ep68.乗り攻撃
目標:大百足を討伐しろ
左右に波打ってうごめく岩のような胴体を見据えて、ぐっと足に力を込める。
狙うは、その体が伸びて体をつなぐ節目が露わになった瞬間。
相手はまるで俺のことなど気にしていない。それでも誰かの、オルドの命を奪おうと殺意を滾らせている。
その無防備さや、轟音を立てる殺気を感じるとやり場のない怒りにも似た力が肚の底から湧き上がってくるようで。
がんがんと打ち合う音が頭の方から響いて、古いドアが軋むような声を魔物が上げた。
斬るというよりはむしろその大剣の質量で叩くようなオルドの一撃に、いきり立った大百足は太く鋭い角で敵を串刺しにするべく長い体を伸ばした突進を繰り出す。
ここだ。
俺は力を溜めていた足で地を蹴って、一気に空中に躍り出た。
「うッ、おぉぉおお!!」
アニメとか漫画とかで、闇討ちする際に声を出して攻撃を仕掛けるシーンはよく見かける。
せっかく気づかれていないんだから黙って攻撃すればいいのにと俺は見るたびに思っていたが、自分がそういう状況になって初めて気づいた。
腹から声を出すことで戦いに臆す己を鼓舞できることを。迸る怒声が全身の筋肉を奮い立たせることを。
飛び降りながら剣を下に向けて、尻尾に近い背中の一点を目掛けて俺は落下する。
空中にいる時間はほんの一、二秒程度だろうが、俺にはやけにスローに感じられた。
着地の衝撃を吸収できるよう僅かに膝を曲げて、体重も重力も全て突き出した剣に乗せた俺は百足の関節目掛けて落下の一撃を繰り出した。
百足の足一本にも満たない大きさの剣で相手を即死させられるとは思っていない。ただ、ここに攻撃が通るとわかれば戦いようもある。
殺意には殺意。俺達を殺そうとする相手を殺してはいけない道理はない。
真っ赤に染まった思考のまま、俺は百足の背に剣を突き刺した。
ばつんと一瞬だけ火花が散って、衝撃に手が痺れた。しかしただ弾かれたにしては俺の剣は深くまで沈み込んでいて、その切っ先は百足の体を成している節目に確かに食い込んでいた。
「通った……!」
しかし喜ぶ暇はなかった。
大百足はその頭を持ち上げて床板を軋ませるような鳴き声をあげると、背中に飛び乗った俺を振り落とそうと激しくもがく。
「うッわ、った、あぶねえっ……!」
足場にしている胴体が上下左右に暴れ回って、俺は体を揺さぶられながらも突き立てた剣を引き抜いた。
尻尾や頭、長い体の端に近いほど揺れがひどいのは上から見ていて気がついたことだった。
血が付いたままの剣を携えたまま跳ね上がる幅広い背中の上をだだっと駆けて、俺は揺れが収まるのを待たずに胴体の中心を目指す。
百足はのたうって俺を振り落とそうと暴れていたが、ぼぎんと丸太をへし折ったような轟音が響くと形容しがたい軋み音を立てて体の揺れが僅かに大人しくなる。
原因は、自分への攻撃を止めた百足の隙を見逃さずに飛び上がったオルドが頭部で動く触角を叩いたからだった。
虎は挑発するように目の前に躍り出ながら、近くの岩場を足場にした跳躍のままにセンサーとなっている片方の触角へ剣を打ちつけて、それを中途半端な位置から直角に折り曲げる。
岩や鉄を思わせる硬そうな殻に覆われながらも角の折れ目は繊維質の体細胞で辛うじて繋がっていて、だらだらと緑色の血が溢れている様子を見るに切断には至らなかったものの受容器官の破壊には成功したようだった。
手袋をした手に握った剣をぶぅんと振って、飛び退って再び距離を取るオルドに俺はナイスと心の中で称賛する。
しかしなおも百足の胴体は目の前のオルドをしっかりと捉えて反撃を繰り出そうとしていたが、体の中心に向かうほどに揺れは小さくなっていて辛うじて立っていられそうだった。
