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ep60.宿屋の裏手ロマエ

目標更新:目的の鉱石を確保しろ?→大百足を討伐しろ

 イレイネといくつか確認事項について話し合って、残りは翌朝もう一度打ち合わせるということにしてその日の夜は解散になった。

 俺とオルドの口論を見守っていたイレイネは話し合いがまとまった俺達に向かって、どこか思いつめたような表情で「危険なことを依頼して申し訳ございません」と頭を下げてきたが、俺は気にしないでくださいとか月並みなことしか言えなかった。


 この女性は、鉱山の問題に対して自分たちで、あるいは部下や冒険者らを派遣して解決する管理職にあるのだろう。差配した相手が業務中に命を落とすというのは、つまり間接的にこの女性が殺したようなものだという誹りを受けても仕方がない。

 しかし町の利益や使命のためにも、命を落とす危険性のある仕事を誰かに割り振ら冷血さを持たざるを得ない。それを考えると、その心労や胸中は察するに余りあるように思えた。


 そしてこの仕事で、その心労を増やす可能性が一番高いのは言うまでもなく俺だろう。

 俺だってみすみす死ぬつもりはない。オルドの言う通り、今回の相手が小鬼や獣もどきの魔物とは比にならないくらい危険というのもわかっている。


 巨大な魔物と戦うのは実質初めてのことで、どうにかして役に立たなければと今から身の引き締まる思いで宿に戻った俺とどこまでも自然体な虎を出迎えたのは、入浴の準備をしておいたという宿屋のおやじの言葉だった。


 町の中ですれ違う鉱夫だったり前掛けをした職人だったりが皆一様に仕事終わりらしい汗臭さを漂わせていたので忘れていたが、野宿を繰り返していた俺達もそこそこにおっているようで。

 しかし明日には大きな仕事に取り掛かるのにいまいち悠長に風呂に入ってられない気分の俺は、それを聞いた虎がさっきまでの口論など忘れた様子で風呂にしようと言い出すのでその落差に脱力してしまうのだった。


 宿の作りは、入り口正面におやじが詰めているカウンターと従業員用のスペース、右に曲がってまっすぐ行くとそのまま一列に部屋が並んだ宿泊棟に繋がっていて、通りに面した横に長い構造をしている。

 そして裏手には民家や工房が疎らに立ち並んでいたが、この宿は裏口を出たすぐ傍に木の蒸し風呂小屋を備えているようだった。


 一見ただの納屋にしか見えないそれは、二メートルほどの木の柱を複数立てて張った縄に布を渡した申し訳程度の仕切りに囲まれていて、一応周囲の目を気にしないで済むようになっている。

 しかしそれでも屋外で服を脱いで入浴するとなるとどことなく誰かに見られているようで落ち着かない気がするが、虎は当然のように脱いだ服を籠に放り込んで小屋の戸に手をかけるので、俺も観念してそれに倣うことにした。


 入ってすぐの入り口近くに置かれた石鉢の上に、熱源になっている焼き石が無数に並べられていて、それだけでもすさまじい熱気を発していた。

 だというのに、オルドは備えられていた水桶から柄杓で容赦なくその石の上に水を差すものだからけたたましい音を立てて水蒸気が部屋の中を満たしていって、息ができなくなるかと思った。


 背もたれのない簡素な長椅子に座りながらサウナ、あるいは蒸し風呂がある文化なのかとしみじみと思ったが、むしろこちらの方が一回に大量の湯を必要とする入浴よりこちらの方が遥かに経済的且つ簡易的であることは容易に想像がついた。

 無論俺もこのような様式の風呂は知識として知ってはいたもののその熱い蒸気を全身に浴びるのは初めてのことで、体を濡らす程度に流してから蒸されていくオルドの作法に従ってずぶ濡れのまま蒸気を浴びる。


 大浴場って、汚れた体のまま入ったり濡れた体でサウナに入ったりしちゃいけないって聞いたことはあるが、現代日本のマナーやエチケットをこんな世界で気にしてもしょうがないと汗をかく合間にぬるい水を被って、汚れごと浮いた汗を流すのはなかなか爽快だった。


 しかし数分と経たないうちにオルドが「ぬるいな」なんて言ってばっしゃばっしゃと焼け石に水を足すので、俺はそのたびもうもうと立ち込める蒸気に顔を包まれて呼吸に苦労した。

 そんな俺の態度を見咎めたオルドに蒸し風呂も初めてかと聞かれたので、先程の口論の気まずさもあって、入ったのは初めてだとぎこちなく答えるとやる気のない相槌のあとに「まあ貴族ならそういうこともあるか」とだけ返してきたのだった。


 宿泊客専用だろう風呂は今や俺とオルド以外に人はなく、四、五人が入れば満員だろうという狭い室内を締め切って広々と中のベンチに腰掛けて汗を流していたのだが、ゆっくりと穏やかな時間にはならなかった。


「アレだろ、貴族だと風呂もじゃんじゃん湯を使って入るンだろ?」

「まあ……そう、だな。そっちのが一般的だったかな」

「そンじゃこういうのも初めてか、ほーれ」

「えッ、っぶわっ熱っつぅ! おいっ、風っ! 熱っつ!! やめろって!」


 談笑の合間にオルドが魔法で風を起こして俺に吹きかけてくるので、たまらずその場で小さく飛び上がってしまった。

 虎と俺の間に漂う蒸気が不自然に揺れて、熱気の籠った室内で俺の体に届いた風はしかし肌を焼くような熱風となって襲い掛かってくる。


 だははと胸糞悪い笑い声とともに白い靄になって浮かぶ蒸気の流れが緩むと、俺は強く睨みながら柄杓で掬った水を顔に飛ばして仕返ししてやった。

 大口開けて笑っていたところに冷や水を浴びせられた虎は、もう一言何か言おうとするのを続けて遮ってやるとこちらを絞め殺さんばかりに捕まえようとしてくるのでベンチの上に立ってそれを避ける。


