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ep54.昔話と偽名

目標:目的の鉱石を確保しろ

「風呂の準備はしてくれるらしいな。そンじゃ先にメシと……情報収集でもしてくるか」


 虎はそう言って立ち上がると、剣と財布だけを持って鞘から伸びる革紐を肩にかける。ラフな服装で肩から剣の柄を覗かせる虎に風呂は後回しなんだ、と先にさっぱりしたかったという思いはしまっておくことにして、俺はふと思い出して聞いてみた。


「オルド、ここの宿に泊まったことあるのか?」

「おう、あるぜ。……あの符丁、面白ェだろ」


 こちらの聞きたいことを見抜いたように得意げに虎が言って、そのまま語り出す。


 ここの店主が宿屋を立ち上げたばかりの冬の日だった、経営と算術を学ぶとある苦学生が泊まりに来たのは。

 南の村からやってきたその学生は鉱山の雇用面接のためにこの町までやってきたのだが、その滞在のための宿が見つからずに苦労していたところだった。

 最低料金の部屋ですら宿泊費が足りず、門前払いを受けたその学生はあの手この手で店主の機嫌を取りついにはみすぼらしい宿の不格好なベルまで褒め出したという。


 それを聞いて態度を良くした店主がその苦学生を赤字覚悟で泊めたその年に、学生は晴れて町の鉱山の管理組合に仕事が決まったらしい。

 そしてこの時の恩を覚えていた学生は、町の活性化と労働者の確保のためにという名目で数年かけて市政に働きかけ、出稼ぎ労働者を宿泊させる宿にかかる市税を減税させたことをきっかけに、宿の経営がうまく回りだした……という逸話から来る符丁のようだった。

 些細だが、身を切った親切は巡り巡って自分のためになる、という教訓のような話だと思いつつ、ということは、と俺は尋ねる。


「じゃあ、俺があのドアベルを褒めたのも嘘だとわかってるってことか?」

「方便だっつぅのはわかってるンじゃねェか。だが、当時の事件を知ってる一部の常連客とここのおやじの間じゃ鐘を褒めて値切るっつぅ符丁自体が思い出みたいなもんなのさ。そんなに広く出回っている話でもねェしな」


 ベッドに座ったままの俺は、なんとなくオルドはその一部の常連客の一人なのだろうと思った。

 しかし、そういうものなのだろうかといまいち釈然としない俺は、オルドは「実際のところ、本人はあの鐘をいい出来だと思ってるらしいしな」と続ける。


「客がどういうつもりで鐘を褒めたのかなンつぅのは、本人が真実を確かめねェ限りは聞いたこと、考えたことがそのまんまの事実だ。ここのおやじもそれでいいと思ってるンだろう、昔からそういう店主だからな」


 確かに実際にいい出来とは言い難い音色だったし、あまり褒めすぎても嫌味と取られないか冷や冷やしたものだが、相手がそれで悪い気がしないのならそれはそれでいいのだろう。

 教訓みたいな口ぶりで、虎はしみじみとおっさんのように語る。既知の間柄であることを隠さない様子に、俺はもう一つ思い出した。


「何回か泊まりに来たってことは、それなりに古り知り合いなのか?」

「まあな。創業間もない頃、俺がまだ駆け出したったころから世話になってるくれェか。この町に来ること自体そんなに多くねェんで、泊まりにきた回数は少ないがな」

「じゃあ結構長いんだな……それならさ、おやじさんがオルドのことオルドリウスって言ってたんだけど……それってなんなんだ?」


 その瞬間、ぴたりと虎の手が止まったのを俺は見逃さなかった。しかし次の瞬間には淀みなく動いていて、俺じゃなきゃ見逃してしまいそうな不自然な一瞬がそこには確かにあった。


「……そりゃ、偽名だ。当時のな」

「偽名?」

「おう、いろいろあンだよ。長いことこんな仕事してるとな」


 嘘だと直感した。

 事情はどうあれ、偽名にするなら本名と被らない名前にする方が都合がいいことは俺にもわかる。

 それをわざわざオルドという短い響きを含んだ偽名を使うほどこの虎は間抜けではないはずだった。


 それよりむしろ、俺にはオルドという名前がオルドリウスという名前を縮めたものにしか聞こえない。

 追求したものかどうか迷っていると、ごちっと重厚なブーツが木張りの床を踏みしめてドアに向かう。


「さて……お喋りは後にしていい加減飯にしようぜ、いい手延べ麺を食わせる店があるンだ。それに、仕事の話もあるしな。うまくいけばそこで話も聞けるはずだ」

「あ、うん……麺?!」

「なんだ、食ったことねえのか?」


 食ったことないわけではないが、最後に食べた麺などいつのことだったかも思い出せないほどだ。

 それに、この世界の食料事情についてはパンと干し肉がメインのファンタジーな世界だと思っていたので、イメージしていなかった料理名が飛び出したことに俺はつい反応してしまう。

 ドアを開ける虎の後ろにくっついて部屋を出ながら、俺は口を開いた。


「そういうわけじゃないんだけど、まさかこっちでも食べられるなんてと思って」

「そりゃどこにだってあるだろ。ま、貴族様の口に合えばいいがなァ」


 クツクツと虎が笑って、宿を出て通りを歩きながらそう返した。

 宿を出るときに、オルドはちらりとカウンターにいないおやじを気にしている様子だったが、果たしてどういう関係なのだろうか。


 俺はすっかり名前の謎についてはぐらかされてしまったなと思いつつ、どんな麵料理があるのかを楽しみにして後に続くのだった。

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