ep36.上手にお喋りできたくん.com
目標更新:村人に話を聞け→旅支度を整えろ
「……ちょっと見ねェ間に随分男前になったな」
「……ほっといてくれ」
幸い皮膚を裂くにまでは至らなかったが、俺の顔を見たオルドが机の丸椅子に掛けながら目を丸くしてそう言った。
この虎はネコ科というにはそれなりに俺に対して紳士的な対応をしてくれるし何の罪もないことはわかっているのだが、それでも俺は八つ当たりするように冷たい態度を取らずにはいられない。
赤い三本線の下手人が誰なのか想像がついたのか、虎は俺の態度に何も言わずに肩をすくめて言葉を続ける。
「服は買えたのか?」
「あぁ、うん。ちょっと調整して持ってきてくれるって」
「なるほどな、じゃあ明日出発で問題ねェな」
頷きながら、俺は肩に掛けていた剣を下ろす。ごとりと鳴る音に虎の欠けた耳がぴくりと動いた。
ベッドに腰掛けて、ふぅ、と一息つく。それで、着いていることを確認するように首元のネックレスを触ってからふと尋ねてみた。
「オルド、村の人に言われたんだけど……この石って、そんなに高いのか?」
「あー? そりゃァそれなりの値はするだろうな」
「そんなもの、ほんとにもらってよかったんです……よかったのか?」
遠慮の表れか、敬語が出そうになった俺に水を飲みながら虎がじろりと睨めつけたので、慌てて修正する。
それから、値の張るものだということを隠さずに答えた虎におそるおそる尋ねた俺に、虎は手にしていた木のコップを下ろしながら苦い顔を返した。
「……まあ、やるつもりはなかったっつぅか、目論見が外れただけなンだがな。成り行きでしかねェよ、こうなった以上仕方ねェだろ」
「でも、当てが外れたなら撤回することもできたんじゃないのか?」
「じゃあ返せっつったら返してくれンのか?」
ぴしゃりと言われて、俺は言葉に詰まる。
せっかくこっちの世界でも言葉が通じるようになったのに、それをもう一度取り上げられるのは振り出しに戻ったように感じたからだ。
この便利さに依存しているなとは思いつつ、しかし今回のこれを招いた当事者でもある虎が本当にそう望むなら俺は強く拒絶できないように思えて言葉尻を濁す。
「……いや、まあ、それは……」
「だろ? それに、あの魔術師曰く一度身に着けた以上は正規の方法で取り外さんと動かねェんだと。俺が無理やり奪い取っても意味がねえらしいからそこんとこは心配する必要ないぜ」
虎はまるで、自分にそれを強奪する意思はないとでも言いたげな論調を取るので、そういうことを疑っていたわけじゃない俺は首を振って返す。
「あー……別にそういうことを気にしてたたわけじゃないんだけど……そうだ、オルドって冒険者なんだろ?」
「おう」
「それが、どうしてこんな貴重なもの知ってるんだろうって思ってさ。これ、国が大切にするくらい貴重な道具なんだろ? それをどうして、」
「冒険者風情が知ってるんだ、ってか?」
「そこまでは言わないけど、ただどうしてかなーって思って」
聞かれた虎は、テーブルの上の木のコップに口をつけてごくりと大きな喉ぼとけを上下させてから、コップを持ったまま思い出すように話し始めた。
「まあ……そうだな。有り体に言っちまうと、金になるからだな」
「金に……?」
「何も奪い取って売っ払おうとかって意味じゃねェぞ。ただ……まあ、昔から金目のものには目がないタチでな。遺跡の奥深くに眠る古代の秘宝や王族にのみ伝わる伝説の武具なんかと同じように、この世に二つとない魔法道具ってやつにも当然興味があってな。その折に知っただけだ」
「ふーん……ユールラクスさんと知り合ったのもそれ関連なのか?」
「いや、当時はまた別の仕事でたまたま指名されてな。ふざけた依頼をしてくるンで何度ぶっ飛ばしたかわからねェが、蓋を開けてみれば貴重な魔法道具を研究する第一人者って言うじゃねえか」
多分、動物のネコ扱いされたんだろうなというのはすぐに想像がついた。はは、と愛想笑いを返す俺にオルドは続ける。
