ep33.旅支度とはにかむブロンド娘
目標更新:旅支度を済ませろ→村人に話を聞け
その後、俺は選んだ服を試着して、袖や裾を少し詰めて欲しいと女将に依頼して購入した剣だけを手に雑貨屋を後にした。
剣は鞘に麻紐が結んであって、ちょっとした竹刀袋のようである。紐をストラップに肩に斜めにかけたり、多少工夫すれば腰にはいたりすることもできそうだった。
ひとまず俺はワイシャツに学生ズボンの姿のまま柄も剝き出しの剣を肩掛けカバンのように斜めに背負って、村の中を歩いた。
買い出し自体は終わっているが、急いで帰る必要はないだろう。
門番の男だったなと思って宿屋の前を通り過ぎたところで、井戸の近くの納屋からベッドシーツを運ぶブロンドの女性の姿に気がついた。
俺と目が合って、ぺこりと頭を下げてくる。そういえば言葉が通じるようになってからまともに話していなかったなと思って近づいた。
「こんにちは。先日はありがとうございます」
「えッ……!? も、もうガオリア語が喋れるようになったんですか!?」
ガオリア、というのはここの大陸で話されている言語の名称だったはずだ。
抱えているベッドシーツを落とさんばかりの勢いで金髪を跳ね上げて驚く女中の反応に、そりゃそうだよなと俺は思った。
昨日まで全く違う他所の国の言葉を喋って身振り手振りでコミュニケーションを図ってきていた外国人が、一夜明けていきなりイントネーションも完璧な流暢な日本語で話しかけてくるようになったら俺だって驚くだろう。
はは、と苦笑いしながら種を明かす。
「えぇ、この道具のおかげでなんとかこうして話せるようになりました」
「えっ……? 道具って?」
女中が俺の体を不思議そうに眺める。
確かに道具を持ってるようには見えないか、表現が悪かったなと反省する。
「これです。翻訳石、と言うんでしたっけ?」
「えっ……ほ、翻訳……えええぇっ!?」
女中の予想以上の驚きっぷりに、思わず面食らってしまった。なんだ、俺何かやっちゃいました?
ブロンドを揺らして慌てたようにきょろきょろと周囲を見渡してから、女中はこそっと内緒話よろしく小声で俺に告げる。
「ほ……翻訳石って、自分の言葉を相手の言葉に変換する、あの魔法の石のことですよね……?」
「そ……そうですけど、なんかまずかったですか?」
「いえ、そういうわけじゃ……ですが、ええと……その、変な話なんですがあまり私のような者にそんなモノを見せないほうがよろしいかと……!」
「??」
わけがわからなかったが、慌てながらもしっかりとした口調で俺を諫めるようなトーンで話してくれた内容をまとめるとこういうことらしい。
翻訳石とは、本来貴族どころか国家間の調停や会談にのみ使われる超一級の魔法道具であり、ベルン王国が開発し生み出したそれは貴金属や宝石以上の価値があるということ。
一般市民でもその存在は噂になるほどだが、平民が気軽に買えるようなものではないということ。
王国で基本は保管されているものの単純所持自体は誰にでも可能で、莫大な金貨を積めば購入できるという高級品らしく、そんなものを年若い俺が身に着けているとバレればたちまちの内に金目当ての輩に目をつけられてしまうだろうということだった。
「うちの村にそんな人がいるとは思えませんが、ほかの街だとどうかはわかりませんし……よ、用心に越したことはないかと思います……!」
「そ……そうなんですね、し、知らなかった……」
なんてものを着けてくれたんだと思う反面、そりゃこれだけ便利なものが安いわけないよなと納得するようでもある。
そして同時に、なるほどそれだけ高価ならおいそれと知らない異国人に預けられないわけだと合点がいった。
「あっ、じゃあ隠しておいた方がいいんですかね……? なるべく見られないようにしたほうがよかったり?」
「うぅん、それは……どうでしょう、私なんかはスーヤさんが喋れなかったことを知ってるので気がついただけですから……翻訳石自体初めて見ますし、こうして見てても黒曜石かなって感じにしか思わないので……」
畳んだシーツを抱えたまま、目を細めてじぃっと俺の胸元を見る金髪の女中がそう言うので、俺はひとまず急いで対策を考える必要はなさそうだと胸をなでおろす。
それなら慌てて隠す必要はなく、ただのアクセサリーとして身につけていても問題ないだろうが、変に目立ったり注目を集めないためにも女中の言う通り用心しておいたほうがいいだろう。
「教えてくれてありがとうございます、それと……こないだからタオルとかお湯とかありがとうございました。ご飯もすっごいおいしかったです」
「いえいえ、お口に合ったようなら何よりです。うちのお母さんの料理、村の人からも評判なんですよ」
宿屋の娘だったのかと俺が驚いたのは、カウンターで腕を振るう女将とあまり似ていないように思えたからだ。
まあ確かに宿に女中を雇うような規模の村ではないし、村の男衆とも仲が良い辺りからちょっと考えれば家の手伝いをする一人娘というのはすぐ思いつきそうなものだが、そこまで思い至らなかった自分を恥じた。
「俺、こっちの大陸に来て一人ぼっちで心細かったんですけど親切にしてくれてすごいありがたかったです。ずっとお礼言いたかったんですよ」
「そんな、いいんですよ。宿屋で働く女として、当然のことをしただけですから」
