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ep49.急襲ボアー

目標:鉱山の町へ向かえ

 翌日も、変わらないペースで旅は続いた。

 何かあるとすれば、赤くなった俺の目を見た虎が朝一で鼻で笑ったくらいだろうか。


 オルドが先導し、俺はその後ろを歩く。

 俺は一日かけて学んだ食用の果実や木の実を採取しながら、虎は見かけた小動物を一匹二匹ほど仕留めつつ揃って森を進んだ。


 虎は時折丸めた地図と磁針を取り出して方角を確かめつつ、確かな足取りで歩いていく。

 何度か立ち寄ったことのある町だと言っていたので、道案内は任せることにした。


 森を歩くのにも慣れてきたと思い上がった俺が、歩きながら自分の体内の魔力をどうにかして感じ取れないか意識を集中させていたところに、虎が避けてそのままになっていたクモの巣が俺の顔面をぴったりと包んだのが三日目の旅のハイライトだった。


 そしてその夜。


 野営は、森の出口の傍で行うこととなった。

 目の前には開けた草原が広がっていて、起伏のある大地の彼方には芝生の禿げた道路が見える。

 虎も、あと一日足らずで目的地に着くだろうと芝を剥いだ土の上に焚火の木を組み上げながら言うので、俺は旅の終わりと新天地への到着に胸を躍らせた。

 ちなみに、火を起こす際にガツガツと火打石をぶつけ合って立てた火花で火口を燃やすのはオルドの仕事だった。

 俺も何度か挑戦させてもらったが、火花ひとつ立てれないどころか自分の指を潰しそうになって肝を冷やしたものだ。


 だからこそ役に立たないなら立たないなりにせめて焚き木だけでも集めてこようと思って、その勢いのままオルドの傍を離れたのは失敗だった。


 何せ、荷物を殆ど持たずに出てきたからだ。

 帰り道がわからなくなったわけではない。

 確かに少し遠くまで来たが、それでも十分少々歩けば元の場所に出るだろう。


 満足に集められなかったわけでもない。

 何か強い力で押されたように傾いでいたり、幹が歪に凹んでたりする木の側にちょうど良さそうな枝がたくさん落ちていたので、戦果としても上々だった。


「……えー、っと」


 俺が困っているのは……明らかに興奮した様子で、鼻息を荒げる大きな猪が数メートル前方で俺を見据えていたからだ。

 口の端に俺の手のひらほどもある牙を覗かせて、茶色い毛皮を全身にまとった獣は力を溜めるように前足で地面を掻いている。


 自転車サイズの大きな……猪、だろうか。いまいち自信が持てなかったのは、その見た目が猪にしては奇妙なものだったからだ。


 普通猪といえば平たい豚鼻を備えているはずだが、目の前の獣の鼻先は大きく尖っていて、瞳の色も傾いてきた陽の光を受けて妖しく赤く輝いている。

 錐形に尖って突き出していて、その陰に鼻の穴が空いていた。そしてその飛び出た鼻の部分だけが、毛で覆われておらず硬質そうに黒ずんだ地肌を露わにしている。

 鮫のような鼻をした猪とか、サイの角のような鼻をした猪と表現するのが的確だろうか、ともかく。


 そんなものが野生の動物とは思えない。

 これまで村や森の中で目にした動物は俺の知っている地球の動物の形をしていたからだ。


 であれば目の前のコイツは、魔物に違いないだろう。

 どういうわけか、俺に敵意を漲らせているのもきっと人間を獲物としているからに違いない。


 戦うというのなら、相手になってやるという気持ちはある。

 人を殺そうと言うのだ、逆に殺される覚悟だってあろうというものだ。


 しかしさらに困ったことには……俺はせっかく買った剣を持たずに焚き木集めに出ていたわけで、早い話が徒手空拳でこの尖り鼻の猪を相手にしなければいけないということだった。


