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ep63.一寸先は闇

目標:大百足を討伐しろ

 聳え立つ山の地下に向かうような坑道は暗く、陽の光すら届かない完全な闇が支配していた。


 しんと沈みながらも湿気のある空気からは人や生き物の気配などは感じられない。

 ひんやりとした地下特有の涼気は快適というよりはどことなく死者の雰囲気を漂わせる不気味さがあって、俺はおっかなびっくり松明を持つオルドの後ろをついていく。


 坑道に入るに当たって、行動の指針はオルドが持ち、これには必ず従うことを俺達は事前に取り決めていた。

 無理を言ってついてきたが、邪魔がしたいわけではない。それを拒否する理由がなくて素直に頷いた俺に、虎は念を押すように邪魔だと思ったら追い返すからなと冷たく言い放ってきたがこれについても了承した。


 そんな俺を先導して、虎は肩に抜き身の大剣を担ぎながら進む先を見通すように灯りを掲げてゆっくりと歩を進める。

 耳をそばだてて、尻尾すら中途半端に持ち上げたまま周囲の警戒を怠らない臨戦態勢を取る背中を見ながら、俺も鞘から抜いた剣を片手に大きな木籠に背負い紐をつけたような背負子をおぶったままその後を歩く。


 車一台分くらいの幅の坑道を歩く俺の周囲からは殺気も敵意も感じられない。

 音も俺達が発する物音の他には岩盤の隙間から染み出た水滴が水たまりを打つ音が反響しているくらいで、急に世界が閉じたような感覚に襲われた。


「スーヤ。ここにも灯りだ」

「おっけー」


 前を歩く虎が、担いでいた剣で横の壁を指す。その切っ先が示す先には、棒を三本組み合わせ台座に掲げられた火鉢がぽつんと置いてあった。

 灰を落とすためか細かい穴の空いた鉄鉢の上に、俺は背中の籠から手ごろな薪を掴んで櫓のように組み上げていく。

 最後に籠の隅に折り畳まれていたしっとりとしている布切れを手ごろな長さで千切って、小さめの薪に巻き付けたものを櫓の中央に安置するとオルドを呼んだ。


「いいよ、オルド」

「了解」


 オルドが持っていた松明で火鉢を下から炙ると、薪の中央に置かれた白布の上を炎が走って勢いよく燃え上がる。どうやら油を染み込ませてあるらしいそれは、巻き付けられた薪にあっという間に燃え移り次第に周囲にその熱を伝播させていく良い着火剤として機能していた。

 辺りがすっかり明るくなって、意外と高い坑道の天井も見渡せるようになると俺はその岩の隙間から何か出て来やしないかと目を配る。


 今のところ遭遇した生き物と言えば入って数分歩いた位置に止まっていた野生の蝙蝠くらいで、魔物らしい魔物とはエンカウントしていなかった。

 戦闘を期待するわけではないがもし発見するとしたら俺が発見したい。

 そういう思いで周りを警戒していた俺は、しかし何も見当たらなくて視線を戻した。


 放っておいてもそのまま燃え続きそうなことを確認して火鉢から離れたオルドが自分の松明をちらりと見たので、油なんて高価だろうに気前が良いなと思いつつ油布を背負子にしまいながら聞いてみた。


「松明、まだ平気そうか?」

「あぁ」


 背負子をもう一度背負いなおす俺に、立ち止まっていた虎は短く返事をしてまた先を歩き出す。

 坑道に入るときに持っていた松明は既に短くなってしまったので、道中の灯火にくべてきていた。オルドが持っている二本目のそれはまだ持ち手も十分な長さがあって、しばらくは耐えられそうだった。


 携行に向きそうな長い薪はまだ数本残してあるから大丈夫だろうが、結構奥に来たなと俺は後ろを振り返る。

 岩盤を避けるためかぐねぐねと左右上下に曲がりくねっているので来た道をまっすぐ見通すことはできなかったが、曲がり角の先から僅かに明りが漏れているのがわかった。


 これまで立ち寄ったかがり火台は十何個かほどで、俺もすっかり薪を組むのに慣れてしまった。

 問題なく灯りとして機能する程度には薪を燃やしてきたが、この先の目的地のことを考えて無意識のうちに薪の本数をセーブしていた節がないとも言い切れなくて、果たして何時間くらい燃え続けてくれるのかというのは自信がない。


