ep59.ダンジョンロンパ
目標:目的の鉱石を確保しろ?
思わずたじろいだ俺に、虎がふぅっと溜息を吐いて口を開く。
「……イレイネ、お前はこんなガキが中位冒険者に見えるのか?」
「い、いえ……ただ、オルド様がお連れになっているので、そのようなものなのかと……」
「違うな、こいつはただの見習いだ。いいなスーヤ、行くのは俺一人だ」
オルドが厳しい口調で言うので、俺はムッとして言い返す。
「な……なんでだよ。俺らで受けた仕事だろ、俺も行くって!」
「お前な……わかってンのか? こんなもん安請け合いしたばかりに死ぬかもしれねェンだぞ。あのインチキ魔術師にハメられたようなもんだ、そんなもんに命賭ける必要がどこにある?」
真剣な物言いに、俺は少しだけ鼻白む。虎が続ける。
「確かにお前は、そこらのごろつきや冒険者見習いなンかよりは腕が立つンだろうな。でもな、今回のこいつは……危険度中位以上ってのは、平和な草原や森を歩くことの比じゃねェくらい危険っつうことだ。目に見えてる罠をわざわざ踏んで歩く必要はねェだろ」
「……それ、死ぬかもしれないから辞めとけってことか?」
俺の言葉に、オルドは沈黙で返した。
虎の言い分は……言葉こそ荒いが、内容自体は俺を諭すようなものだということはよくわかった。
確かに、イレイネが言う通り実際に死者も出ているくらいだ、これまでより危険な相手というのは疑いようもないだろう。
ここ最近この世界に来たばかりの俺が、それも平和な現代日本に生まれてそのほとんどを病院で過ごしたような男が何か力になれるわけがないことは俺にもわかっている。
俺より長くこの地に生きて、成人すらしているような男達があっさり殺されているのだ。戦いや武術なんかとは無縁の世界に生きてきた俺なんかじゃ餌になるのが関の山かもしれない。
せっかく得た第二の人生だ、死ぬ危険があるのだから辞めた方がいい。
ほんのちょっと戦う技術を身につけただけで何をいっぱしの冒険者を気取っているのか。
これはオルドに任せて、俺は安全な場所でゆっくりしていよう。
……それでいいのか?
「……それは、違うよ。実力が足りないからって言うなら、従う。でも、俺が死ぬかもしれないからって言うなら……悪いけどそれは頷けない」
静かに言い返した俺を、じろりとオルドが睨む。
「だって、そんなの今更だろ。オルドとあの村を出た時から安心安全な生活なんてないって覚悟はしてるさ。それに、俺だってこの仕事を受けると決めたんだ、危ないところだけオルドに任せるなんてできねえよ」
「わからねェ野郎だな」
ピリッと空気が張り詰める。剣呑さを帯びた声に、イレイネがおろおろと俺とオルドを見比べている。
「実力も足りねェって言ってンだよ。自殺がしてェならもっと景気のいい場所でしやがれ、こんな騙されたも同然のクソ仕事のどこにお前がそこまでして無駄に命を賭ける理由がある?」
「理由なら、ある」
はっきりと苛立っている虎の声音に、しかし俺は怯まなかった。
不機嫌そうなネコ科の顔に、しかし俺は正面から言い返した。
「鉱山の魔物を退治して、目当ての宝を入手する……今回の仕事って、そういうことだよな?」
「……まあ、そうだとして。それがどうした」
虎が眉をひそめる。俺は真っすぐその顔を見据えて、答えた。
「それって……いかにも、冒険者らしくないか?」
寄っていた虎の眉間に浮かぶ皺がふっと消失したのは、その目が意外そうに瞠られたからだった。
死傷することの恐怖より、憧れが勝っていた。
もちろんそれは、自分の実力を過信しているがゆえの驕りであるのかもしれない。
なまじ半端に戦う技術を身につけただけに、無鉄砲になっている節がないとも言い切れない。
それでも、町の人が手に負えない魔物を退治するなんてまさに物語の主人公のような、俺の好きなフィクションのシナリオにありがちな流れではないか。
満足に動ける体をこの世界で得た俺が、そんなワクワクするイベントを我慢できるわけがなかった。
ほんの数年分、死に続けただけの高校生が一人前の冒険者よりも優れているなんて思うわけではないけど、それでも。
「言っただろ? 昔から憧れてたって。俺がこっちに来たのは、きっとそういう冒険者らしいことを……命がけの冒険をするためなんだ。くだらなく聞こえるかもしれないし、ひよっこが何言ってんだって思うかもしれないけど……逆に今後、冒険者として俺も生きていこうとするならこういう経験もしておいた方がいいと思うんだ」
虎は俺の弁を黙って椅子に座ったまま聞いている。それに、と俺は続ける。
