ep44.異世界エコノミクス
目標更新:旅支度を整えろ→鉱山の町へ向かえ
初めての旅は発見と驚きの日々だった。
もっとも、俺は旅どころかサバイバルもキャンプもしたことがないのでそう思うのは当然なのだが、目に映るもの全てが新鮮で興奮が上回ったのか歩き通したというのにそこまで疲労は感じられなかった。
旅の途中で見せてもらった地図によると、俺たちのいたモイリ村は王国直轄領の西南にあるらしい。
森を切り拓いた小さな村だと思っていたが、ベッドや布は豊富だし澄んだ水を汲み上げるしっかりした井戸や肉の多い食事などを思い出して、どうりでそれなりに裕福な村だったわけだと今になって思い返す。
そして目的地である鉱山の町、ミオーヌはここから東南の位置にあった。
経路としては、王国への道を辿るように東へ行き、それから南下していくと街道が続いているのでそのまま道なりに歩けば三日か四日ほどで着く……らしいのだが、虎は轍の残る剥き出しの土の街道を外れて、そのまま原っぱを突っ切って直線的に向かうと言い出した。
「素直に道を歩くと関所で税を取られるからな、節約だ」
金勘定については虎に任せっぱなしなので、その意見に異論はなかった。
関所を通過するとしても俺には払える金もないし、むしろそっちの方が都合がいいと頷く。
領内を行き来しやすくする街道を敷き、交通の安全を確保する代わりに通行料を取る関所は領地によって設置されている数が異なる。
場所によっては関所自体に夜を明かす簡易的な宿泊施設としての宿場を備えるほか、魔物や賊相手の警備を担当している領地もあるようで、特に治安の悪い東の他民族国家に近づくほど道中の安全を確保する関所も多くなるという。
それ以外にも旅人や行商人からどの程度税を取るかという領主の政策によって関所の数や宿場の有無も異なるが、領境にはほとんど必ずと言っていいほど設けられているらしい。
そして、自分はともかくとして俺が満足に戦えるとわかった今、わざわざ金を払ってまで安全なルートを行く必要はないだろうと話しながら虎はサクサクと伸び放題の芝を踏み越えていく。
それはつまり何が起きても自衛しろと言っているのだろうが、少し起伏のある平野を見渡す限りこちらに接近する危険は見当たらないし、当分は安全だろうと警戒を緩めた。
旅の途中で魔物に襲われるとかいかにも冒険者っぽいな、と思ったが山賊や野盗なんかはちょっとジャンルが違ってくる気がするが、その時が来たらそうも言ってられないだろう。
とはいえ、虎曰く騎士や見回りの兵も多い王国直轄領でそんな馬鹿をする輩はいないだろうとのことだったが、それでもいざという時の覚悟だけは持っておいて損はないように思えた。
それから俺は、せっかく税金の話が出たこともあって通貨事情について聞いてみた。
虎はあちこちに血や何かのシミの広がる外套を靡かせながら一歩一歩の幅が広い大股で歩き、懐から貨幣が詰まった袋を取り出して口を縛る紐を緩める。
ちゃりん、と貨幣同士がぶつかる音を立てて、持っている数種類の貨幣を俺に見せながら虎は意外にも丁寧に教えてくれた。
今俺達が滞在している、フェニリア大陸の中央部に位置するベルン王国では国内で製造されている貨幣のほか、近隣国や有力公爵が製造した貨幣など数種類が流通しているという。
その中で、ケーニッテ銀貨は王国が領内で直々に製造、管理されている主流な貨幣の一つで、国内に流通している銀貨の大部分を占めている。
それに次ぐのが、ディジオ銀貨という西のパルテイユ皇国で造られている外貨であり、製造所がベルン王国と近いために必然的に流通する数も多く、外国貨幣として信用が高い種類の一つであるとのことだった。
剣で十字を象ったケーニッテ銀貨や、ぶどうの蔓が彫られたディジオ銀貨は村の雑貨屋で見かけたものだった。
