ep32.旅支度と英雄伝説
目標更新:エルフと話せ→旅支度を済ませろ
果たしてユールラクスは、どういうつもりであんな言葉を残したのか。いや、そもそもどこで勘づいたのか。
しかし俺の言うことが嘘だとわかっていながらそのままにしているのはどういうつもりなのだろう。この翻訳石とやらのデータが取れれば別に何でもいいということなのか、あるいは泳がせているのか。
しかしそうなるとこの虎も気づいているのかと思ったが、俺が貴族ではないと知りつつ、メリットが何もないと知りつつ同行するような性格には見えない。
であればオルドは恐らく気づいていないが、ユールラクスだけが気づく何かを俺が発してしまったということだろうか。
考えても、答えは出なさそうだった。
ひとまずユールラクスの残した謎については棚上げするとして、旅支度を進めることにした。
オルドの話によると、村の中に小さいながらも旅人向けの雑貨屋があるらしい。俺も行ってきていいかと尋ねると、話が早いとばかりに荷物をベッドに下ろした虎はそのままもう一度部屋の外に足を向けた。
「一旦戻ってきただけだからな。粗方買い物は済んだが、お前にも替えの服が必要だろ」
「えっ、いいんですか」
「そんな動きづらそうな礼服で旅がしてェなら話は別だが」
無愛想な物言いをして、それから、と虎は付け足す。
「俺が勝手に負けただけだが……お前、一応俺に勝ったんだから敬語禁止な」
「えっ」
「元々そういうのが嫌で冒険者やってんだ、ずっとそんな呼び方されちゃあこっちが肩凝ンだよ。いいじゃねェか、俺だって貴族相手にこのまま話してんだぜ」
それは俺が貴族じゃないから年上のタメ口を気にしないだけなのだが、オルドが「それに、お前さっきは普通に話してたじゃねぇか」と続けるので反論できずに黙ってしまう。
確かに戦ってるときは頭に血が上っていたから敬語なんて気にする余裕もなかったが、年上相手にいいのだろうかとも思ってしまう。
が、よく考えたら獣の見た目をしている相手に、それもネコ科に敬語を使い続けるのも変な話だなと思ったので素直に頷いた俺に、虎も満足そうに「よし」と返すのだった。
話しかけようとして敬語を使いそうになった俺を虎が不満そうに諫めるというやり取りを何度か繰り返しつつ、宿を出て雑貨屋に向かった。
目的の店は宿屋のはす向かいに建っていて、ぱっと見は年季の入った山小屋のようにしか見えない。
胸の高さまでしかないスイングドアを押し開ける俺達に、声が掛けられる。
「いらっしゃい……あぁ、オルド様かい。ええと、そちらは……?」
「おう。ちィと事情があってな、こいつと旅に出ることになった。男物の服をいくつか見せてくれ」
雑貨屋とやらを訪れた俺と虎を恰幅の良い女性が出迎える。体型こそ違うが、顔立ちがなんとなく宿屋の女将に似ているなと思った。
店主は俺の顔をじろじろ見て、それからカウンターの中から俺の頭からつま先までを眺めると少し荒れている唇を動かした。
「これはまた、随分としっかりした体だね。着ているものもご立派だ、ウチじゃ大したものは出せないけどいいのかい?」
「構わねェよ。晩餐会用の服を探してるわけじゃねえンだ、動きやすくて旅に向いたものを見繕ってくれりゃあいい」
承知したとばかりにカウンターの中を女将がごそごそと探る間に、俺は店先のカウンターに所狭しと並べられた商品を眺める。
それから樽に無造作に立てかけられている剣を見て、手持ち無沙汰に腕を組んでいる虎に振り返った。
「なあ、オルド。剣買っていいで……いいか?」
腕を組んだまま俺を見る虎が、そのまま剣を一瞥する。それから、失念していたとばかりに口を開いた。
「そういやそうだったな、あれだけ戦える男が素手でいいわけねェか。……剣でいいのか?」
「うん、これが一番使ってたやつに近いかも」
「おし、女将。そこの剣も一本追加だ」
「あいよ、勘定しとくから適当に取っておくれ。本数は少ないし型も古いけど、王都からの流れものだから刀身は本物だよ」
ばさばさと店の奥から持ち出した衣類をカウンターに並べている女将に言われて、俺は樽に刺さってまとめ売りされている剣を見る。
柄や鍔、鞘に違いはなくて、見るからに標準的な量産品という感じだった。
その内の一本を手に取って鞘から軽く抜いてみると、鞘と刃が擦れて小気味良い音を立てた。曇りのない鋼の両刃が表れて、女将の言葉通り刀身の状態は良さそうだった。
元より剣の目利きなんてできないし、まとめ売りされている以上どれも似たり寄ったりだろう。「これにする」と剣を手に取った俺は、今度は女将が並べ終わった服に目を向けた。
「こんなところかねぇ。この中の服なら上と下、それにおまけに靴下も合わせてケーニッテ銀貨二枚、剣も入れて六枚でどうだい」
それが高いのか安いのかは今の俺にはわからない。
金勘定のことは虎に任せて、俺は幅広いカウンターに並べられた服を見た。ズボンは、太い撚糸で織られたベージュ色の生地のものが厚手で、如何にも丈夫そうで気に入った。
「ディジオ銀貨三枚でどうだ」
「んん……それなら四枚だね」
値切り合いをしている二人を他所に、今度は上に着るシャツを見る。
半袖と長袖とで悩んだが、こっちに来た当初に歩いた森の様子を思い出しながら虫の被害が少なそうな長袖のものを選ぶことにした。少し暑いかもしれないが、野宿生活が続くのなら肌の露出は少ないほうがいいような気がした。
