ep166.白いこんちくしょう
えっ、王子様が?! と思ったのも束の間、俺の興味はとっくに霧散してしまっていた。
早足でその場を後にしたテオドアを見送った俺がそのニュースに驚かなかったのは、何の血筋もない一般庶民の生まれのくせにちょっとした知り合いのツテで城砦内に居候しているような身分のためにその家主とも言えるだろう王族と顔を合わせるのが気まずいからという理由もあるが、それは副次的なものに過ぎない。
主だった理由は、俺個人の偏見のためだ。
というのも、話を聞いて知ったことだが、この国の王族は……この世で俺が最も嫌うネコ科の獣人、それも獅子種の雄なのだという。
もちろんこの世界の人物が天の上に住まうあのトンチキイカれ戦闘狂と何の関わりもないことは承知の上だ。それどころか、敷地内に掲げられた肖像画の国王は毛並みも普通のライオンっぽい茶褐色をしていて、穏やかな目つきは俺が忌み嫌うそれとはかけ離れていた。
それでもそのマズルが、鬣が、その存在が俺の神経をざわざわと逆撫でするのを抑えられない。その顔を想像しただけで何度も死を刻まれた体が叫び出しそうになる。生理的な嫌悪はつまり防衛反応でもあった。
虎の顔は同じネコ科の骨格であっても顔に縞々があるので今でこそ別物だと割り切れるようになったが、ライオンそのものはまだ難しいようである。
今にして思えば、ユールラクスもオルドも無理に王族と俺を引き合わすようなことをしなかったのはそんな苦手意識をうっすらとだけ知っているからだろう。あるいは、居候の冒険者などに王族が時間を割いてくれるわけもないだけか。
そんなことを思いつつ足を動かす俺が、テオドアの知らせを聞いてまず真っ先に抱いたのは、第三王子とやらも獅子種なのだろうか、という感想だった。
それから、同じ敷地内に獅子種が更に増えたという事実だけで気が重くなった。我ながらトラウマにも程があるとは思うが、こればかりは理屈じゃないので仕方ない。
さておき、そんな第三王子がやってきて城内が騒然としているのは、まさに一触即発状態だから、ということなのだろう。
国王が病に倒れたことで明らかになった王家の跡継ぎ問題。順当に考えれば第一王子がそれを継ぐのだが、第三王子はどうやらそれをよく思っていない様子。
それどころか国王の病気すら第三王子の手によるもの、なんて噂された日にはたとえ根も葉もない噂だろうと忠臣達を動かすには十分だろう。
これまで聞いた話によれば、第一王子を始めとする現国王の一派には反逆者として第三王子を捕えようという動きがあったが、これを諫めたのも現国王だという。
そしてその国王を訪ねに、国土東の辺境地を預かる第三王子が遠路はるばる王城までやってきたというのが今回の事件だ。
何のために、というのがわからないからこそ、騒然としているのだろう。もしかしたらその場で第一王子に宣戦布告するかもしれないし、あるいは衰弱しているのをいいことに国王に何かを持ち掛けるかもしれない。
普段なら使用人や侍女らが忙しいながらも談笑しながら行き交う城内の庭園も今は小ざっぱりとしてひと気がなく、緊張状態を感じられた。
権力ってのは色々と大変だなぁとどこか他人事に思いつつ、俺は甲冑に入ったスライムを連れて迎賓館に向かう。
贅沢の極みを尽くした客室の中でも一番小さい部屋を使わせてもらっているが、それでもその辺の宿で泊まる部屋の二倍は広々としている。
ユールラクスに口利きしてもらったとはいえ、ここを好きに使わせてもらってるのは贅沢だよなあと思う俺は両手で扉を押し開き、まるで自分がもてなしを受けるVIPのように思えてしまうエントランスに立ち入ったのだった。
天窓から陽光を取り入れる吹き抜けを設けたアトリウムのおかげで、その屋敷は入り口広間から既に広々とした印象を受ける。
