ep3.理不尽チュートリアル
目標更新:軍神に話を聞け→???
「……は、ぁっ?!」
目を覚ました俺は、石柱のようなモニュメントの前に立っていた。
突然息を吹き返したように俺は激しく呼吸を繰り返して、その場に膝を突いて喉を鳴らす。
「こ……ここは……え、俺……?」
ぺたぺたと体をまさぐりながら、五体満足であることを確認する。内臓をかき混ぜられたような気持ち悪さに耐えながら周りを見渡して、そこでようやく俺は見覚えのある直剣を杖代わりにしていることに気がついた。
晴れ渡っているがどこか現実味のない白味がかった空、生命力を感じられない芝の草原。
となるとアイツは一体どこに。
「戻ったか。よろしい、ならば次だ。疾く構えるが良い」
背中にかけられた声に、反射的に身が竦む。
おそるおそる振り向けば、白というよりは大理石を思わせる灰がかった毛並みをした柱のような脚がそこにある。
「ひっ……」
「どうした、立て。立って我が試練に挑むのだ」
殺意に溢れた声に俺はよろよろと立ち上がる。
夢じゃない、このイカれた状況は。
病で死んだはずの俺が『ついさっき槍で貫かれてもう一度殺された』のは夢じゃない!
「ま……待ってくれ!! 試練ってなんだよ! なんでこんなことしなきゃいけないんだ!」
なんでもいい、この状況を回避できるならなんにでも縋るつもりだった。
ひょっとしたら人違いで俺は巻き込まれただけとか、ただのドッキリだったとか。
とにかく、この危機を脱する可能性全てに賭けてみる。
が。
「何故だと? 決まっている。死した魂である貴様に、異界の地に降り立つ貴様にこの軍神アレスが磨きし武の粋を継がせるより他になかろう」
「武、って……じゃあアンタと殺し合えってことかよ?!」
「フン、殺し合いにすらならぬわ。だが、そうだな。我に一撃を与え、試練を超えてみせよ、さすれば我が遣いに相応しき覚悟を得たと認めよう」
ムチャクチャだ。入院してた俺は十八年間生きてきて武術どころかまともなスポーツすらしたことないんだぞ。
それもちょっと身体が弱くてとかそういうものじゃない、日に日に筋肉が衰え痩せ細っていく正真正銘の忌々しい指定難病だ。
晩年は呼吸すら、嚥下すらまともにできない寝たきりの生活をしていた俺がいきなり軍神と呼ばれてるほどの筋肉達磨と剣一本で戦えだなんて、無理ゲーにも程がある。
「そんなの、無理だろ……ワケわかんねぇって……」
「無理ではない。貴様ら死した魂の……今人の言葉にもあろう。無理を通せば道理が引っ込む、と」
それ無理ってこと認めてるようなもんじゃないのか?
どこで聞いたのか、こっちの世界のことわざをどことなく誇らしげに言い放つ獅子頭を説得できるような材料もなくて、言葉に詰まる。
死んでなおこうして意識があることも、それでいて生き返るのは無理ということを割り切るだけでもいっぱいいっぱいなのに。
ほとんど泣きそうな気分で俺は現実から目を逸らして、一番気がかりだったことに目を向ける。自分の腹に手を当てて、訊ねる。
「俺……アンタに殺されたよな? なのに、なんでまだ生きてるんだ……? こっちの……死後の世界なら、これも普通のことなのか?」
「然り、貴様ら魂に死はない。あるのは、忘却の果ての消失である。故に貴様の魂は、貴様が死を認識しようとも貴様が何者であるかを忘れぬ限り朽ちず、何度でも祭壇に戻るのだ」
目覚めた時の状況を考えれば、祭壇というのがあの石の柱であることはすぐにわかった。祭壇というにはあまりにも原始的な気もするが、ともかく。
どうやって、とかなんでそんな仕組みになってるんだ、とか聞く気にもならなかった。聞いてしまえば、その定めからは逃げようがないと受け入れるしかなくなるからだ。
「……で、アンタが認めるまで戦い続けろ、ってか?」
「然り」
死んだ魂相手に無理難題を押し付けてくる嫌な閻魔大王様だと思ったら、選択肢次第で強制戦闘。
しかもご丁寧にセーブポイントつきで勝つまで挑戦できます、というわけだ。
もはや笑えてきた。俺の脳はついに現実を正しく認識せず、これをゲームか何かのように捉え始めていた。
「なんでだよ……こんなことしなくても加護とか祝福とかで手っ取り早く強くできるんじゃないのかよ、神様ならさぁ!」
ほとんど癇癪を起こしたように当たり散らした俺の言葉に、ピクリと獅子の耳が白いたてがみの中で反応する。
そして、今度は向こうが笑う番だった。
「加護? 祝福? 笑止、斯様な借り物の力で争乱を生き抜くことに何の意味がある。我が貴様に与えるのは死地に臨む覚悟のみだ、この千尋の谷を越えた魂にこそ異世界を訪れる我が遣いとしての価値があると知れ」
