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ep48.ノンフィクション

目標:鉱山の町へ向かえ

 焚火の前で暇そうにしているオルドに、暇つぶしがてら何か話しかけようと思って少しだけ考えた俺は、ふと思いついたそれを魔力の指南ついでに尋ねてみる。


「なあ、オルドはなんで魔法を覚えようと思ったんだ?」

「言ったろ、便利だからだ」


 昨晩と似た文句を返す虎に、俺は首を振った。


「それ、風魔法にした理由だろ? 便利だからって理由だけで、そんな長いこと瞑想したり修行したりすんのかなーって思ってさ」

「……」


 沈黙を返す虎は、喋るべきか迷っているように見えた。

 それで、昼間採取したうちの巨峰にも似たビー玉サイズの黒い実を口に放り込むと、独り言のように答えた。


「……ただの成り行きだ。最初は嫌々でな、魔法も覚えるようにって色々と訓練させられただけだ」

「訓練させられた……って、誰に?」

「誰だっていいだろ」


 ぴしゃりと取りつく島もなく会話を打ち切る虎に、これ以上の追求は難しそうだなと判断する。

 触れてほしくない話題なのかなと思いつつ、ふーん、と俺は相槌を返して別の切り口から会話を試みる。


「じゃあさ、オルドは魔法が使えるのになんで冒険者になったんだ?」

「あァ?」

「ほら、昨日言ってたろ。魔法が使えれば仕事には困らないって。それなら、別に冒険者にならなくても職には就けたんじゃないのか?」

「……別に、大した理由なンかねェよ。冒険者やってる方が気ままで楽に稼げるっつぅだけだ」


 その発言で、俺の中で点と点が繋がった。次の瞬間には、思わず指摘していた。


「嘘だろ、それ。魔法を使う仕事の方が金になるんだよな?」


 自分で言ってて、昨日引っかかっていたものをようやく言葉にできたことにすっきりした。


 虎は言っていた、技術のある職人のように、魔法を使える魔術師は働き口に困らないことが多い、と。

 それについてはなんとなく理解ができる。朝寝ぼけながら炉に火を入れたり、川の流れで水車が回るのを待ったりせずとも、魔法を扱える人間が一人いればそれは解決できるからだ。


 現代日本でいうところの家電製品のようなものだ。その便利な需要から大衆が逃れられないだろうことは想像がつくし、風を自由に操れるともなればなおさらのはずだ。


 それでも虎は冒険者をしている。

 その理由だけがずっと謎だったのだ。


「……そんなこと聞いてどうすンだ。関係ないだろお前に」

「それは……そうなんだけど」


 虎がどういう理由で、何の目的で冒険者をやっていようが俺には関係のないことだ。

 それに、出自を偽っている身で他人のルーツをあれこれ聞くのは不誠実なように思う。

 ただ一時的に連れ合うだけの関係で、そんな込み入った話を聞くのはどうなのか、という気持ちはある。


 でも、それ以上に。


「単純に、知りたくってさ」

「知りたい……? 冒険者にでもなるのか、お前」

「……そうだって言ったら、笑うか?」


 嘘ではない、心からの言葉だった。

 この世界で暮らしていかなければいけない以上、社会的な地位という意味合いも含めて何かの職業に就いておく必要があるだろう。

 それなら、まさに入院中に楽しんだフィクションで散々見かけた、冒険者という職業をおいて他にないように俺は感じていた。


 オルドはそんな俺の思いを何となく察したようで、普段の口の悪さとは裏腹に鼻にかけない態度で黙したまま俺を一瞥する。

 貴族のくせに冒険者を? とでも言いたげだったが、無言で続きを促されているように感じて、自然と言葉がこぼれた。


「……その、実はさ。俺の国にも自由な冒険者の話とか、世界を救った魔法の話とかは一応あるにはあったんだけど、どれも作り話レベルでさ。そんなことよりもみんな自分に与えられた役割とか、毎日を生きるためだけで精一杯だったんだ」


 虎は焚火を眺めながら、「そうか」と相槌を返す。

 俺もそれにつられるように、遠い故郷の様子を虚ろに燃える火の中に見ながら話し続ける。


「俺も子供のころからそういうのが好きでさ。でも大きくなってからは現実の生活もあって、ただの作り話だろうってずっと思ってたんだけど……こうして実際に存在するって思うと、なんつうか……嬉しくてさ」

「……自由、ねえ。否定はしねェが……そんな憧れるようなもんか?」

「憧れ……うん、そうだな。憧れてたんだろうな」


 ぱちり、と燃える枝が爆ぜる。りりりり、と虫の音が木々の隙間から聞こえる。

 俺の声も体も、森の響きには溶け込まず浮いているように感じられた。


「自分の頭で物事を決めて、自分の足でどこへだって行ける物語に憧れてた。憧れてたからこそ……それに手の届かない、そんな自由とは程遠い自分がわびしくて、どうせ作り物だって切り捨てて笑ってたんだよな。だからさ、俺の知らない物語の冒険者は何を求めて冒険してるんだろうって思って……なんか変なこと言ってるな、俺」


