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ep1.白いあんちくしょう

目標更新:生き続けろ→???

 天国地獄を信じてたわけではない。

 所詮それは生きてる人間の作った宗教での決め事で、誰もそれを見たことがない作り話でしかないからだ。

 死を身近に感じるようになってからずっと考えていた、人は死んだらどこに行くのかと。

 その謎を解けるのは死者だけだ。それがわからないから、死んで終わりというのは悲しすぎるから死んだ先に何かがあると思うために用意した人間の感情の受け皿、それが天国だの地獄だのという死生観だ。

 少なくとも、俺はそう思っていた。

 今、この時までは。


「目覚めたか」


 母さん、父さん。

 天国ってのは、真っ白なライオン頭の筋肉男が受付してくれるみたいです。


 いつの間に俺はそこにいたのだろう。いや、そもそもどうやってここに立っていたのか。俺が慌てたのはそこが全く知らない土地だからということばかりではなく、寝たきりだった俺の体が自分の足でしっかりとその場に立っていたためでもあった。

 呼吸器もついてないのに自分で望む通りに呼吸ができることに驚き、鉛が張り付いたように重たかった喉が自在に動いて嚥下する自由に感動してしまう。

 喉を確かめるように咳払いしたり小さく五十音を順に口にしたりして久しぶりの自分の声を堪能した俺は、それからようやく現実離れした現実に目を向けた。

 見た限り、俺の服装は病院で看取られた時と変わらず、薄青色の入院着に裸足のままそこに立っていた。

 では周囲の状況はというところで、改めて眼前の巨漢に目を向けた。


「……」

「えー、っと……」


 御伽噺に聞く天使にも、聖書に読んだ悪魔にも見えない白獅子頭の巨漢は皮膚の代わりに短い毛並みの毛皮を全身にまとっていて、感情の読めない獣らしい瞳でじっとこちらを見下ろしていた。その目はしっかりとこちらの目を見つめてくるので、少し戸惑う。


 人の体に動物の頭をくっつけたような出で立ちをした存在を、俺の知るフィクションでは獣人と呼んでいた。

 果たして死後の世界にもそれが適用されるかというのは判然としないが、呼吸に胸が上下したり瞬きをしているのがわかってそれが着ぐるみや被り物などではない実際の生物なのだと理解した。いや、確かに死ぬ前に飼ってた猫をもう一度撫でたいと考えたけど、ここまでのはちょっと。

 毛むくじゃらの異形を前に俺が動揺せずにいるのは、既に死んでいるからだろうか、あるいはとっくに正気を失っているだけなのか。ともかく、冷静にその姿を観察した。

 白いたてがみをたたえた獅子頭は片腕を肩ごと出して、削り出された彫刻のように荒々しい肉体を曝け出すヒラヒラとした布一枚の格好をしている。さらに、見上げるほどの身長と同じくらいの棒……いや、先端にぎらりと尖った鉄の刃を括りつけた槍を床に立てて片手で持っていた。


 真っ白な毛並みはどことなく神聖さを感じさせる。服装も、蛮族や部族というよりなんとなくギリシャとかローマとかの国を思わせた。だからといってそれがこの状況を推理する要因にはならなくて、じっと見つめられているのを無視するようで悪いが俺は改めて周囲を見渡した。

 他に情報を求めてのことだったが、それを嘲笑うように周囲は見渡す限りの一面の草原で、何の起伏もなくただ地平線が広がっている光景が現実味を欠いて映る。

 目立つ建造物といえば俺の真後ろに立っている無骨な石柱が一つあるだけで、それを含めても文明的な情報は何も得られそうもない。


 かくして俺の死後の世界探検は、開始一分にして手詰まりになってしまった。

 となればあとは、明らかにこちらに用がありそうな目の前のローマ風の巨体から話を聞くほかない。


「……あの……すいません。ここって……」


 死後の世界ですか? と訊ねようとしてライオン頭が口を開いた。


「死した魂よ。貴様に問おう」


 よくそんな動物っぽい口で声が出せるなと思った。

 それで、あぁやっぱり俺は死んだんだなと実感が湧いた。


「貴様にこの軍神アレスの遣いとして戦う意志はあるか。異なる世界で再び得た命を、十一の神の遣いと戦うために使う意志はあるか?」


 ぽかんとした。その言葉は日本語のように聞こえたが、まるで全く違う言葉を話しているようにも思えた。

 人間、処理できる情報が許容量を超えると頭が真っ白になるものらしい。いや、初めて病名を診断された時も同じような感じだったっけな。はは。

 俺の口が半開きのまま閉まらないのも無視して、目の前の白いライオン頭は……軍神と名乗ったその男は、唸るような声で続ける。


「その意志あれば今ひとたび消えゆく魂に肉の器を与え、我自ら貴様に覚悟を与え、戦いの地に貴様を送り出してやろう。その意志なくば、この忘却の地を己が何者か思い出せなくなるまで彷徨い、輪廻の理に続くが良い」