手触りが柔らかく、それなりに分厚いものが手に触れた。手に取った深緑の衣類を見てみると、胸元がボタン留めされた襟のないポロシャツを思わせるデザインをしていた。
袖口と胴体を繋ぐ太い縫い糸が装飾のようでどことなく垢抜けて見えるのは俺がファッションに疎いだけだろうか、さておき。
これにしよう、と俺はそれらを手に取る。靴下はなんでもいいので、汚れてなさそうなものを選んだ。
「ディジオ銀貨二枚、ケーニッテ銀貨二枚で支払う。どうだ?」
「……ま、そんなとこかねえ。村の英雄様にそう言われちゃ頷くしかないよ」
「……英雄? オルド、そんな呼び方されてるのか?」
虎が貨幣の種類を交えて何をどう値引いているのかはわからなかったが、女将の発した単語に食いついた俺を無視して虎が女将をじろりと見る。
余計なことを言うな、とでも言いたげな強面の獣の顔に睨まれて、しかし女将はあっけらかんと言い放った。
「おや、お連れ様は知らないのかい? オルド様の飛剣の英雄伝説をさ」
ひけんという響きが飛ぶ剣のことだとわからなくて、俺はオルドを見るが腕を組んだままの虎が目を合わせてくれることはくれなかった。
「聞かせてやればいいだろうに……あれはいつだったかね、四つ前の秋だったか。まだ小さかったうちの村が珍しく豊作だった年でねぇ、翼を持つ恐ろしい魔物の群れに襲われたんだよ」
ケラケラと笑いながら、しかししみじみと語り出した女将はどうやら値切られた意趣返しのつもりらしかった。
フン、と慣れたことのように鼻を鳴らした虎は、しかしその話を止めることもなく踵を返す。
「代金置いてくぞ。スーヤ、俺ァ先に宿に戻る。お前も用が済んだら戻って来い」
「えっ。あっ、うん」
ぢゃりん、と貨幣を叩きつけるように木製のカウンターの上に置いて。オルドは雑貨屋の戸を押し開いて出て行った。
どうしたというのだろう、自分の話を聞くのが気恥ずかしかったのだろうか?
虎を追いかけたほうがいいのかと思いつつ、女将の話の続きも気になった俺は、一通り聞いてから戻ることにする。
女将はカウンターの貨幣を手に取りながら「ハイ毎度」なんて言って、話を続ける。
「それで、やつらはうちの男どものせいで作物に手が出せないとわかると今度は子供たちに狙いをつけてねぇ。そのうち何人もやられちまって、もうここまでか、と思ったときだったんだ。遠くから魔物に襲われる村を見て、風のように走って駆けつけたオルド様がやってきたのは」
フィクションでは何万回と使いまわされた、いかにもありがちなピンチに現れるヒーローという展開である。
しかし、俺はそれが現実にあったことなのだと考えると不思議と余計な野次を入れる気にはならなかった。やられた、というのは殺されてしまったのかどうかというのも気になったが、話の腰を折ってまで聞き返すほどでもないように思えて、黙って聞いていた。
まるで代々語り継がれた英雄譚を語るように女将は話し続ける。
「そこからはあっという間だった。アタシの身の程もある剣をぶんぶん振り回すたびに、空に舞う翼を持つ魔物たちが血を噴き上げてバタバタと落ちてくる。剣を飛ばすような見たこともない技で、一振りで二体も三体も落とす英雄の登場に、やつらもたまらず逃げ出して村も助かったのさ」
「へぇ……」
地上から剣を振るうたびに空の魔物が落ちる。
考えた限り、そんな芸当が普通の人間にはできるとは思えない。普通じゃありえない現象を起こすものを、俺はさっき目の当たりにしたはずだ。
それが虎の魔法なのだろうと直感した。空に飛んでる敵を斬ることができるなんてどんな魔法なのだろうというのはわからなかったが、飛剣と呼ばれている辺りにヒントがありそうな気がした。
感心したような俺の反応に、しかし女将はクツクツと笑って続ける。まるで愉快なオチがあるとでも言うように。
「村人はそりゃあ喜んだ。作物は今年の冬越えの蓄えでもあったからね、まさに村の恩人なのさ。だけどあの方は、敵がいなくなったのを見るとその場にバターンと倒れこんじまったんだ」
「えっ」
「二週間は寝込んで、それでようやく元気になったんだけどねぇ。どうやら本人はその時倒れたことを気にしているらしいんだよ。だから、英雄なんて呼ぶなっていっつも言うのさ、アタシたちのためにそんなになるまで戦ったっていうのに、謙虚なことだよ」
そんなエピソードがあったのか。
あの虎はファンタジーによく登場する、ただの冒険者だと思っていたが認識を改める必要がありそうだった。
女将の語り口もそうだが、俺のフィクション上の知識では、少なくともただの冒険者一人に魔物の群れを退かせる実力があるとは思えないからだ。もっともこの世界での冒険者は軒並みそれくらいの戦闘力を備えている可能性もあったが、さておき。
実はそれなりに実力のある、一廉の人物なのかもしれないと考えると、あんなエルフと親交を持っていることにも説明がつく。
そういえば、一緒に行動することになったとはいえ俺はあの虎について全く知らないなと思って、聞いてみた。
「あの……その時からオルドさんって冒険者だったんですか?」
「さて、確かそのはずだけどねえ……うちの若い男連中なら詳しいはずだよ。門番の子とかは特にご執心だった気がするけどねぇ」
宿に戻る前に、せっかくなので村の人にあの虎はどういう男なのか聞いてみてもよいかもしれない。
当時のエピソードもそうだが、世間的にどんな存在なのか知っておくのも悪くなさそうだった。




