ep50.リザルトアンドリワード
目標:鉱山の町へ向かえ
「角持ち猪か、お手柄だぜ。雑食で、縄張りに入った生き物を見境なく攻撃する暴れん坊だ。毛皮は高く売れるんだが……よっと、こいつにやられる新米冒険者も少なくねえんだよな」
その名称は俺の耳にくっついている黒い石が日本語に変換してくれたわけだが、こっちの言葉での名称が気になるところではあった。ゲームに出てくる名称としてはホーンドボアーとかその辺りだろうか。
虎は大剣とは別の解体用のナイフでその辺りの木の蔓を切り取ると、毛皮も寝てしまった躯を蹴飛ばすように足で仰向けにした猪の後ろ足と前足をまとめて縛りながらそう言った。
フィクションで、角を持つ兎やら馬やらは見たことがあるけど猪というパターンは考えたことなかったな、と俺はだいぶ少なくなった水で喉を潤しながら思った。
もっとも、角というには巨大すぎるし、こうして改めてみると全体のフォルムが一つの弾丸のようだったが、ともかく。
「ここが縄張りって知ってたのか? オルド」
「馬鹿言え、俺が避けてやったのにご丁寧に自分から入っていったエサ志望のバカはお前だろォが」
虎は猪の首元に切り傷を作りながらそう言うと、変に傾いでたり幹が抉れている木を指す。
今の戦闘で猪が突進した木々だと思ったそれらは、よく見れば直近のものではなく俺が焚き木集めにちょうどいいと枝を拾い集めていた付近だった。
それで、この傾いた木や凹んだ樹木は縄張りを示していたのかと俺は合点がいった。
なるほどそれなら確かに、最初にこの猪に喧嘩を売ったのは俺ということになる。
それだけで殺意を向けてきた獣相手に同情する気はないが、襲われるきっかけを作ったのは自分だ。
ましてやオルドはわかっていて避けていたというのに、無計画に立ち入ってしまったことを考えると返す言葉もない俺に、虎は続ける。
「それなりに金にはなるんだがな、でけェし素早いしで相手にするにはちと面倒だと思って避けてたわけだが……杞憂だったみてえだな。こいつに土手っ腹ぶち抜かれて死ぬ新米冒険者は何度も見たことがある、お前がそうならなくて残念だ」
「……そりゃ、悪かったな期待に沿えなくて」
からかうような調子だったので、俺も皮肉を込めて返した。
「自分の身は自分で守れるっつぅのは嘘じゃねェみたいだな、木の枝で応戦しようとすンのはちっと無謀だが」
「まあ、ちょっと驚いたけどな……というか、そこまで見てたのかよ」
「あんだけでけェ音を立てりゃァ誰だって気づくさ。んで見に来てみたら案の定襲われてるしな……剣を届けてやっただけでもありがたく思え」
「……それもそうか。ありがとうオルド。助かった」
得物がなかったらさすがに持て余す相手だったことは間違いない。
それでなくとも、逸る気持ちを抑えきれずに軽率に魔物の縄張りに侵入したのは自分だ。
元凶を目の当たりにしたからか、木が倒れていたり傾いでいたりするこの一帯だけ明らかに異質な様子が今でははっきりとわかる。
猪の存在とまでは行かなくても、何か怪しいぞと気づけていれば、と自分を責めた。
立って素直に頭を下げる俺に、束ねられた猪の足に結わえた蔓を樹上に引っかけてロープか何かのように引っ張りながら虎は逆に不満そうな顔をした。なんだその顔。
「……からかい甲斐のねえやつだな」
「えっ、なんでだよ」
虎は肩透かしを食らったように「なンでもねぇ」とだけ言って蔓を手繰る太腕に力を漲らせると、百キロを優に超すだろう巨体が僅かに浮く。
仰向けになったまま、括られた四つ足を縛る蔓で吊るされた猪は腹の切り傷と首元、人間でいううなじの部分の傷からぽたぽたと緑の血を垂らしている。
血抜きかと理解した俺に、解体用のナイフを濡らす緑血をその辺からちぎった産毛の多い葉っぱで拭き取りながら虎が続ける。
「明日には血も抜けていくらか軽くなるだろ。こいつは町に持っていって金に換えちまうか」
「そんな簡単に売れるのか?」