その他に通貨の最小単位として銅貨があるが、よっぽどの安物でない限りは基本的な買い物は銀貨で行われるとオルドは語った。
王国直轄領の造幣所であるケーニッテ銀貨はともかく、ベルン王国で気軽に扱える貨幣を目的としたと言われているディジオ銀貨は銀貨としての銀の含有量もブレが少なく、国内ならどこで出しても嫌な顔をされない安定した銀貨だという。
「どこかの見栄っ張りな公爵サマは自分の名を残すべく長い時間をかけて様々な許可を取り造幣業に乗り出したが、ごてごてとした装飾を入れやすくするために銀を減らした貨幣を造りまくった結果……領内どころか、国内でもまともに取り扱われない代物ができた、なンて話もある」
虎が言うのを黙って聞く俺は、果たしてどんなコインが出来上がったんだろうと気になりつつ続きを待つ。
「この周辺じゃ平気だろうが、買い物するときは名前も聞いたことねェ貨幣で釣りを返されねえために事前に確認しておくのが良いだろうな。それと、貴族様にはわからねェだろうが、釣りが出ねえように払うのが理想だ」
「ふ、ふーん……ええと、それだと自分の手持ちの銀貨だといくらなのかを聞くのが一番って感じか?」
「そうなるな。露天の食い物屋でも雑貨でも、言い値からいくらか値引ければよりベストだが」
俺が片眉を上げたのは、聞き慣れた英単語が俺の耳に入ってきたからだ。
多分こっちの言葉で最高、とか理想、とかそういう意味の単語を使ったのだろうと文脈から類推するが、耳に空けたピアスが俺にもわかる英単語をチョイスしたのがすこし奇妙な感覚だった。
世間知らずの子供にものを教えているつもりの虎がその手に比べるように持っている銀貨のうち、より小綺麗な方を指して尋ねる。
「こっちがケーニッテ、だっけ? それ一枚で幾らくらいなんだ?」
「幾らっつうのは?」
「えーと、ほら。一枚で何がどれくらい買えるとか目安が知りたいなって」
俺にそう言われて、そうだな、と虎は少し悩んだ素振りを見せた。
「一枚で、っつぅと……そうだな、村の宿屋で食った夕食を覚えてるか? この辺りの村じゃあれが標準的な宿の食事なんだが……あれがニ、三食分で大体ケーニッテ銀貨一枚分だな」
「お肉もついてたやつだよな……なあ、この辺りって肉はよく食うのか?」
「ベルンじゃ畜産が盛んだからな、平民の食事ならともかく酒場の飯には多い方じゃねェか? それでなくとも俺みてえな冒険者が小金稼ぎに食えそうな魔物の肉を卸したりするからな、比較的肉食の文化じゃねェか」
虎に言われて、俺はふーんと頷いた。
もしかしてあの村で散々食べたあれも魔物の肉だったんじゃないかと思うと、俺が戦った小鬼を捌いて調理するようなおぞましいイメージが脳裏に浮かんでしまう。
しかし、ほどなくして宿泊中の夕食に出されていた緑色のハーブが香るジューシーな肉を思い出して口の中を唾液でいっぱいにした俺は、どうやら気味悪さよりも食欲が勝ったらしかった。
俺がまだ元気なころコンビニで見かけた焼き鳥の串とサイズ感は殆ど似ていたが、あれを含めパンとスープ付きで銀貨一枚というとなんとなくその価値が見えてくるようだった。
一汁一菜の献立の二、三食分で銀貨一枚というと、大体千円から二千円の間くらいの感覚だろうか。
「服とか剣は品質や素材によるからなンともだが、小麦のパンなら一斤程度か。俺らが食ったみてえな平民向けのパンなら銀貨一枚で五日分は賄えるな。もっともこいつも、どれくらい混ぜ物がしてあるかで変わってくるし、もっと安物なら一か月分は買えるが……そこまで困窮はしたくねェもんだな」
噛むと少し酸味があって、ごつごつとした歯ごたえのある穀物がそのまま入っていたあのパンもそんなにまずいものではなかったが、確かにふわふわの小麦のパンと比べるといささか見劣りするようではある。
それ以下の質となると……確かに、怖いもの見たさ以外ではあまり食指がそそらなかった。
そこで、ふと思いついて聞いてみる。