 そこまで言って、急に照れくさくなってしまった。

 何を急に語ってるんだ俺は、と自分で自分を客観視したのはわけもなく目頭が熱くなってしまったためだ。

 入院していた時のことを思い出したのか、もう会えない家族と帰れない家への郷愁か、それとも何か別の感情か。


 込み上げた感情の理由は、わからない。俺は精一杯の明るい声で「気ぃ悪くさせたらごめん、ただ聞いてみたかっただけだから」とだけ言った。

 オルドがそれに何かを答えることはなかった。

 しかし、重く気まずい沈黙のあとで虎は誰にともなく口を開く。


「……理由なんて、ねェよ。ただ、生きるために、金のために続けてるだけだ」


 もぞ、と身じろぎした虎は最後に余していた枝を焚火に足して、落ち着き払った声でそう言った。

 そうだよな、と俺も返して、手元の水をもう一口飲んだ。


「……スーヤ、お前帰りたいとは思わねえのか」


 声に、水筒を持つ手がぴくりと止まる。

 虎は意外にも、こちらに配慮したような声を俺に向けた。


「こっちにお前を寄越したのがお前の師匠だか親父だかは知らねえが、ロクなやつではねェとは思う。だがそれでも、お前にとっちゃ故郷だろ。帰りたいとは思わないのか?」


 虎目が俺を見据えている。

 その目は、俺を通じて誰かを見ているようでもあった。ろくでもないやつであるということについては最大級に同意しながら、俺はふるふると首を振る。


「かッ……帰れるんなら、な。でもそういうワケにもいかねえしそんな方法もねえから、今んとこは思わないね」


 俺はそう言いながら、設定の話をしているのか現代日本の話をしているのかが自分でもわからなくなっていく気がした。

 発した声が震えてしまって、少しだけ気恥ずかしかった。

 それは、昔から人前では涙を見せないようにしていたせいかもしれない。


 どんな絶望的な病でも、耐え難く感じる郷愁のためでも。

 知り合って日の浅い他人の前で、自分を気に掛ける家族の前で。

 ましてや素性の知れぬこの冒険者の……それもネコ科の獣人の前で感情を剥き出しにすることは、いつだって恥ずかしいことのように思えた。


「だから、せめて……こっちの世界で憧れてた冒険者になって、毎日楽しく暮らしてやろうと思ってさ。本で見たような冒険をして、見たこともない景色や宝を見つけたりして。夜はこうやって仲間と語り合って、次はどこへ行こうか、何をしようかって自分達で決める、そんな旅がしたいんだ。そんでもしいつか帰れるとしたら、その時に逆に帰らないって言ってやるためにも……全力で、この世界を楽しんでやろうと思ってるよ」

「……それが、命がけでもか」

「……うん、命がけでも。死に急ぐわけじゃないし、危ないことはしたくない気持ちもあるけど、命を賭けてこそが冒険者だろ? それに……いや、うん、どうせ剣を振るくらいしかできないしな」


 それに、どうせ一度死んでいるようなものだし。

 そう言おうとして、やめた。死や痛みを恐れるわけではないが、それを口にしてしまうと捨て鉢になっていると思われてしまいそうだったから。


 現代日本で生きていた自分が、戦いとは無縁な日本人がこんな未開の地で命がけの生活をするなんて馬鹿げていると騒ぐ声は、数年間殺し合い続けた血生臭い記憶が黙らせてくれるようである。


 あれに比べればどんなことだって現実だ。

 だからこの世界で俺が生きているのは、魔物が溢れる剣と魔法の世界で生きているのは誰かのフィクションでも異世界転生でもない、紛れもない俺自身の人生なのだ。


 白獅子に自分を認めさせて、神の遣いなんてクソくらえと転生されたときにそう決めた。ファンタジックな世界で、フィクションでしか見たことない生活を送る、と。

 ただしそれは、フィクションでしか見たことがないだけで、フィクションなどではない。漫画やアニメの出来事じゃない、今まさに身に降りかかるリアルの話だ。


 そういう生活を受け入れたはずだ。自分で選んだはずだ。

 だが、自分で選んだことのはずなのに選ばされたという思いになってしまうのは、捨てきれない郷愁のためだった。

 自分はとっくに死者であるとわかっていても、割り切れない思いがそこにはあった。


 負け惜しみのように聞こえるかもしれないそれを俺は努めて明るく口にした。

 戦いや苦痛などからはなるべく無縁でいたいとも思うが、倫理観も死生観も異なるこの世界で生きていこうとする限りどうしたってそれらが付きまとうだろうという予感はあった。

 まして、俺自身に剣を振るしか能がないとくればなおさらだ。

 だからこそ、自分はそうしたくてそうするのだと、己に言い聞かせるように。


 オルドは、そんな俺の現実味のない台詞を茶化すことなく「そうか」とだけ返した。


 薪が爆ぜる音と、森のどこかで虫や梟が鳴く音に混じって、俺が鼻を啜る音が響いていた。


 しばらく二人して何も言わなかったが、がしがしと後頭部を掻いた虎が立ち上がる。

 顔を上げる俺に、オルドは慣れた綿服姿で「便所だ」と言う。それから、今度は明確にからかう意思を持って意地悪く続ける。


「戻るまでに泣き止んでおけよ、また一晩中べそべそされたら俺が困るンでなぁ」

「なッ……う、うるせぇ! 泣いてねえ!」


 ケケケと笑って虎が低木をがさがさとかき分けて、奥の茂みに消える。

 泣いていることを指摘されて思わず顔がカッと熱くなったが、一人取り残されてしばらくするとおかげでいくらか冷静さを取り戻せたようだった。

 まあ、気まずくなるよりはマシのはず……だよな。


 それから俺は、まださざ波立っている心を落ち着かせる意味でも瞑想に再挑戦することにした。

 もっとも、その結果がどうなったかというのは……言うまでもないことだった。

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