その背に乗ったままの俺はしっかり踏ん張れるように大股を開くと、緑色の血で濡れた切っ先を手早く赤錆びた百足の背中に向ける。
「もう一丁、喰らっとけ!」
叫ぶのと同じタイミングで、再び力強く下に突き出した。
ぞぎゅっ、と岩のように硬くも薄い膜を突き破るのが剣先から伝わる。
切っ先が沈んで、剣が中に入っていくと外殻に覆われた百足の筋肉を裂いた隙間から緑色の血がどくどくと溢れ出すのがわかった。
ギィッとドアが軋むような音を立てて身を跳ね上げた百足が再び暴れ回るが、もう少し奥まで突き刺したくて今度は剣から手は離さず両足でしっかり百足の背中を踏みしめて堪えた。
今ここで百足の体から振り落とされて転げ落ちようものならどすどすと暴れまわる槍足に踏まれてあっという間にお陀仏だろう。
関節は攻撃が通るとわかったのだ、このまま落とされてたまるかと俺は剣に思い切り体重を込めると、硬質な体表に内包された柔らかい肉に更にずぶずぶと剣が沈んでいく。
全長が二十メートルほどもありそうな百足が、たかだか一メートルちょっとの剣を突き刺されたところで大した傷にはならないだろう。
しかし突き刺した剣と裂けた肉の隙間から溢れ出す緑色の血はダメージを負っていると証明するようで、巨体相手にどう戦えばいいかというのが全くイメージの湧かなかった俺に戦意を漲らせてくれるようだった。
「っ、暴れんな、っつうのッ……!」
だからだろうか。
ぎりり、と変に力んで、突き立てた剣に誤った方向に力を入れてしまったのは。
あるいは、百足が身をよじったためにあらぬ方向へ剣が振られたためか、剣を押し込む俺の力が斜めに剣に伝わってしまう。
小気味よい音が俺の足元から聞こえた。固焼きのせんべいを齧ったような、氷の棒を折ったような。
手に握る柄から手応えが消失して、思わず前につんのめる。
何が起きたと思って咄嗟に引き抜こうとした俺の剣は、しかしその刃を半分ほど百足の背に残したまま折れてしまっていた。
「うッ……そだろ!?」
百足の硬い肉質を突き破らんばかりの力と身をよじる百足の膂力を刀身に受けて、驚くほどあっさりと折れた剣の柄を振り上げながら呆然と俺は呟く。
三分の一ほどの長さになってしまった剣の厚い断面を見る俺は、今ここで得物を失うのは決定的なミスのように感じられた。
元々村で買っただけの剣だから惜しかったり残念だったりという気持ちはないが、それでも強い焦りが俺を苛んだ。
まずい、どうすると思考を巡らせた俺はまずはこの揺れる背中から離脱するかと視線を落として、今度は折れて断面を見せた状態で百足の背に突き刺さったままの刃を視界に捉えた。
「うおッ……おぉお!! こいつも、取っとけ!!」
中途半端な長さになった剣を握りしめたまま揺れる百足の背中の上でたたらを踏んだ俺は、咄嗟に足を上げて刺さったまま折れた刃を思いっきり踏み抜いた。
そんなに幅があるわけでもない断面をしっかり足裏で捉えて、まるで釘でも打つかのように踏まれた刃がずぶりと百足の体内に沈み込む。
外殻を貫き肉を裂かれた傷口から緑血がごぼりと溢れ出るのを靴底に感じた。
これでどうだと思った俺を、尻から身を跳ねさせた百足がついに振り落とした。
体に突き立てて支えにしていた剣もない今、ギィギィと鳴いて身をよじる百足の振動に耐える術はなかった。
「ぐぅっ……!!」
空中で手足を動かしてもがきながら、床に這いつくばるように手と膝を擦りつけて辛うじて着地する。
ずるりと剥けた手の皮が発する焼けたような痛みも、膝に空いたズボンの穴も気にする余裕もなくそのまま振り返ると、眼前で統率の取れた軍隊が代わる代わる地面に突き刺すように無数の脚が蠢いているのがわかった。
低い姿勢を取っていた大百足が蛇のように身を起こして、振り落とした俺に向き直るべく体を捩るのが見えた。




