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ep61.冒険心の夜

目標:大百足を討伐しろ

 この時代の文明なんてたかが知れている、と侮っていた自分を戒めたのは久しぶりの入浴に使った石鹸が思いのほか高品質だったからだ。

 かちこちの蝋のように硬かったそれは水に溶けるとぬるぬるとした感触を取り戻していき、塗りつけた肌を濯ぐと綺麗に汚れや皮脂を落としてくれた。


 香料なんて高級品だろうから香りがないのは当然なのだが、それはそれとして新緑を思わせる素朴な香りがするこの石鹸も俺は嫌いではない。

 二人並んで無言のまま体を洗うのが気まずかった俺は何気なくいい石鹸だねと話題を振ったら、ミオーヌという町はそれなりに金がある町だからこういった小物なんかも入ってくるのだとオルドは説明してくれた。


 言われてみれば、今日立ち寄った食事処もグラスには薄く伸ばした錫製のものを出していたし、町中でも安価だろう木製の家財より鉄のものが多く散見されていた気がする。

 それに、そこそこの値がするだろう小麦粉をふんだんに使った麺料理なんかもモイリの村では見られないものだった。


 オルドが言うには、ミオーヌは周囲を山に囲まれた鉱山の町として知られているもののその本質は採掘業と精錬業と加工業が密接に関わりあっているからこそできる大量生産、および洗練された冶金技術にあるという。

 職人たちが手ずから作る鉄製品や工芸品の中には貴族御用達のものもあるほどで、近隣国への土産物や交易品としても重宝されているとのことだった。


 その話の流れで、昔この町を訪れたのは商人の護衛と剣の新調が目的だったと話してくれた。

 風呂上りに部屋へ戻る道中で冒険者になると護衛業なんかもやるんだなと話す俺に、オルドは洗った服を肩に掛けた上半身裸のままどことなく得意げに当時の話をしてくれたのだった。


 鉄鋼の延べ棒を山ほど積んで、王国南部のミオーヌの町から更に南下し二週間もかけて南の国の港町へ入った話や、その先の造船所を見学していたら雲のように大きな帆が落ちてきて窒息するかと思ったという話などを聞く俺は、見たことない土地の想像もつかない光景に思いを馳せながら相槌を打つ。


 船に乗ったら海から魔物が船を襲ってきて肝を冷やしたという話に、海にも魔物がいるなら大王イカとかいないのかと聞いてみると、そんなのはしょっちゅう出会うしむしろ食用に狩られるほどだと言うオルドの話を聞いてやっぱりあれって食べられるんだと感激してしまった。

 それどころか人魚だっているらしいがその実態は半魚人の魔物で、漁に出た男衆を狙って海の中から銛を撃ってくるので時には船を沈められるほど激しい戦場と化すらしく、当人たちにとってはたまったものではないだろうが俺はその話にそれでこそファンタジー世界だなと思ってしまうのだった。


 今にして思えば、俺たちがそのような取り留めのない旅の話をしていたのは目先の問題から目を逸らすためだったのかもしれない。

 あるいは、あの場での口論を蒸し返さないためにお互いに別の話で気を紛らわせていたのかもしれない。

 その証拠に、灯りを消して二人そろってベッドに入るまで、俺たちは明日の話をしなかった。


 明日も早いからもう寝るぞ、と言うだけの虎は表面上は俺の同行を許しているようだが、本心ではどう思っているのだろうか。

 足手まといにはなりたくない。だが、勝手もわからぬ素人を連れての魔物退治となると負担になるのは確かだろう。

 気まずいままでは眠れなくて、俺は寝返りを打った。


「……オルド、まだ起きてる?」


 それから、しんとした闇の中で隣のベッドに投げかける。少しの沈黙の後で、衣擦れの音。


「……あンだよ」

「いや……今更だけど、変なわがまま言って悪かったなって思って」


 オルドは冒険者としてプロだ。これまで一緒に過ごしてきた俺にとって、いくつかの偏見を抜きにすればその評価は疑いようもない。


 だからこそ、危険な場所に俺のような素人を連れていくことがどれほどの自殺行為なのかはよくわかっているだろうし、言い方はどうであれ俺のことを思って引き留めてくれていたのは事実だ。

 それを突っぱねて自分の要求を押し切ったことに、今更になって俺は罪悪感を抱いていた。


「……そう思うんなら、ついてこねェでもらいたいもんだがな」

「はは……それはそうだよな」


 返す言葉もない。もぞりと寝返りを打って目を凝らすと、夜の中で両手を頭の後ろで組んで仰向けに寝る虎のシルエットが浮かび上がって見えるようだった。


「ともかく、その……わがままに付き合わせてごめん、ってだけ。それも冒険者らしいことがしたいなんて、くだらない理由でさ」


 返事はない。

 更に何かを言おうと思ったが、寝ると言っていたところにこれ以上無理に話しかけ続けるのもどうかなと思ってやめておいた。

 おやすみ、とだけ言い残そうとしたところで、唸るような声が響く。


「……くだらなくは、ねェだろ」

「えっ」

「俺もそうだからな。じゃなきゃこんな仕事好き好んで続けねェわな」


 その言葉にはいくつか追及する余地があるように思えた。


 つまり、オルドも冒険者らしいことがしたくて冒険者を続けているということなのだろうか。

 確かに、そう考えれば辻褄は合う。


 魔法も使えて、しかも風を操ってあれほど便利な芸当をこなせるオルドは冒険者にならずとも稼げる仕事がたくさんあるだろう。

 それに、百キロを超すだろうイノシシを軽々担げるほど恵まれた体格をしているなら肉体労働だってこなせるはずだ。

 それなのにわざわざ命の危険がある冒険者を続けているのは、冒険者になるということ自体に意味があると考えるのが自然だ。


 ただ、俺はなんとなくそれ以上掘り返して聞く気にはならなかった。

 俺の幼稚な動機を肯定してもらえただけで、十分なように感じたからだ。


「……そう、かな。そういうもんかな」


 返事の代わりに、俺に背を向けて寝返りを打った虎がごそりと藁を詰めたマットレスを鳴らして返した。


「……もう寝ろ。言っとくが、寝不足でフラフラしてやがったら容赦なく送り返すからな」

「それ、こないだも聞いた気がする」


 そして相変わらず置いてったりはしないんだな、とは思いながらも口にしないでおいた。

 おやすみ、と告げる俺に、フン、と虎がつまらなさそうに鼻を鳴らして返すのを最後に、部屋には静寂が戻ってくる。

 しんとした夜の空気の中で、俺は少しだけ救われたような気分で眠りについたのだった。

本日はここまでとなります次回更新は12/11の土曜日です。


初めてのダンジョン挑戦となります、果たして生きて帰れるのか……。

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