つまり、どうあがいても俺が異世界に行くためにはこの白獅子が満足するまで戦い続けなければならないのだ。
騙された、と思ってショックを受けた。
甘かった。この世界で目覚めて持ち掛けられた話を舞い込んできたチャンス程度に考えていたことを、軽々しく請け負ったことを後悔した。多少なりとも入院していたころよりは回復しているとはいえ、武術や格闘技の心得もない素人の俺が武器を持ち殺意を迸らせる相手と戦えるわけがない。
そこまでして、凶器を持った相手と戦ってまで異世界に行きたいと思わない、俺にそんな覚悟はなかった。
「なん、だよ……なんだよそれ、クソ、なんで俺がっ……」
唇が震える。足が竦む。目の奥がずきずきと痛む。
よくある異世界転生の話なんて所詮はフィクションに過ぎない、結局人がなんの苦労もなく何かを得るようなんてムシのいい話はないということだ。
フィクションじみた異能力や特別な力を頼りとしていたわけではないし、最初から与えるとも言われてないのだが、こうして呼ばれたからには何かもらえるのだろうと無意識に思い込んでいた。
神の遣いだなんて大層な役目を引き受けたのだからまさか着の身着のまま異世界に送り出すわけがない、きっと何か価値のあるものをご都合的に用意してくれるはずだ、と決めつけていたのは恐れのためだ。
だってそうでなければ、せっかく二度目の命を得たのにもう一度死にに行くようなものだと思ったから。
当然そんなうまい話があるわけもない。突きつけられた現実……チートもスキルもなしに俺は俺のままで今からこの獅子に挑み、死に続けなくてはならないという現実に眩暈を覚えた。体なんてないはずなのに、視界が歪むほどの狼狽で平衡感覚すら狂わされるようだった。
口ぶりから察するに、儀礼的にこの獅子と戦うことで何か超常的な力を与えられるなんてこともなさそうだった。
あの槍には純然たる殺意しか込められていない、なんとなくそう直感した。
そして同じように、この獅子と戦うことで俺が何かを見出せるような気もしない。俺が泣こうと喚こうとぴくりともブレない槍の穂先から感じるのは、苦痛、そして死の予兆だけだった。
「問答は終わりか? ならばこの軍神の槍さばき、とくと見るがよい。そして耐えてみせよ、我が遣いよ。その時こそが、貴様の武の輝く時だ」
言われるがまま剣を構えたのはこの期に及んで極限状態まで追い込まれた俺の中の潜在能力が覚醒したり、とんでもスキルに目覚めたりとかそういう展開を期待してのことだった。
もしくは、予想外の恐怖にやっぱり辞めますと口にするのも秒読みだった。
しかし。
何をされたかもわからなかった。見ることすらできなかった。ひゅん、と風が俺の腕を通ったと思ったくらいで、次の瞬間には。
ごとり、と。重たいものが無造作に落とされる音がして、俺は自分の左半身がやけに軽くなったことで立っているバランスを崩してしまう。
その場に尻もちをついた俺は剣を握っていない方で地面に手を突こうとして、肩から先がないことに気がついた。
「ッ、うわあああァァッ!!」
「騒ぐな! 意識を失うまで戦うことを諦めることは許さん!」
こんなのムチャクチャだ、ありえない。夢だ、これは夢だ!
無い腕を動かそうとする脳の指令が行き場を無くして、俺の中で痛みとなって暴れ回る。
肩口の断面からぶしゃぶしゃと真っ赤なものが噴き出ているのに、どことなくそれがリアリティを損なって見えるのは俺が現実を受け入れられてないからだろうか。
俺は激痛に歯を食いしばりながら、命乞いをするように獅子を見上げた。槍の切っ先が俺の鼻先に突き付けられる。
「や、やめるッ、降参する! 遣いなんて、転生なんてしなくていいからっ、助けてくださいっ! お、俺の腕……早く治してください、お願いしますッ……!」
どさっ、と剣を取り落として、俺は残っている手を挙げて降伏する。
痛い、痛い、痛い! 肩から先が焼けるように痛くて、体の熱がそこからどんどん失われていって指先が冷えてくる。
あるはずのない腕を動かそうとする度に激痛が全身を走って、血の勢いに滲む生理的な涙で視界が歪んで、喉が恐怖に引きつって。
冗談じゃない、こんな思いをするとわかっていたなら遣いになるなんて言わなかった。安請け合いするんじゃなかった、二度目の人生なんて浮かれていた俺がバカだった。
半ば悲鳴みたいな声を上げた。涙どころか鼻水すら垂らして無様に命乞いをする俺に、しかし獅子の槍は一切の揺らぎを見せない。
それどころか。
「敵を前にして……武器を手放すなッ!」
視界を占めていた槍がブレた。
かと思えば、俺の視界はそれっきりブラックアウトして、意識も途絶えた。