ep17.ワッツ・ユア・ネーム
目標:虎についていけ
串に刺して焼かれた肉は、これ以上はジューシーさが失われるだろうという適切な火加減で焼き上げられていて、表面に散らされた細い葉っぱみたいな香辛料が香ばしく食欲をそそった。
よくわからない動物の骨とミルク、そして玉ねぎらしい野菜を煮込んだ乳白色の汁物も程よい塩気で、骨とその周りの肉から染み出た出汁が効いているようで舌にしっかりとした旨味を届けてくれて、まさに俺の好みだった。
粒々の穀物が練り込まれた表面が岩みたいな硬いパンだって、今の俺の顎なら容赦なく咀嚼できる。満足に膨らんでもいないパンは野趣溢れる穀物の味わいがあって、食感も生焼けというか、粘土のようでお世辞にも良いモノではなかったがスープや肉と一緒に流し込む主食としては十分な様に感じられた。
あの鬼畜サドライオンには恨みしかないし神の遣いとやらの使命にもクソ喰らえと思っているが、固形物を摂取するのに支障ない体を持たせてくれたことに関しては少々癪だが感謝するしかないだろう。
こんな塊の肉、最後に食べたのはいつだっただろうか。満足に食べ比べたこともないので牛だか羊だかわからない串に残っていた肉を一齧りで口に含むと、削られた塩の塊をガリッと噛んだ塩気で口の中が唾液でいっぱいになった。
その塩気を肉汁溢れる繊維質な肉で洗い流して満足に噛まずに飲み下す。食道に突っかかる感覚に、迷わず木で出来たコップを手に取った。
天を仰いで、その中に注がれた水をごくごくと喉を鳴らして飲み干す。
用意された食事を完璧に平らげた俺は、まだゆっくりと岩のようなパンをちぎりながら食事を続ける虎男の苦笑いに向かって手を合わせながら頭を下げた。
「ごちそうさまです!!」
見た限りの規模としては建物が十数軒しかない小さな村のようだったが、こんな村でも酒場の一つくらいあるらしい。
いや、二階に続く階段が店内にこれ見よがしに設けられている辺り酒場というより宿屋だろうか、ともかく。
「~~~~~! ~~~~!」
カウンターの向こうで、忙しなさそうにあれこれと料理を作る気風の良い女将が笑いながら店内に何事かを大声で発する。
一番近くにいるテーブルに掛けた村の男衆がそれに歓声を上げて、それ以外でも嬉しそうに歯を見せる男達が俺と向かい合って座る虎男に向かって手に持った木のジョッキを掲げて歓声を上げた。
「はは……」
苦く笑ったまま歓声に応える虎を見ながら、まるでドラゴンでも討ったかのような盛り上がりに俺も思わず小さく笑ってしまった。
あの後。
どうやら俺の見立て通り森で迷っていたらしい女の子を送り届けたことで、女の子の母親とその父親らしい栗色の髪をした男性、そしてどうも村長らしい初老の男性に虎男が感謝され頭を下げられるのは当然として、一緒に現れた俺に不思議そうな目を向けてくるものだからどうすべきかと少しだけ困ってしまった。
説明しようにも言葉が通じないし、そもそも通じたところで異世界から来た神の遣いです、なんて正直に言えるわけもない。
かと言ってあんな森で何をしていたのかと聞かれても困る。
あー……と言葉を濁す俺に助け舟を出したのは、意外にも虎の大男だった。
「~~、~~~~。~~~~」
親指で俺のことを示しながら何かを説明するような声を受けて、女の子の家族が虎男と俺に交互に目を向ける。
気になる、なんて説明されているのかすごく気になる。
だが、黄ばんでたり茶色かったりする綿服や縫い合わせた革のズボン姿の村人達の中で俺の学ラン姿は浮きまくっていて、奇妙な格好のせいで変に怪しまれるのは避けたかったし、怪しいやつめ村から出ていけ! なんて展開になっても困るのでここは殊勝に日本人特有の曖昧な笑顔と会釈でやり過ごす。
虎がなんと言ったかわからないが、眉をひそめて怪訝そうな目を向ける栗色の女の子一家と初老の男性に俺は精一杯人畜無害感を強調するが依然として俺を見る目の色は変わらないままだった。
どうするかなと思ったところで、今度は母親の腕の中から離れた女の子が俺を助けてくれた。
「~~? ~~~~?」
女の子は俺の袖をくいくい引っ張って、何事かを聞いて見上げてくる。
困った、何か問われているようだが全く言葉がわからない。
それで、どうしようかと困り笑いを浮かべる俺の代わりに俺の腹が答えた。
ぐうぅ、とデカい音を響かせた俺がそれをしまったと思うのと、すぐ近くにいた女の子どころか少し離れていた虎までがアシンメトリーに欠けた丸耳をピクつかせて、目を丸くするのは同じタイミングだった。