 そんな感じで人がいないのをいいことに熱気の満ちた密室でどたばたと騒いだせいで余計に消耗してしまったのか、外気はなおさら涼しく感じた。


 ちなみに俺がわざわざネコ科の豪傑と並んで裸の付き合いをするまでには、虎が終わった後にでもと思っていたところにその頃には石が冷めるぞと言われ、男同士で何を気にしてんだと体育会系らしいノリでからかわれたので従うことにしたという文脈が挟まっている。

 男同士であること以前にこんな屋外で裸になるということを気にしていたのだが、そんなことを説明したところで文化様式の違う異世界人とのギャップが埋められる気がしなくて、やめた。


 蒸し風呂の室内には水を足すための木桶が置かれているだけで、体を流すには心もとない量だった。

 なので必然的に屋外に二つ並べられた盥に並々と汲まれて少しぬるくなった湯を使う必要があったのだが、堂々と体を洗うのにまだ少し抵抗があって俺は一歩踏み出せずにいる。


 しかし、風でちょっと布の仕切りをめくられただけで通行人に裸が丸見えだというのに虎は気にした様子もなく足首ほどの深さの盥の中に入って、汗と蒸気と俺がぶっかけた水で濡れた毛皮を足元から汲んだ水でざばざばと濯ぐと備え付けの灰色の石鹸でごしごしと毛皮を泡立て始めた。


 虎が言うにはこんな夜中に野郎の風呂を覗く物好きはいないとのことだが、それでも俺は野外で大っぴらに裸を晒すことの抵抗は拭えそうになかった。

 少し躊躇した後で、それでも一人で服を脱いで体を流しているところを見られるより二人でいた方がマシなはずだと思って、意を決する。

 虎に従ってちょっと小ぶりの盥をバスタブに見立てて中に入りながら、揃って湯を浴びていると羞恥心が分散されるような気がして、俺は自分の選択を好意的に慰めた。


 虎の毛皮はそれなりに汚れていたのか、最初は灰がかってまともに泡立ちすらしなかったが盥の中にすっぽりと座り込んで十分蒸された毛並みを丹念にほぐしていくにつれだんだんと白く膨らんでいった。

 俺はそれを羊のようだと笑いながら体を流して、簡素な木の台に置かれたタオルで体を拭いて持ち込んでいたボクサーパンツを身に着けた。


 モイリの村を出るときに脱いだものをそのまま穿くのは抵抗があったが、旅の間穿き通したものよりはマシなはずだ。

 むしろその上にまとうものの方が問題で、旅を終えて汗を吸った服をそのまま着るか、持ってきていた肌着かワイシャツで我慢するしかない。

 汗のにおいだけならまだいいが草や腐葉土のにおいはちょっとな。寝るときは着替えて、着てきた服は上だけでも洗濯しておこうかなと思って悩んでいるところだった。


「おう、スーヤ。ちょっと離れとけ」

「えっ」


 残っている水を使い切る勢いで胡坐をかいたままざばざばと頭から尻尾の先までを意外にも丁寧に洗っていた虎が、水を滴らせたまま立ち上がって俺にそう言った。


 俺がそれに従うのも待たずに、なんで? と思った直後には巨大な虎は動物の犬がそうするようにぶるぶると激しい勢いで身震いをし出した。

 ぐっしょりと全身の毛皮を濡らす水滴を勢い良く振り回して払うものだから、俺はせっかく着た服が濡れないように慌てて後ずさった。


「うわッ、ちょっと、オルド!」

「離れとけっつったろォが」


 辺り一面を水浸しにしながら、水気を払った毛皮をしっとりと体に張り付かせた虎が俺の慌てようを笑うのがなんとも腹立たしかった。

 もともとの毛足が短いのか、オルドは水に濡れてなお変わらなく見える体格を一糸まとわず晒したまま髪をかき上げるように頭の毛を後ろに撫でつける。


 どことなく土臭い服をもう一度着込んだ俺は、タオル代わりの平織りの布地で髪の毛と体を濡らした飛沫を拭きながらオルドに犬じゃあるまいし、と文句を言って、なるほど確かに部屋の中ではこれはできないなと野外での入浴に合理性を見出したのだった。


「オルド、タオルいる?」

「あァ、要らねえ」


 タオルは二人分用意されていたが、そのうちの片方を手に取る様子がなかったので尋ねた俺に虎はそっけなく答える。


 水気を払ったとはいえまだ湿っている毛皮でどうするのだろうと思っていると、虎の全身の毛がまるで風にでも吹かれているようにさらさらと靡き始めるのに気がついた。

 俺達を囲む布のカーテンが靡いた様子はなくて、風など吹いてないはずなのにどうしてと思った俺は、しかし小さく聞こえる風鳴りに気がついたこともあって慌てることもなかった。


「それ、魔法?」

「正解」


 虎はどうやら周囲の空気を強制的に循環させてちょっとしたドライヤーにしているようで、腕や背中の毛並みが縦や横に吹かれて靡くのがわかった。

 そういう使い方もあるのかと感心する俺の髪の毛を風で包みながら、虎は「便利って言ったろ?」と言うので絶賛魔法の修行中である俺はついつい風の魔法もいいなと揺らいでしまうのだった。

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