「魔物討伐なんてさ、冒険者としてはありふれた仕事だろ。やっぱり危ないからなんて理由で一度受けた仕事を辞めたら、なんつーか……今後も同じようにやっぱり辞めるって逃げ出しそうな気がするんだ。だからこそ、一緒に行く理由ならある。冒険者として今後やっていくためにも、自分でやり遂げなきゃいけない理由があるんだ」
一度それに慣れてしまうと癖になると言っていたのは、果たしてどの漫画だったか。
蘇るとはいえ散々痛い思いと死ぬ思いをしてきた俺は、それに立ち向かうことでなんとか自分を保ってきた。
ここで逃げ出してしまうと、逃げる味が癖になってしまうように感じられて、これまでの全てが無駄になる気がしたのだった。
「……身の程も知らねねェ馬鹿が、冒険者になろうってか?」
「それは……そうなんだけど、俺だって役に立てるかもしれないだろ。もちろん無駄死にしたいわけじゃないさ、対峙してみて俺じゃ手が出なさそうなら大人しく退くよ。退却するにも一緒に戦うにも、オルドには負担かもしれないけどさ……」
命が危ないから逃げろ、というのはわかる。だが今はそれよりもっと前の、挑戦する段階の話だ。
もちろん死ぬまで戦おうとか、無策無謀で挑もうとは考えていない。
せっかく得た第二の人生、百足程度に使うつもりはないしその辺りの引き際は心得ているつもりである。
自分が傷つく覚悟だけでなく、いざとなったらオルドを残して一人退却する覚悟も必要だろうということも承知の上だ。
憎たらしいネコ科のはずなのに、その見極めや判断をオルドが下すならそれも仕方ないと思えて、不思議と心は波立たなかった。
グッ、と虎が火酒を呷る。ぷはぁ、と酒気を帯びた息を吐いて、誰にともなく「憧れ、か」と呟いた。
「……なるほどな。つまりお前は……自分が行く必要だとか、餌になって死ぬ恐怖だとか。そういう合理よりもふざけた理由を選ぶわけだ」
ぼそぼそと言って、ゆらりと虎が立ち上がる。
元々テーブルについていた時から小山のように大きかった図体が、立ち上がって俺に影を落とす。
「そうだ。危ないっていうのも、死ぬかもしれないっていうのもわかってる。全部オルドに任せれば俺は安全なのかもしれない。でも、俺も行きたい。そうじゃないと俺は今度も同じことをする、また誰かにおんぶにだっこで生き続けることになる。それだと、ここに来た意味がないんだ」
そうしたいから、そうする。
言ってしまえば、それだけの理由だ。ただのわがままでしかない。
足手まといになるからとか、実力が足りないからとかそういう理屈がわからないわけではない。
「だから……頼む、俺も行っていいか?」
だけど、そうしたいからこそ、ただのわがままだからこそ、理屈では止まれないものがある。
第二の人生で得た命をこんなところで使うつもりはない。それでも、第二の人生で得た命だからこそ、自分の命を賭して挑戦してみたい。
リスクや合理性では勘定項目にすらならない、この胸を突き動かすのは即ち幼稚な意地とちょっとのロマンだった。
立ち上がった虎が座ったままの俺を睨んだまま、大きな手を俺に向かってぬっと伸ばす。
殴られる、と思った俺はしかし無茶なことを言っている手前、避けるでもなくそれを受け入れるしかないと見上げたまま目を瞑った。
その瞬間。
旅の間にぼさぼさに汚れてあちこちに毛の跳ねたオルドの大きな手が、俺の髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回す。
髪の毛に付着して固まっていた土が乾いて砂のようにぽろぽろと落ちるのを感じて、俺は目を開けた。
「……出発は、明日の昼だ。イレイネ、悪いがそれまでに地図と……中で使える光源を用意できるか、ランプでも松明でも何でもいい」
「えッ……あっ、はい! もちろんです、お任せください!」
事の成り行きを見守っていたイレイネに、俺の頭から手を離したオルドが席を立ったままそう告げる。
これは、オーケーが出たというだろうか。聞き返そうとする俺に、オルドが先手を打つ。
「ここで断って、勝手について来られても困るンでな。言っとくが、中位冒険者である俺の指示には従ってもらうぞ、邪魔だと思ったらお前だけでも帰すからな」
譲歩して俺の願いを聞き入れてくれたと見えて、俺は深く頷いた。
「わかってる、それで十分だ。ありがとう、オルド」
フン、と虎が鼻を鳴らす横で、イレイネが安心したように微笑みを浮かべていた。
そっぽを向く虎に、俺は心からの感謝を重ねる。
「悪いな、わがまま聞いてもらって。オルドにはくだらない理由に聞こえるかもしれないけどさ……でも、そういう冒険者らしいことがしたいのは本当で、本気なんだ」
ちらり、と虎が俺を見る。それから、小さく呟いた。
「……わかるさ、俺もそうだったからな」
「えっ?」
聞き返した俺に、オルドは「なンでもねぇ」とだけ返したのだった。