「……話の通じる相手、じゃねえよな」


 どうして人間を襲うのかという疑問は絶えなかったが、争いはやめようなどと平和主義がまかり通るような状況でないことは火を見るよりも明らかだ。

 だからこそ、降りかかる火の粉は払うほかない。


 俺は集めていた焚き木の中で、一番太くて堅いしっかりものを手に取って大柄な猪に向き合う。


 当然猪という獣を、テレビや創作物以外で実物を見たのは今日が初めてだ。

 こいつは一般的な猪とは別の存在かもしれないが、その形質はほとんど同じ四足歩行の獣である。

 確かに何か森の木々以外のにおいはしていたが、それは野生の動物だろうと高を括っていたので、まさかこんな獣じみた魔物がいるなんて思いもしなかった。


 そんな獣がどうやって人を襲うんだと軽んじる俺は、それでも猪の全身が小さく縮小するのを見逃さない。

 後ろ足の筋肉が膨れ上がって、溜めを作るその瞬間を。

 俺は弾かれたように横に跳んで、猪の正面から逃れる。


 すると。


「ぅっ……ぉおッ……?!」


 ぶわっととんでもない質量がすぐそこを通り過ぎて、空気が巻き上げられる。

 ぼごんと著しい衝突音が響いて、ばさばさと木が揺れて、ガァガァと鳥が鳴いて。

 慌てて鳥が飛び立つ中を、葉っぱや木の枝が舞い散る。


 全身が筋肉の塊のような猪は、まるで撃ち出された砲弾のような勢いで俺の後ろにあった木に突っ込んでいた。


 何の変哲もない体当たりだが、その尖った鼻先もあってまともに喰らえば柔らかい人体などただでは済まないことを、猪の質量を受け止めて歪に抉られた木の幹が物語っていた。

 しかし威力が凄まじいことは認めるが、その勢いで突っ込んだのならすぐには動けないはず。

 そう思って俺は無防備な横っ腹を蹴り上げてやろうと駆け出すが。


「あッ……ぶねぇ! そんなんアリかよ!」


 ブギィと鳴いた猪はまるで激突した痛みなど感じないような様子で、ひょいと軽い足取りで俺目掛けて方向転換するとコンマ数秒の溜めを作って再度突撃して来た。


 たまらずもう一度身をひねって回避する俺は、心臓がどくどくと脈打つのを聞きながら猪がその発達した鼻先で木を薙ぎ倒すのを見ていた。


「ッくぅ、早ッ……!」


 もう一度突進の後を攻撃しようと試みるも、またも軽やかに振り返った猪がぎゅんっと低く跳んでくるのでこれを回避する。


 ずずん、と倒れた木が大地を揺るがす。

 避けながら、すぐ脇の木に衝突したのでチャンスとばかりに身を翻し攻勢に転じる。猪も再びの突進のために身を反転させるが、それよりも振りかぶった枝を振り下ろす方が早かった。