 威厳のある物言いと突飛すぎる状況に惑わされそうになるが、すぐに思い至る。断片的に得られた情報を紡いで、今のこの状況にピッタリな合理的解釈を作り上げる。

 異なる世界、再び得た命、消える魂に肉の器を与える、送り出す。

 つまり、それは。


「……それって、異世界に転生する……のか? 俺が?」

「然り」


 異世界転生。

 それは俺の世界で流行っていた、ご都合主義的ファンタジー作品のジャンルの一つだった。


 現実世界で暮らす一般人が、様々なきっかけを経て地球とは違う異世界に飛ばされて成り上がる冒険活劇。入院生活が続いていた俺の暇つぶしのためにサブカルチャーなんかに詳しくもない両親が売上ランキングを見て持ってきてくれた漫画や小説の中に、そういったものが含まれていたことを思い出した。

 もっとも俺が読んだのは、体も健康なくせにただ容姿が悪いというだけで現実世界にコンプレックスを抱いた結果自殺した主人公が、異世界に転生した先で女神から与えられたスキルという反則級の能力で人助けをしたり未開の地を冒険していくというもので、ご都合的に出会うヒロインが全員主人公を好きになったりご都合的にコンプレックスの象徴だった容姿を整えられたりしていて、読みながらなんでもありだなと笑った覚えがある。


 当然、俺が死んだら異世界に行けるなんて考えていたわけもなく、そりゃそんな作品を読んだあと一週間くらいは死んだら生まれ変わって異世界で大活躍、なんて児戯た妄想にふけったこともあるが、そもそも現実に俺を支えてくれる両親を他所に死を切望するようなことができなくて早々にそんな空想はフィクションだと割り切った。


 ……はずなのに、まさか現実に起こり得るとは。

 いかめしいライオン頭は俺のイメージする異世界転生とは少し違っていたが、おそらく言っていることに嘘はないのだろう。これから俺は様々なチートと呼ばれるような反則級の力を与えられて、今ここに立っている健康な体でここではないどこかで生を謳歌するのだ。

 すでに俺の心は勝手な異世界転生のイメージで溢れていてこの軍神とやらの申し出にも前向きだったが、それでも気になることは幾つかあった。


「ええと……戦うって、神様と戦うん……ですか?」

「違う。貴様が戦うは我以外の十一の神が選定した、貴様と同じ死した魂達だ」

「……俺と同じように? ほかに転生させられる人がいるんですか?」

「然り」


 え? 異世界転生ってそういうものだっけ。魔物や魔王とか異世界に用意された敵と戦うわけじゃなく、転生された人同士で戦い合うなんておかしくないか?

 少しばかり嫌な予感がして、恐る恐る訊ねる。


「た、戦うって、なんでですか?」

「神の世を束ねる次なる主神を決めるためだ。我は貴様を、そして他の神は異なる魂を己が遣いとして異界の地へ送り争わせる。そして残った遣いの神こそが、主神の器に相応しいと証すためである」


 違和感が俺の中で警鐘を上げていた。

 イメージしていたものと違う、何かがおかしいぞ、という疑惑はその話を聞いて確信に至った。

 違う、これは非業の死を迎えた俺に対する救済や、舞い込んできた第二の人生を謳歌するチャンスなんかじゃない。

 だって神の代わりに戦えだなんて、それはただの代理戦争じゃないか。


「なんでっ……なんで、わざわざ俺がそんなこと」

「違う。我は死した魂にここで問うているだけで、わざわざ貴様である特別はない。今ここに、我の前に来た魂が貴様だったというだけだ」


 せっかく選ばれたと思ったのに、これからフィクションのような楽しい冒険が待っていると思ったのに。

 どうして他人と殺し合わなきゃいけないのか。

 どうして俺をそんなものに巻き込んだのか。

 死してなお激昂しかけた俺の熱は、獅子の声に冷や水を浴びたようにやり場をなくして燻る。


「……は、はは……嫌な閻魔大王だな……」


 選ばれたと思った。生前の俺の人生を見て、神様がくれたセカンドチャンスだと思った。

 でも、違った。

 こいつはただ、誰にでも聞いているんだ。はいと頷く人が来るまで、ここで問い、説明するだけの機械と同じ。


「選ぶが良い、人の魂よ。我が遣いとなることを受け入れるか、断るか」

「……こ、ここで断ったら、というかこれまで断った人とかはどうしたんだ……?」

「去った。ここではないどこかを彷徨い、己が何者かを忘れるまで輪廻に導かれることもなく、ただ存在するだけだ」

「何者かを忘れるまでって……どれくらいかかるんだよ、そんなの!」


 獅子の目が厳しさを増す。思わずびくりと半歩下がった俺は、「知らん」という一言だけの返答に気圧されてそれ以上食いつく気力もなかった。


「なんだよ、なんなんだよそれ……」


 愕然とした。ここで頷けば顔も知らない誰かと殺し合わされて、ここで断ればこの何もない空間を一人ぼっちで過ごす。そのどちらかしか選択肢がないなんて、絶望的だった。

 ここには俺の望むものなんてないし、死んだら楽になるなんてのは嘘っぱちだった。生きてる間も苦しかったのに、死んでなお苦渋の選択を強いられるなんて本当に俺の人生はなんだったのかと嘆きたくなる。

 喚き散らしたくなる、体が徐々に動かなくなる恐怖に呑まれた夜のように。どうして俺ばかりがこんな目に、経験済みの恐慌が俺の足下を脅かしていった。



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