ep64.最深部も闇
目標:大百足を討伐しろ
カビっぽいというか、土っぽいにおいの中に明らかな異臭が混ざって感じられる頃だった。
「止まれ」
低く唸るオルドが背を向けたまま、横に突き出した大剣で通行止めするように後ろを歩く俺を制止させる。
屈みながら高く掲げていた松明を足元に近づけて、視線を地面に落とすので俺もそれに倣う。
何かいびつな塊が転がっていることにすぐに気がついた。
「……こ、蝙蝠?」
既に絶命している蝙蝠の不完全な死骸だった。
まるで大きな顎で食い破られたように頭部は欠け、胴体も抉られている。特徴的な翼などは片方しか残っていない。
こんな深いところまで蝙蝠が入ってくるのだなと思った俺は、オルドがその躯から流れている赤い血に触れるのを黙って見ていた。
「……まだ新しいな。この先だ、だいぶ近いぞ」
ぬちゃ、と半分凝固した血を指先で検めて、床に拭ったオルドが立ち上がってその先を照らす。
硬質な岩肌がそのまま剥き出しになっている地面の上は明らかに何者かが削ったように欠けていて、あからさまな痕跡は逆にその異形の縄張りに立ち入ることを強く意識させた。
「これ……食べ残しとか、じゃないよな……」
「あぁ、わかりやすさからして警告だろうな。虫の分際で賢いことだ」
不敵に言う虎に頼もしさを感じてしまうのはなんだか癪だったが、それはそれとして俺は声を潜めて聞いてみる。
「なぁ、こんなとこまで蝙蝠入ってくるもんなのか?」
既に数十分と歩き続けていたが、入り口付近で見かけて以来姿も形もなかったそれがこんな地中奥深くにいることが少し不思議だった。オルドはゆっくりと歩を進めながら、最初よりボリュームを落とした声で答える。
「……いることもあるンじゃねェか。あるいは、入り口が違うのかもな」
「入り口……あぁ、そういうことか」
大百足とて、こんな岩山の中に突如として発生した存在のはずがない。
外部からやってきた生物であることを考えると、ミオーヌの町とは反対側、あるいはどこかの洞窟の壁や山を直接掘った別の入り口があると予想がつく。
この蝙蝠も、おそらくそこから入ってきたのだろう。
この鉱山自体が一つのトンネルみたいになっているとしたら、討伐後の管理も大変そうだなと他人事のように考えた。
蝙蝠の死体があった位置から十分ほど進んで、先を歩くオルドが足を止める。
「……ここだな」
松明の火に照らされた通路の先が開けているのを認めて、ここがその最深部かと虎の二歩後ろで立ち止まった。
灯りの届かない視線の先は炭をぶちまけたような漆黒が続いていて、この中から攻撃が飛んできたらひとたまりもないなと警戒心がざわついて仕方ない。反面、殺気も気配も感じないのが不気味で、俺は妙な焦りばかりを覚えていた。
しかしオルドは極めて冷静に、いつの間にか拾っていたらしい石ころを前に向かって放り投げた。
がつ、がつと音を立てて転がり落ちていく音。耳を澄ましても、それ以外に何かが動いた様子はなさそうだった。
しばらく待ってから、なお何の気配も感じられないことを確かめると、オルドがちらりと俺を見る。
目が合った俺が頷いて返すと、虎は神妙な面持ちで前に向き直ってその先の空間へ足を踏み入れた。
左右の壁による閉塞感がなくなって、天井が更に高くなる。
目の前に足場はそれ以上なくて、眼下にはぽっかりとした巨大な闇が広がっている。オルドが探るように松明で照らしても、底は見えなさそうだった。
横を見れば壁沿いに下り坂がぐるりと円を描くように伸びていて、らせん状に下まで降りていけそうである。
坑道を散々降りたあとで、更にすり鉢状に堀って下を目指したその採掘場はホールのような広さがあった。
だいぶ小さくなってきた松明を掲げて上方を照らしてもその天井の全てまでは光が届かないようで、漆黒の闇が俺達の頭上に跨っている。
これまでは高いとはいえ問題なく照らせるほどの高さだったので、開けていてなお視界の悪い頭上には何かが潜んでいるような言い知れぬ恐ろしさを感じてしまう。
背後を除いて、ほぼ全方位を闇に囲まれている状態は根源的な恐怖を俺に感じさせる。
しかしオルドは動じることなく、少し悩んだ後で「ついてこい」と言って大部屋を囲う傾斜を下りだした。
松明を上に掲げたり、あるいは部屋の中央の暗闇に向かって動かして壁沿いを慎重に歩くオルドは引き続き魔物の襲撃を警戒しているが、今のところ俺にも何か襲ってくるような気配は感じられなかった。
ただ、何も感じ取れないからこそこの物言わぬ暗闇の空間が少しだけ恐ろしいのも事実だった。
部屋の壁に沿ってぐるりと歩いていくと、斜面の途中に今まで見かけたのと同じような金属の台座を見つけた。
オルドに周囲を警戒してもらいつつ手早く火を起こすと、少しだけ周囲が明るくなる。
坂を下りながら、大きな穴を掘るような採掘現場の壁に目をやるとそれぞれ黒かったり茶色がかっていたりと地層ができているのがわかった。
部屋の下層まで伸びているスロープはそれぞれの層へ続くいくつかの上り坂と分岐していて、その先の岩肌が中途半端に窪んでいたり、少しだけ掘り進められている辺り目当ての鉱床まで伸びているのだろうとなんとなく想像がついた。
ひとまず一番下まで下りた俺は、オルドの後ろで今通ってきた道に灯した明かりを見上げるとこのホールはそれなりの深さがあることに気がつく。
らせん階段状に渦を描いて、段々になっている下り坂を上っていくことはできそうだが、飛び降りるのは躊躇してしまうくらいの高さだった。
虎は縞々のしかめ面を作って緊張を緩めないまま、今降りてきた坂の出口に自分の剣の鞘をごとりと落としてそのまま下層の広間をぐるりと一周する。
部屋の幅や奥行きはそれこそ体育館くらいはあるだろうか、少なくともこの空間を覆う完全な闇はオルドの持つ松明では祓えないのは確かだった。
部屋の広さを測るように腕を伸ばして隅々まで照らして、ようやくごつごつとした岩肌に立てかけられたツルハシや部屋の中心部に放置された車輪付きの手押し車などが見えるほどで、地下にこれほど巨大な採掘場をこの時代に作れるのだなと俺はわけもなく感心してしまう。
部屋の底に散見された灯火台で光源を確保しつつ散策を続けるが、あちこちに掘り出されてそのままになっているらしい鉱石が山になっていて、部屋の中を照らす光を遮っている。
その陰から魔物が飛び出してきやしないかと思った俺は、オルドの後ろで慎重に採掘場の検分を進めた。