「いけ好かねえ野郎だが、それなりに話は通じるし国から金がたんまり出ているのか知らねェが払いが良くてな。何回か依頼を受けている間に今ではすっかりお得意様になった、ってわけだ」
第一人者という単語や国から金が、というフレーズに俺はたまらず聞き返す。
「ユールラクスさん、結構すごい肩書きだと思ったけどやっぱそれなりの人なんだな」
「認めたかねェが、王都じゃ随一の魔術師だろうな。つっても変わり者だの素性の知れねえエルフだのって理由でいまいち評価されてねェらしいが……んで、言葉の通じねえお前さんに会った俺は金儲けの気配を察してアイツが自由に使える翻訳石を使わせてくれるよう説得して……後はお前が聞いた通りだな」
それで遠く離れた村までご足労いただいた、ということか。
虎は続けて、あの羊皮紙はユールラクスの家直通の転移魔法が書き込まれたスクロールであると説明して、それを二日かけて取りに行っていたと説明する。
その内容は理に適っていたが、それでもいくつか質問する余地を残していた。
「説得したわりには……対価を要求されてなかったか? おつかいもそうだけど、金貨とか言ってたよな」
「あぁ……それはな、その翻訳石自体の値段じゃねえんだ。これ単体なら、まあ金貨五十枚くらいが相場だな」
それがいくらくらいの価値なのかわからないが、とりあえず俺は納得した顔で頷いておく。
オルドは自分の痛いところに触れるように顔を歪めて続ける。
「元々アイツが作ったものは全部国が所有する決まりでな、その中に辛うじてまだ国にも見せてない試作中のものがひとつだけあったんだが……これが調整中な上に、同じ型のモノを増やして各種テストをしていくってところらしくてな。まだ売れる段階のモノじゃねえんだと」
「えっ……それ大丈夫なのか? そんなもの持ってきちゃって……」
「既存のものを基にしてるから安全性は問題ないンだとよ。持ち出すことについてもむしろ渡りに船でな、被験者探しに難航してるってアイツも言ってたろ? あれは値段のこともあって、持ち逃げしないような信頼できる異国人がいなかったっつぅ意味でもあンだわ」
まあ確かに、外国で手に入った便利な魔道具を自国に帰ってサクッと売り捌こうとする人間がどれだけいるかというのは想像に難くない。
無理に取り外してもロックがかかるらしいが、この国が保有する技術力の塊であるこんな便利な道具が他国の手に渡るというのも避けたいのだろう、新作ともなればなおさらだ。
なるほどそういう意味では、帰る当てもその気もない異国人の俺は向こうにとっても都合が良いのだろう。もっとも、異国人というよりかはやってきた世界自体が違う可能性すらあるのだが、さておき。
「前々から新作の被験者探しが難航してるって聞いてはいたんでな。お前さんのことを逃げたりしねえ信頼できる被験者として紹介して、先にテストをするための調整費やら本来辿るべきだった量産過程を補填するための資金なンかも、お前さんの実家からふんだくれば何とかなるっつって、あわよくば俺の今後の援助もしてもらおうと思ったところを……っつぅわけだ、納得したか?」
「ふーん……」
それで、大きく空振りしたということか。結局俺の事情が思ってたものと違ったために、ユールラクスさんは貰えると思ってた補填が貰えなくなったので、その分をオルドに求めたというのが今回の顛末だろう。要は虎が借金をしたという形なのだろうが、救いがあるとすれば大元のユールラクスはむしろ試験運用が目的なので、それを強く請求する気はないというところか。
しかし、金を無心しようとしていた節はあったんだなと非難じみた目を送る俺は、人の弱みに付け込むようなやり口は素直に感心できなかったがそもそも倫理観も死生観も現代日本とは大きく異なるこの世界で、人間として助けてもらっただけマシなのかもしれないと自分に言い聞かせて溜飲を下げた。
とはいえ、金貨二百枚と言っていた補填の価値と、俺たちが仰せつかったおつかいが同じ価値とはあまり思えない。これから採りに行く鉱石とやらはそれほどの価値があるんだろうか?