「いえ、でも勇気をもらったのは事実なので……本当にありがとうございました」
ぺこり、と頭を下げる俺に、女中は「え、えーっと……」と困ったように目を泳がせる。しまった、つい言葉が通じるからって変なテンションになってしまった。
どうにも看病されていた頃の経験のせいか、自分の面倒を見てくれる人に対して必要以上に恩を感じてしまう癖があるようだった。
それ以上何か言うことが思いつかない俺に、女中は思い出したように口を開く。
「あっ、ええと、さっきおばさまの店から出てきてましたけど……そろそろ発つんですか?」
「雑貨屋さんですか? そうですね、オルドと一緒に多分明日には出るかなと……」
「そうでしたか。……」
それを聞いた女中が、少し考えこむように視線を落とす。「あのー……?」と俺が不安そうに声をかけるのを聞いて、ハッとした様子で顔を上げた。
「すいません、ちょっと考え事を……! あの、またいつでも泊まりに来てくださいね。オルド様のお連れということでしたらいつでも歓迎しますので!」
女中は流石に旅人の相手をし慣れているらしく、どうして俺がそんな高価なものを身に着けているのか、そしてどうして言葉も通じないままこの村にいたのかなど聞きたいことは山ほどあるだろうに一切触れずに笑顔を返してくる。
トラブルに巻き込まれないための処方術なのかもしれないし、大体は社交辞令だろうが、それでも余計な詮索をされないのは素直にありがたかった。
さておき、あの虎は英雄と言われていただけあってやはりこの村ではかなり信頼されているらしい。
俺があれこれ聞かれない理由には、あの虎の連れだからというのもあるのだろう。
それで、ふと思いついて聞いてみた。
「あの……オルドさんって、どんな人なんですか?」
「あら……ご存じなかったんですか?」
「はい、恥ずかしながらつい先日知り合ったばかりで……」
あら、と意外そうに目を丸めた女中の顔には、それなのに二人で旅に出るのかという疑問の色が滲んでいた。
しかし一瞬で自分の疑問を飲み込んだようで「そうだったんですね」なんて言いながら穏やかに頷いて、話し始める。
「私も詳しいことは知らないんですが……昔、数年前にこの村が魔物の群れに襲われたところを助けてくださったんです。それ以来も何かと理由をつけて村を訪ねてきてくれて、スーヤさんが初めていらした時もたまたまオルド様が泊まっている時だったんですよ。そんな時にナタリアが……えっと、村の女の子が森に入ったまま戻ってこないって騒ぎになっちゃって」
「茶髪の子ですよね。この間遊んでもらいました。……あの森って、そんなに危ないところなんですか?」
「いえ、そう深くないところなら安全なんですが……奥は魔物や小鬼が巣食っているので、大人たちの目の届かない奥地に入ってはいけないということになっているんです」
大人が見ていたとしても、あんな数のゴブリンを簡単に対処できるとは思うけど。とは言わずに、俺は黙って話を聞いておく。
「ですがあの子ったらオルド様のために虫除けの薬草を取りに行くって言って、そのまま森の奥まで入って迷っちゃったみたいで……戻ってこないと聞いて真っ先にオルド様が探しに行ってくださったんです。そしたらあの子、迷子になるどころか魔物に襲われたなんて言って……私たちがどれだけ心配したことか!」
女中はそのまま心配と苛立ちが入り混じったような表情でそう愚痴った。
この女中はあの女の子と何の血縁もない他人だろうに、こんなに親身になってその身を案じる辺りに人の良さが垣間見えるようだった。
人口の少ない村だから、村人全員が知り合いという感じなのだろう。なんとなく、いい村だなと感じた。
「それに、聞けばスーヤさんも助けに入ってくださったそうで……その、今更ながらあの子を助けてくれて本当にありがとうございます」
「まあまあ……怪我もなくてよかったじゃないですか」
頭を下げた女中が「それはそうなんですけど……」と納得しない様子で言う。俺はというと、助けたとはいえそれはほとんどオルドの手柄なので改まって礼を言われると少しむず痒いように思えた。
そういう騒ぎになっているところに、俺が現れたというところか。つまりは大体俺が想像した通りの顛末だったんだな。
こうして聞いているとあの虎は見た目と言動の割にはまさに非の打ち所がない正義の冒険者という感じで、逸話の端々から人となりが見えるようだった。
「……ちなみに、オルドの冒険者としてのお話とかって何か知ってますか?」
「えぇと、私もそこまでは……でも、門番さんがオルドさんのファンって言ってたので色々知ってるかもしれません」
「そうでしたか……ありがとうございます。すいませんお仕事中にあれこれ聞いてしまって」
「いえいえ、これくらいは。あっ、私アメリヤって言います。申し遅れちゃってすいません、うふふ」
アメリヤはそう言ってまたぺこりと頭を下げると、門番はこの時間は森へ続く裏門に立っているはずと教えてくれた。
俺も会釈を返して足をそちらへ向ける。
「ありがとうございます、アメリヤさん。話せてよかったです」
「い、いえ、そんな……お力になれたのなら何よりです! それじゃあ私はこれで。また宿屋でお会いしましょう!」
はにかみながらブロンドを揺らして、アメリヤは駆けていった。
仕事中に長話をさせてしまったことを反省しつつ、俺は教えてもらった門の方へ向かった。