「お、らぁッ!!」


 無防備な猪の頭部を打ち据えた俺の一撃に、猪はブギィッと豚のような鳴き声を上げた。

 効いたか、と思ったのも束の間、枝を振り下ろして密着したままの俺を振り払うように猪は激しく首を振って俺を押し退けた。


「くそッ、さすがに軽いか……!」


 暴れる猪に後退させられた俺には、猪の足が思い切り地を蹴るのが見えていた。

 そのまま再び突進してきた茶色い砲弾を辛うじて避けると、外套が風にぶわりとはためいた。


 クソ、やっぱ木の枝じゃ駄目か。脳を揺らせばあるいは、と思ったがあんな大きな図体に有効的な打撃を加えられるイメージは持てそうもない。

 せめて武器があれば……と思った時だった。


 薄暗い木々の隙間を抜けて、何かが飛んでくるのがわかった。

 そちらを振り返るのと、鞘のついたままの剣が俺の前で落ち葉を巻き上げて滑り込んでくるのは殆ど同時で。


 どうして剣が、と考える暇もなく、俺は次の突進を避けつつ剣に飛びつく。

 両手で鞘を引っ掴んで、ぐるんと前転しながらそのまま鞘を抜き捨てた。


 しゃらん、と鞘に摩擦して鋼が鬨の声を上げる。

 前転した後の低い姿勢を保ったまま、しっかりと柄を保持する俺は巻き上げた落ち葉の奥で今まさに振り返ろうとしている猪を見据えた。


 殺意に満ちた鼻息。ぎらついた野獣の目。呼吸に喘ぐ口から覗く牙。

 そのどれもが、俺に向けられている。

 俺の命を、奪うために向けられている。


 認識した。その瞬間、世界をスローに感じた。

 手足は熱く、体全体が大きなポンプになったように鼓動がうるさい。


 指先まで巡る激しい血流が、握った剣にまで体温を伝えている。

 大きく見開いた瞳が相手を射竦めて、逆立つ毛の一本一本まで鮮明に見えるようだった。


 土に埋まる根を浮かせて、立派な広葉樹を傾かせた猪が舞う木の葉の中で振り返って、太い足が筋肉で膨れ上がる。

 ブゴッ、とくぐもった息が耳に届く。

 その足の動きが、妖しく輝く赤い目つきが、筋肉の強張りの全てが俺に伝えてくる。

 猪がどのような速度で、どのような軌道で俺を殺そうとするのかを。


 ごっ、と地を蹴った猪の速度は、野生動物では実現し得ない爆発的な加速だ。

 まるで足の裏で火薬を爆ぜさせたような勢いのそれを、俺は紙一重で避ける。


 横に一歩、滑るような足運びで躱すと、一歩下げた後足でしっかり自分の体を固定する。

 軌道上から逃れつつ、横に構えた剣だけをそこに置き去りにした。


 それで、勢いに弾かれぬよう肘を自分の胴に当ててしっかりと押さえると。


「んぎッ……ぉぉぉぉおおッ!!」


 後は力任せに、振りぬいた。

 刃先がブツブツと毛皮と肉の繊維を断つのがわかって、剣にまとわりついて飛んだ緑色の血が俺の体をわずかに濡らした。

 横向きになって猪の顔を捉えた剣は、尖った鼻先から滑ってその下の口元を切り裂く。

 一度裂いてしまえば、あとは毛皮に覆われた肉の塊でしかなく、磨かれた鋼の刃に敵うほどではなかった。


 気分はまるきり四番バッターだった。

 一つ違うとすれば、バットに当てた巨体が俺の前に転がることはないことだった。


 ごろごろと俺の後方で巨体が転がるのがわかる。

 自身の慣性のままに落ち葉を巻き上げて二、三回転すると猪はそのままぐったりと横たわったまま、ギィィと弱った鳴き声を発した。


 肩越しに、まだ猪の腹が上下しているのを見た俺はゆっくりと立ち上がる。

 じんじんと痺れる手に緑に汚れた剣を握ったまま、横たわる猪の傍に歩み寄る。


 赤い瞳は、少し弱々しくなったもののまだ爛々と俺を見つめていた。

 その眼から人間らしい感情は感じられない。恨むわけでも命乞いをするわけでもない、作り物のような無機質な瞳を見下ろして、俺は猪の体の上に剣を構える。


 死に瀕している相手を前に、死を身近に感じた自分の体内で昂った血流が体の中を巡ってガンガンと騒ぐ。

 痺れの薄くなった手が、手応えを求めて強張る。


 わかっている。

 まだ死んでない。


「……心臓は、前足と首の交差する位置だ」


 振り返るでもなく、後ろの声にコクリと頷いた。

 下向きに剣を構えて、照準を合わせるとぴたりと猪の腹の上で止める。

 そのまま、やたら柔らかく感じる腹に一息で剣を突き立てたのだった。


本日の更新はここまでとなります。


そろそろ鉱山編に入っていくかと思います!新たなイベントが発生するかも……?!

来週もお楽しみに!

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