相槌を返しながら冷ややかな目を送る俺に、虎は肩を竦めて苦々しい表情で吐き捨てた。
「……ま、結局俺が早とちりした間抜けだったっつぅ話だ。笑えよ」
「それは……そうかもしれないけど、実際俺はそれで助かってるわけだし」
フン、と虎は黒鼻から鼻息を大きく吐いて自嘲する。
「まあ、俺もお前さんの事情はわかったし、それならそれで将来的には異国の貴族様の恩人、ってのも悪くねェし当分は面倒見てやるよ。あの魔術師も同じ考えだろうし、曲がりなりにも宮仕えだ。恩を売っておきたい相手に半端なモノを渡したりはしねェだろうから安心していいぜ」
はは、と愛想笑いを浮かべたのは、これでほんとは貴族でも何でもない異世界の一般市民でしかも故人である、なんて知られたらただじゃ済まないだろうなと思って引きつる顔を誤魔化すためだった。
しかも、ユールラクスさんに至ってはちょっと勘づいてそうだったし。
次に会うときがちょっと怖いな、と思いながら話題を変える。
「そ、それより、これで試作機ってすごいよな。これも魔法のおかげなのか?」
「あー……そうだな、魔法だな。つってもこいつはエーテル魔法の分野だからな、俺にはわからんが……まったく胡散くせェ道具だよなぁ」
「ん、えーてる……?」
聞きなれない固有名詞を口の中で繰り返す。
翻訳機が日本語にしてくれなかったそれを不思議そうに口にする俺に、虎がいぶかしむような目を向けた。
「知らねえのか? 魔法の五元素とか、習ってねえのか」
「あー、えぇと……俺、向こうではずっと剣ばっか振らされてたから……ちょっと聞いたことないかな」
「ほォん……」
虎が目を眇めて俺を見る。どきっとしたのは、魔法について全く知らないというのはさすがに無知すぎたか、と危ぶんだためであった。
しかし俺の心配とは裏腹に、虎はさして気にしていない様子で続ける。
「まあ、この理論が見つかったのはこの大陸って言うしな……他じゃ伝わってねェのかもな。おっし、どうせ明日まで暇なンだ。下で酒でも飲みながら話すか。お前にも奢ってやるよ」
「いいのか?」
「ガキ一人食わすくらい大したことねェよ。それに、俺だけ飲んでンのも気まずいし、こっちもお前さんに聞きたいことがあるンでな……それとも、酒はイケねえ口か?」
聞きたいことってなんだろう、と思いつつ俺は返事に悩んだ。
当然、未成年で日本を没した俺に飲酒経験などあるはずもない。それに俺はまだ十八歳だし……と思ったが、死に続けたあの時間を足せば二十三歳くらいにはなるのか、と思い至る。
その場合飲んでもいいのだろうか……と思いつつ、俺は「飲んだことなくて」と素直に口にした。
「なんだ、随分大事に育てられたんだな? 十八にもなってそういうとこはまだまだガキだな」
ガキガキ言う虎に少しだけムッとしながら、俺は「誰がガキだ」と言い返した。
「飲む機会がなかっただけだっての! というか、この国じゃ何歳から飲んでいいことになってるんだ?」
「あぁ? なんだそりゃ、教育論の話か?」
「いや……法とかで、決められてないのかなって思って。ないなら、いいんだけど」
「あぁ、ンなこと唱えた学者もいたにはいたな。もっともそんな決まりを守ってたら、水代わりにエールを飲む地域のガキはみんな干からびて死ぬことになるってンで不評だったらしいがな」
水の代わりにアルコールを飲むという文化が衝撃的過ぎて、俺はそれ以上何も言い返せなかった。
それを弁舌で勝ったと勘違いした虎が慰めるように言う。
「なあに口に合わなかったら俺に寄越しゃあいいし、食いたいモン好きに食っていいぞ」
「それは……食わせてもらってるのにそこまでは、さすがに」
「いいんだよ、これも投資だ。そン代わり将来もっと旨い酒を奢ってもらうからな、頼むぜ貴族様!」
上機嫌に虎が言うので、俺を貴族だと信じてやまないそのセリフには流石に苦笑いしか返せなかった。
これで俺が正体を偽っていたらどうするつもりなのだろう、と逆に心配になってしまうが、むしろ俺はその時にどうやって許しを得ようかというのを心配する必要がありそうで、自業自得ながら少しだけ気が重くなった。
しかし将来的に見返りを求めてるとはいえ、宿代といい旅支度代といい、この虎に出会った時から金銭の面では世話になりっぱなしで一銭も持たない今の自分の状況は早急に打開しないといけないだろう。
貴族でも何でもない一般市民、それも異世界人でこの世界に何のコネクションもない俺はどう逆立ちしても虎の期待に応えることはできない。
なればこそ、これ以上恩を受け取らないためにもせめて自分の代金分くらい自分で払えればいいのだが、果たして虎は受け取ってくれるだろうか。
いっそ本当のことが言えれば、と思うがそれもリスキーだ。将来的な対価を約束するような関係である以上、自ら梯子を外すような真似は避けたい。
そんな見ず知らずの相手の言うことを信用して、あれこれ世話をしてくれる虎を間抜けととるか、それとも抜け目がないととるかは悩みどころだった。
とはいえ、尻尾を揺らして俺を階下の食堂に連れていくその背中を見ていると、やはりネコ科も悪い存在ばかりではないのかもしれないと思ってしまう。
そんな俺を戒めるように、顔の傷がずきりと痛んだのだった。




