガッツポーズで喜んだ。
死んだ甲斐があった。苦しんだ甲斐があった。努力した甲斐があった。
今までの日々を思い出して、涙すらこぼれそうになったが危ういところで堪えた。
理不尽極まる、ともすれば心折れて投げ出しそうになったこれまでの苦労が報われたような気がして、先ほどまでの苛立ちもどこへやら俺は達成感に胸がすくような思いで顔を上げた。
これで俺も異世界に、と言おうとしたところで、獅子が平坦な調子で告げる。
「では、更なる覚悟を見せるがいい。暁原愁也、次も期待しているぞ」
…………は?
耳を疑った。
それから、愕然としたまましばらく声が発せれなかった。
「…………。……は?」
「なんだ?」
「次……って、え?」
「当然、次の試練だが? 貴様の武を輝かせ、更なる試練を乗り越え新たな覚悟を示したとき、貴様は正式に我が遣いとなるだろう。励むがよい」
「ええと……終わりじゃないの? 一太刀、入れたけど」
「終わりだとも、先程の試練は。我が与えし困難に貴様は覚悟を持って答えて見せた。無理を通した貴様は、なればこそ次なる覚悟も示すのが道理であろう?」
どことなく生き生きとした様子で獅子が答えて、あぁ嘘でも冗談でもなんでもないんだなと理解した。
あんなのを、もう一度やれっていうのか。
どっと疲労感がこみ上げる。辟易とした様子を隠そうともしない俺をものともせずに軍神はあれほど俺を苦しめた槍を早々に手放し、どこからともなく持ち出した剣を構えた。
手放した槍は、ぼろぼろと元々砂でできていたように粒状に砕けて消えていった。
「あぁ、貴様がどのような武をもって次なる覚悟を示すのか、実に楽しみだ。ゆくぞ、暁原愁也よ。今一度貴様の覚悟を示してみせよ!」
ようやく崖を登りきったと思ったら、再度谷底に放り込まれた。そんなひどい気分だった。
相対しながら戦闘狂さながらの文句を笑みすら浮かべて吐き捨てた獅子頭に、ようやくこの無間地獄から解放されたと思った俺はまさかの延長に呆れを通り越してむしろ怒りが湧いてくるのを感じていた。
ふざけんな。俺は戦いなんてしたことないんだ、ずぶの素人がここまでやれただけでも十分だろ。
大体覚悟ってなんだよ、俺はあの一回だけだと思ったからがんばったのに。
もう一回あんなに死に続けるなんてごめんだ、いい加減にしてくれ。
もう異世界転生なんてどうでもいい。こんなことをするなら、最初からその気があるやつを呼んでくれ。
そう思った。
「……ああ、上ッ等だクソ!!」
だが。
あの一回、あの一撃が届いたからこそ奮い立つものがあった。
俺はまだこのライオン野郎に満足いく一太刀は与えていない。
ここまでの仕打ちを強いてくる相手に対して、一切の応報もできずに再び良い様に殺され続けるなんて我慢がならない。
俺だって前とは違う。
都合の良いサンドバッグだと思ったら大間違いだ、絶対に一泡吹かせて自信満々のムカつくその顔を歪ませてやる。
「やってやるよ!! 絶ッ対にその真っ白いたてがみ全部刈り取ってメスライオンみたいにしてやるからなクソ猫野郎!!」
芽生えた幼い闘争心を、激昂するままに振り上げた。