入るとすぐに、絨毯を敷いた石畳に並べられた壺やら胸像やらという調度品や、踊り場で折り返して二階に向かう木造の階段が目に入るだろう。
自慢の庭園を見渡せる二階の客室はまさにVIP専用というもので、応接間を兼ね備えているのだと聞いたこともある。それ以外にも広々とした空間に長机を置いた食堂はもてなしの晩餐会や外交の場としても使われるそうで、あまり首を突っ込まないほうがいいだろうと思って足を運んだことはない。
もしかしたら件の第三王子とやらもここにいるのだろうか? だが正当な王族ならいくら政変の疑いで城を追われたと言えども私室くらい残ってるはず。それならわざわざ来賓用の館に足を運ぶこともない。
しかし、その辺りの政治劇は物語でもよくテーマになるよなぁなんて今ではすっかり遠く感じるラノベや漫画について思いを馳せながら二階に上がる階段を見上げていた俺は、踊り場に影が差して誰かが降りてくるのが見えた。
掃除中の使用人かと思ったが、手すりからはみ出した手や足音、そして話し声から複数人いる気配を察して、何かしらの来客だろうと直感した。
高貴な身分の客だとしたら、目を合わせておいて素通りするわけにもいかない。そして今は得体の知れない甲冑を連れている身だ、出口に向かうだろうその集団と正面から鉢合わせるのは何となく避けたかった。
「……エインゼリアル、ちょっとこっちに……」
『了承。移動する』
右に続く廊下へ足早に抜けて、柱の陰で息を殺す。そのまま割り当てられている自室に向かってもよかったが、せっかくなので誰がいるのか一目見ておきたかった。
何故そう思ったかはわからない。だが、複数人の臣下を伴って現れたその姿を見る限り、それは必然だったに違いないだろう。
一団の中にはユールラクスもいた。オシャレをしているのか、あるいは正装のつもりなのか長い銀髪を編み込み髪留めを身に着けたその姿は女性と言われても信じてしまいそうだった。
ユールラクスは嬉しそうに、そして親しげにその人を見上げながら身振り手振り何かを説明しているようで。
そして俺は、背中に渡していた剣の鞘ごと手に取って駆け出した。
反射的に剣を奔らせていた。後方で置き去りにされたエインゼリアルが予想外のことに戸惑ったように身じろぐのを人間臭く感じた。
柄を潰れるほどに握りしめて、低く跳ぶように駆け抜ける。銀の線を伴った弾丸と化す俺は、頭痛がするほどの血流を知覚すると共に周囲の景色がやけにスローモーションに映るのを感じていた。
飛び出した俺に驚くユールラクス。何が起きたかわかっていなさそうな取り巻きの兵士達。ゆっくりと振り返るその巨体。
無防備なその首目掛けて、俺は剣を振り抜いた。
鋼と鋼を打ち合わせたような音がした。現代的に言うなら金属バットで電柱でも叩けば同じような音がするだろうか、ともかく。
血走った目で俺は間に割って入った山吹を見る。いつも通り少し眠そうなジト目は焦っているようでも、驚いているようでもあった。
「……落ち着け、お前らしくねェぞ。スーヤ」
どうして邪魔をするんだ、オルド。そこに立たれたらそいつを殺せないじゃないか。
鞘から抜きもしない大剣で俺の一撃を受け止めた虎は、存外穏やかな口調で俺に話しかける。
そうだ、わかっている。こんなことは常軌を逸している。
初対面の相手に、それも見るからに高貴な身分の相手に突然斬りかかるなんて考えられない異常な行動だ。
唯一体が動き剣を受け止めた虎の冒険者の声に我に返ったのか、取り巻きの兵士達が武器を構えて俺を取り囲む。
俺に向けられた槍の切っ先が、行く手を阻む虎が、武器を捨てろと怒鳴る人の声の何もかもが邪魔だ。
俺は目頭に思い切り力を入れて、虎の向こうで眉一つ動かさずに悠然と佇むその巨体を見る。
そして、目が合った。
そこにいた白い獅子は、薄く笑った。
本日はここまでとなります、次回更新はお盆明けの8/20です!