「……待てよ、ってことは結局あの村で俺を含めて宿代って幾らかかったんだ?」
「……二人部屋を三泊で、本来なら銀貨九枚だな」
「本来なら……って、まさか」
その言い方に引っかかりを覚えたので聞いてみると、子供を助けた礼にタダにしてもらえた、と虎は少し渋ったあとで肩を竦めてあっさりと白状する。
それから、タダにしてもらったのは宿泊代だけで、食事代は自腹だと虎は説明した。
「金には困ってなかったンだぜ? 元々俺も一仕事終えたばかりだったからな。ただ……連中がどうしてもっつぅからな、だったらお前さんを数日預けることを含めて、部屋を一室まるまる貸してくれって頼んだワケだ」
俺一人だというのに食事や湯の用意など、客人のように扱われている気はしたが、そういうからくりだったのか。
てっきり虎があれこれ口利きして俺の世話をさせていたのかと思ったが、厳密には違うようだった。
もっとも、どちらであったとしても俺が助けられたのは事実で、食事代も世話になったということに違いはなく、虎もそれを見越してにやりと笑う。
「まあでも、俺がお前さんを宿に泊めるよう計らったのは間違ってねェからな。しっかり勘定に入れてといてくれや」
恩着せがましい態度で虎が俺を見下ろしながら背中をぼすぼすと叩いてくるので、その度に前に倒れそうになった。
親し気に言ってくるネコ科だが、頭の中では異国の貴族である俺に将来どんな謝礼を要求しようか試算しているに違いない。
俺は「覚えておくよ」と言いつつ、身分を偽る息苦しさに苦笑いを返した。
それから虎は、足を動かしながらディジオ銀貨なら同じ枚数でもケーニッテ銀貨の二割ほど価値が高いと話す。
これはそもそも西のパルテイユ皇国がベルン王国より豊かで強大であることに端を発するそうで、元々はその国土の広さゆえに隣国でも問題なく扱える同価値の外貨というだけだったのだが、ここ数年で同盟国として良好な国交を築いてきたことから銀貨の質の高さが再注目されて価値が高まったという。
それから俺は、銀貨だけでなく銅貨や金貨の種類やその価値についても教わった。
この国で流通しているウェスタ金貨一枚が、大体ケーニッテ銀貨の百倍の価値がある。一枚もあれば羊が三頭も買えるというが、果たして羊が安いのか金貨が高いのかどうなのかはちょっとわかりそうもない。
そして、聞き間違いでなければこの虎はエルフからその金貨を二百枚要求されていたような気がする。
「そうなのかなと思ったけど、ウェスタ金貨二百枚って……とんでもない金額?」
「俺がこれまで稼いだ額を使わずかき集めて、ようやくってところだな」
ぞっとしたのは、それは同時に俺の両耳と首に着いているものの値段でもあるからだ。
厳密には製作費は別と言っていたが、この世に一台しかない試作機の開発を補填する金額がそれくらいということはこの便利な道具が生み出す価値という意味では同じようなものである。
千円から二千円くらいであろう銀貨の百倍の価値がある金貨。
それが二百枚となると……俺はそんな単純な計算に思考を割くのはやめて、別の話題を探した。
自分が身に着けている値段の重さで、挙動不審になりそうだったからだ。
というか、もし自分が虎の想像していたような迷い人で貴族だったとしたら、初対面でそんな金額の見返りをふっかけるつもりだったのかと思い至って、思わず脈絡なく冷ややかな目を向けてしまいそうになった。
しかし抜け切らない病人根性というか、生来の性格なのか、世話をしてくれた恩が邪魔をしてなかなか恨みきれない。危うく本当にカモにされるところだったんだなという思いがあるのは事実なのに、世話してもらってるしなと絆されている自分がなんとも悔しい。いや、もう既にカモ扱いされてるのかもしれないが、さておき。
もしかしてこれも全て計算ずくなのかもしれない、ネコ科はやはり油断がならない種族だ。