それから、盛大に笑われた。女の子がけらけら笑って、気の弱そうな母親でさえもくすくすと口元を隠して笑うので思わず顔から火が出そうになる。
恥ずかしそうにする俺に、男性陣も観念したようにふっと口元を緩めて何事かを話し始める。
話し合いがまとまったらしい虎が俺に振り返って村の奥を指差す。森への入り口付近に屯っている俺がその先に目をやると、二階建ての立派な建物を示していることがわかった。
それから、腕を動かして口元に運ぶような食べる動作をしてくるので、俺は力強く頷きながら飲み物も欲しいと杯を呷るようなジェスチャーを返したのだった。
それがさっきのことだ。
しかし今日出会ったばかりの、まして明らかに異国然とした相手にここまで上等な料理を馳走してくれるとは思わなかった。
伝わったかわからないが必死に金がないアピールをして、料金はどうするのかと訴え続けたがあれよあれよと卓につかされて料理を並べられたので観念して食べることにした俺は、予想以上の品に舌鼓を打った。
もしかして賓客用にいい食材を卸したのかとも思ったが、周りの席を見ても食べているのは同じようなランクの料理で、よく考えればもてなし料理に田舎情緒たっぷりの骨入りスープなどは出さないかと思い至る。
それにこのパンも、小麦粉以外に様々な混ぜ物をしているだろうことはすぐにわかった。であればどうやらこれは一般的なものらしいと安心してかじりついた。
もっとも、それがどのような料理であろうと水みたいな重湯と栄養剤入りのの点滴に比べたら味のある固形物という時点で俺にとってはとんでもないご馳走であることに変わりはないのだが。
俺が晩年食べていたのは大体そのようなものばかりだったので、久しぶりに塩気のあるものを食べたことに全身が歓喜するのがわかった。もう何十年も、こんなものを食べていなかったようにすら感じた。
それでなくとも極限にまで腹の空いた今となっては、固形物を満足に食せる喜びもあって今なら椅子でさえも食べれそうだった。
食べ終わって人心地ついた俺を、虎は自分の食事を進めながらじっと見ている。
ネコ科らしい目に見つめられるのがめちゃくちゃ苦手な俺は思わず逸らしてしまいそうになるが、しかし一飯の恩人に対してなるべく誠実に振る舞うべく正面から見つめ返す。
人違いの殺意を滾らせそうになるのを懸命に抑えていると、虎は片方が中途半端に切り取られたように欠けて歪になっている耳をぴくりと動かして、肉串の脂で汚れた毛むくじゃらの手で自分を示して口を開く。
プラスチックの導線みたいなネコの髭が、ぴくりと上下に揺れた。
「オルド」
「……おる、ど?」
俺がリピートしたのを聞いて虎が満足そうに頷く。
ジェスチャーのために、それが対面するこの虎の名前だというのはすぐにピンときた。聞き覚えのないそのワンフレーズを口の中で繰り返して、俺はその短い名前を覚える。
それから自分も名乗ろうとして同じように自分を指で示したところで、苗字はどうするべきかと躊躇った。
目の前の虎にも姓は存在しないのだろうかと思ったところで、俺が読んだ作品では中世ヨーロッパでは貴族や王族しか姓を持たないと解説されていたことを思い出す。
どこまでその知識を信用していいのかというのは悩みどころだが、虎の名乗りに合わせて苗字は省いてしまっても問題ないだろう。
今目の前にあるリアルをフィクションの知識で補うことの歪さには少し戸惑ったが、ともかく。
「愁也……しゅう、や」
敬語やその他の言葉を付け加えると、それも名前と認識されかねない。とはいえ、語尾もなく自分の名前だけを口にするのは慣れなくて、咄嗟に二回繰り返した。
その一つながりを名前と判断されかねないと思ったが、ちゃんと同じ単語を二回口にしただけと理解した虎は俺の名前を繰り返す。
「スーヤ?」
「ちがッ……しゅう、や!」
「スーヤ」
「……まあ、いいかそれで。そうです」
諦めたように頷くと、ちょっと響きは違うが俺の名前を覚えた虎が表情を変えずに満足そうに頷き返してくる。
残っていた乳白色のスープを飲み干すと、オルドと名乗った虎ががたりと席を立った。
「スーヤ。~~、~~~~」
虎が大きな手のひらでちょいちょいと俺を呼ぶ。つられて立ち上がった俺は、とっくに食事を終えていたのもあって虎に連れられるままに二階へ上がる。
一階ではまだやんややんやと宴会を繰り広げている酔客たちが、二階へ向かう俺達に……正確には虎に手を振っていて、虎もそれに背中を向けたまま片腕を上げて返すのがなんとも様になっていた。




