ep23.異世界農村滞在記、二日目(ダイジェスト版)
目標:虎の帰りを待て
村で過ごして二回目の朝が来た。今度は確実に昨日より早く目が覚めた自信がある。
何故ならまだ太陽の位置が低く、畑にちょうど大人たちが出ていくころだったからだ。
びきりと腕の筋肉が軋み、熱をもって痛みを発している。これが筋肉痛か、と思ったのはなんだかんだで初めて味わう種類の痛みのように思えたからだ。
死んだときは筋肉痛の段階をすっ飛ばして超回復させていたので、実際に自分の筋肉が傷ついているのを感じると自分の体は本当にあの病気に侵されていない健康体なんだなとわけもなく嬉しく感じた。
昨日水差しの中に残していた水を飲んで、体を拭くためにと用意されたお湯で軽く洗濯してフックに掛けていた肌着を手に取る。まだ少し湿ってるように思えたが、このあとまた汗をかくので気にしないことにした。
汗が乾ききる前に洗濯できたからか、あるいはもともと新品だからかにおいもまだまだ無臭と言えた。
言うまでもないことだが肌着をほとんど洗ったために、昨晩の俺の寝姿は一人で寝ているからこそできる寝姿で、寝ながら何度も虎が帰ってくる予定はまだ先のはずと記憶を確認したのだった。
しかしシャツは運動している時に脱いでいたからともかくとして、学生ズボンだけはどうにもならなかった。
一応乾くように干してはいたものの相当の汗を吸っているはずなのでできればどこかで洗濯したいが、そうなると替えのズボンがなぁと思った。
まあ今夜洗って干してみるか、と考えて俺は靴を履いて外に出た。
階段を下りた俺は昨日の女中と目が合った。まだ陽が出て間もないだろうに、随分早いなと思ったがむしろ夜は早く寝ているはずなのでそういう生活リズムなのだろうと納得する。
体を洗い流す湯を差し入れてくれた恩もあって、手を振る俺に女中は頭を下げて、離れたまま食事をするジェスチャーをしてくる。
少し悩んで、俺は村の中を軽く歩いてくる、という仕草だけを返すと意図を汲んでくれたらしくにっこり微笑んで頷いてくれた。
それから宿屋を出た俺は、昨日子供たちに連れられて回った村の外周をランニングコースに見立てて走り始めた。
本当は穏やかな起伏になっている街道をひた走れば気持ちよさそうだなと思ったが、どこまで続いてるかわからない上にどこまで行くかもわからないのでやめておいた。
距離の計測には自信がなかったが、民家のない原っぱや柵の外側に広がる森の際までを大きくコース取りして走って一周が大体二分くらいで、敷地の縦横幅を全て足してもそこまで距離はないように思えた。
正確な計測ができれば自分が何メートルをどれくらいで走れるのか、あるいは村の敷地をヘクタールで算出することもできるかもしれないが、今は自分の足による測量法しかなかったので諦めた。
ともかく、早朝ランニングに勤しむ俺を不思議な目で見る村人は多かったが、運動する文化自体は珍しいことではないようで早々に興味をなくし自分たちの仕事へと向かっていった。
仕方ないだろ、だって暇なんだもんと胸中で言い訳しつつ、汗を流し続けた。
どれくらいそうしていたかわからないが、体感で二時間ほど経って、腹が減ってきたので切り上げることにした。
昨夜の運動と合わせて、どうやら俺の体はそれなりの速度で二時間ほど駆けても体力が尽きないのと、腕力や脚力に関してもかなり向上していることが認められた。
異世界に来る前、あの無間地獄で鍛えられた肉体はしっかりとこちらの世界でも健在のようで安心する。
しかし改めて考えてみると、筋肉は成長するのに爪や髪は伸びないなど、都合の良い空間だったなと人の理を超越した世界での出来事を思い出して……死にまくったことも思い出して、少しだけ気分が沈んだ。
鬱屈した気持ちを振り払うように慣れたように井戸で汲んだ水で顔を洗って汗を流す。
筋肉痛の腕で井戸のロープを手繰るのには骨が折れたが、濡れた頬を撫でる風で運動後の熱を冷やしながら考える。
今日はどうするか。また子供たちに言葉でも教えてもらうか、それとも一人でトレーニングの続きでもするか。
宿屋に向かいながら考え込む俺は、風に吹かれてさざめく音に引かれて村を囲う森の木を見上げた。
それから、風に吹き上げられた落ち葉がはらはらと木から舞うのを見て、あの憎い白獅子が俺の攻撃を避ける様は木の葉のようだったな、と思い出した。
それで、特に深く考えずに食後のトレーニングは空中に舞う葉っぱでも殴ってみるかと思ったのだった。
枝から離れてはらはらと舞う木の葉に拳や蹴りを当てる俺の様子は子供たちにとっての良い見世物になったようで、今日も一日戯れながら過ごした。
重力に引かれ、絶えず動きながら舞い散る葉っぱを捉えるためには見えている木の葉の先を狙わないといけなくって、慣れるまで少し戸惑ったがうまく攻撃を当てることができた。
果たしてこれが何の練習になるのかは俺にもわからなかったが、少し前の自分では考えられない力で漲る自分の手足を操って狙い通りの場所を打つのはゲームみたいでちょっと楽しかった。
しかしあのご都合空間で死に続けて学んだこととはいえ、随分人間離れした芸当ができるようになったものだと思ってしまう。命を奪おうとする武器を紙一重で躱し続けるだけでなく、背後から飛んでくる矢を気配だけで察知するなど現代に生きる何人の日本人が可能だろうか。
それを誇らしく思う気持ちもあれば、変わってしまったことを憂う気持ちもある。
選んだのは自分だが、それでもあの白獅子を許さない気持ちは強くて振るう拳にも力が入るようだった。
早起きしたからか腹が減るのも早かったので、その晩は早めに部屋に戻り食事を摂った。
昨晩と同じようにお湯を運んでくれた女中に礼を言って、盥の上で軽く体を流して拭いたあとに、余した湯で肌着と学生ズボンを洗濯することにした。
特にズボンは湯につけるとそれなりに水が濁ったので、やはり洗濯して正解だったなと思いつつ絞り、また部屋の中のフックにかけておいた。
ワイシャツは運動するときには脱いで、結局そのまま肌着で過ごしていたのでそこまで汚れてはいないだろうからそのままにしてある。
体を流して盥に開けられた水は、もう一度桶に戻して縦にして壁に立てかけておいた。果たしてこの処置で正しいのかどうかはわからないが、昨晩も同じようにしておいたところ文句を言われる様子もないので恐らく大丈夫なはずだった。
それで、着るものを粗方洗った俺は今日はパンツ一枚で寝るしかないなと思ったところで耐え難い眠気に襲われる。
抵抗するでもなく、そのまま睡魔に身を任せたのだった。
今週はここまでになります。ようやく名前が出ました。
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