 もっとも、分かれ道があるとはいえ最終的に採掘現場へ収束するほぼ一本道の坑道なので、最悪間違った道に入っても壁を辿っていけばどこかの出口には出れるだろうが、暗闇の中から強襲されないとも言い切れないので松明は帰り用に残しておきたいというのが正直なところだった。


 坑道の中で酸素を奪う火を焚いても良いのだろうかという不安もあったが、今のところ息苦しくなったり変に熱くなったりすることもなかった。温められた空気が上へ抜けていったためか、あるいは坑道に流れ込む空気と灯火の熱量との比重を調節した位置に焚き火台があるためなのかはわからない。

 とはいえ、これだけ天井も高く人が広々と通れる坑道なのだ。腰までの高さの台に数台火を起こしてもさほど影響はないだろうと自分を納得させて、俺とオルドは最深部を目指す。


 周囲が暗く静かなこともあって今自分たちがどの方角に進んでいるのかというのは少し自信がなく、陽の光が届かない地下ともなれば時間の経過もわからなかった。

 それに目の前の闇の中から今にも何かが飛び出してきそうな根源的な恐怖もあって、ただ一本道のトンネルを歩くだけにもかかわらず精神的に摩耗していくように思えた。


 染み出た水で濡れた土や岩肌を踏みしめて、虎と俺は奥を目指す。

 苔すら育たない闇の中を歩く俺達の間には途中でかがり火を起こす台座を見つけたときくらいしか会話がなく、それ以外は無言で足を動かし続けていた。


 坑道内に立ち入るに当たって、実際に人が殺されている空間に臨むに当たってお喋りをするような状況にないことを互いに無言のまま察していて、暗闇を歩く二人の間に漂う緊迫感がまた俺を苛んでいた。

 それに、周囲を覆う闇のために視界に頼れないとなれば役に立つのは聴覚だ。会話がないのは本能的にそれがわかっているためでもあるのだろう。


 しかし、侵入してしばらく経つというのに魔物の気配は感じられない。ずっと張り詰めた空気を保つのも息苦しくて、この暗闇の中を無言で歩いていると気が狂いそうな焦燥が胸の内をカリカリと引っ掻いてくるのが厄介だ。

 ここにはいないのか、それとも相手の気配を消すのがうまいのかを判断しかねる俺は観念したように前を歩く背中に声を押し殺して問う。


「……いない、よな。魔物」


 どの程度の声量で喋っていいのかはわからなかったので予想以上に小声になったが、無音の空間では十分響いて感じられた。

 これくらいの話し声なら足音のほうが大きいはずで、現に俺の声が敵意の呼び水となるようなことはなさそうだった。

 俺の見解を背中で受けて、虎は大蛇のような尻尾をのそりと持ち上げる。


「……いねェな、ここにはまだ」

「そうだよな、いないよな」


 俺が感じ取れないだけではないとわかると、少しだけ胸を撫でおろした。


「じゃあやっぱり、この奥なのかな」


 どうだかな、とオルドが言う。

 念のための警戒を怠らない姿勢に、俺もそれ以上何かを言う気にはならなかった。


 イレイネが生き残った冒険者らから受けた報告によれば、件の大百足はこの奥の採掘場をねぐらにしているとのことだった。


 管理組合で見取り図をチェックした限りではこの曲がりくねった一本道は最終的にあちこちで分岐した支流と合流し、同じ広間に出るはず。

 その広間こそが主となる採掘場で、肝心の錫食い鉱はその一角から採れるという。

 そしてその広間の壁を食い破って現れたのが大百足らしく、好き勝手に鉱山の壁や天井を食い進む食性もあって崩落の可能性も危ぶまれているのだとか。


 自分たちがその一本道をどれだけ進んで、広間まであとどれくらいかという見当がついているわけではない。

 地上からどれくらい降りてきて、今はどれくらいの深さにいるのかもわからない。


 この状態で天井が崩落しようものなら、と考えるとちょっと楽観的なものの考え方はできそうになかった。

 松明一本しか明かりがない空間で、俺は何かに縋り付きたくなる本能的な恐怖を押し殺しながら足を動かすのだった。


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