「冒険者ギルドなんかじゃ魔物の遺体は積極的に買い取ってるぜ、毛皮や牙なんかはいい素材になるんだと」
流通とか、引き取り手の心配をした俺はそれを聞いてまるきり狩猟ゲームだなと思いつつ、しかしこの猪の毛皮を自分が纏って防具にするようなイメージは湧かなかった。
「肉は?」
「売れるぜ、つってもものによるんだが……こいつはどうだろうな。見たところ……メス、それもこんだけ痩せてると産後か。そうなると肉は二束三文にしかならねェんじゃねえか? 直近で人を食ってたりしたら、もっと価値は下がるかもな」
そうか、俺の知る創作なんかじゃ魔物の肉はうまいというのが通説なのだが、そもそも人を食った動物の肉を食えるかどうかという問題は思い至らなくてハッとさせられた。
確かに、直近で人肉を喰らって生育した魔物の肉を食うのは間接的にそれを摂取するようで
あまり気が進まない。
むやみやたらに魔物を狩って食べるというのも考え物か……と肩を落としたのも一瞬のことで、虎の言葉に俺は少しだけ罪悪感が芽生えた。
「……母親、だったのかな」
この魔物には子供がいるのかもしれない。
そう思うと、襲われたとはいえ縄張りに入るというきっかけを作ったのは自分で、やむを得ず倒してしまったことにちくりと胸に棘が刺さるような痛みを覚えた。
それは残された子供のことを考えたからなのか、あるいは倒した猪を母という括りで見てしまったからかもしれない。
「……おい」
「わかってるよ、魔物は魔物。先に殺そうとしてきたのは向こうだ。だったら逆にやられることも覚悟していたはず、だろ?」
押し黙ったまま猪を見つめている俺が表情を陰らせたのを察して虎が口を開くが、それを制して俺は一息にそう言い切った。
意図せずして自分に言い聞かせるような口ぶりになってしまったのは、きっと悟られているだろう。
「それより、ここで解体とかしないのか? そっちの方が荷物が軽くなると思うんだけど」
「獣くっせぇ血まみれで今夜眠りてえンなら、それでもいいぜ」
「……じゃあ、やめとく」
軽く跨いで渡れそうなものだったが、川は半日前に通り過ぎたのでそこまで戻るのも手間だった。
それに解体すると言っても大体は虎に任せっきりになるだろうし、そこまでこき使うのもどうなのかと思ったので、首を振っておく。
虎は僅かに緑に汚れた手を外套で拭って、身にまとう服が汚れるのも構わずに続ける。
「だろ。本当は内臓くらい抜いておきてェんだがな、どのみち肉目当てで狩ったわけじゃねえんだ。血抜きするだけでも上等だろ」
森の土が吸いきれない緑の血が、苔のように広がってぐちゃりと踏み鳴らされた。
「それもそうだな……なあオルド、魔物の血ってなんで緑色なんだ?」
「知らん」
ちょっと気になっただけの問いを口にした俺に、ナイフを鞘に納めながら虎が短く答えた。
その返答の仕方にどこぞの白ライオンを思い出して、無駄にひやりとした俺に虎は続ける。
「魔力が濃いからとか言われてるが、詳しいことは知らねェ。学者連中ならともかく、まあそういうもんなんだろっつぅ認識しかねえな」
「えっ魔物って魔力があるのか?!」
「そりゃそうだろ、じゃなきゃ魔物って呼ばねえだろ」
魔力があるから動物、だから魔物かとすぐにピンと来た俺は、俺ですらまだ魔力に目覚めてないのにと無駄に悔しい思いをした。
「さて、戻るか」
「血抜きしたままでいいのか?」
「あぁ。野生動物もこの辺りはこいつの縄張りってわかってるだろうしな。いくら肉のにおいがしても近づかんだろう」
なるほどな、確かにこれだけ荒れた木があちこちにあればその分縄張りを主張するにおいも強いはず。それに、野生動物はおろか見る人が見ればすぐに縄張りの痕跡に気づいて近づかないだろう……俺は気づかなかったけどな。
これからは野生動物や魔物の存在や痕跡にも注意しないと、と一人反省しながら荷物を置いた場所へ虎と戻るのだった。




