ep162.厄介スライム
「で、また厄介なネタを持ってきたっつゥわけか」
「いや、これはどっちかっていうと巻き込まれただけで……」
「すごい! 人と同等の知能を持ったスライムなんてこれまでの実験でも作れたことがないんですよ! ちょっとお体を調べさせていただいてもいいですか?!」
『承認、当機への調査を受け入れます』
城砦へ戻ってきた俺は、衛兵に見知らぬ甲冑を連れて城壁を通ろうとしているところを見つかり若干の騒ぎにはなったものの、兵士長のテオドアが運良く通りがかったために事なきを得た。
甲冑を着込んだ鎧騎士……の中からうごめくスライムが出てきたら普通は驚いて当然だ。
突如現れた魔物の姿に騒然としかけたその場をどうにかこうにか収めて、こうしてユールラクスの働いている魔術棟までスムーズに連れてこられたのはラッキーだった。
ちなみに本当に害のない生物であると証明されるまで兵士長の鷹を含めた数名が見張りについており、武器を携え遠巻きに立っていた。
その顔は嫌悪というよりは、どちらかというとドン引きという様子の顔だ。
それはそうだろう、この国ではスライムなんて排泄物の処理に使われる便利モンスターという認識だ。
目の前の甲冑スライムがそうではないこともわかっているはずだが、本能的な忌避感が拭えない。そんな感じの顔をしていた。
魔術棟の奥、ベッドよりも大きな研究机にかけているユールラクスの傍に立った甲冑スライムが面頬を開けた兜の内側からぬるりと半透明の軟体を露出させるのを、俺とオルドは並んで見ていた。
ちなみに、ついでだから事情を説明しておこうと帰宅し昼寝していたオルドを叩き起こして引っ張り出してきたので、その顔は不機嫌三割増というところだった。
「本当に言語を解するなんて、体のほとんどが水分のはずなのにどこにそれほどのエーテルが収められているんでしょう……それに、こんな重たい鎧を動かすほどの硬度と粘度を保てるなんて。中枢にしている核が優秀なんでしょうかねえ? ちょっと見せていただくことは……」
「ゆ、ユールラクスさん。それもいいですけど、まずはこっちの話を……」
「まんまと夢中になってんじゃねェぞオタク野郎」
俺とオルドの指摘に我に返ったらしいユールラクスは、ひとまず自身の知的好奇心を棚上げした様子で甲冑に向き直る。
ここ最近は研究成果の仕上げで多忙だと聞いていたが、こうして時間を割いてもらえるばかりか得体の知れない魔物にも臆さず興味をぶつけるさまはある意味ではとても彼らしいが、さておき本題に入る。
「そうでしたね……えぇと、ご自分の家に帰りたい、と伺ってますが……?」
『肯定。当機、個体名エインゼリアルの作戦区域は魔族フローレス領内城館にあり、現在地点は著しく逸脱している可能性があります。速やかな帰投が推奨されております』
棟内が魔族、という言葉に少しばかりざわつく。見張りに立っている兵士が不安そうな顔で鷹に声をかけるが、鷹は毅然とした態度でそれを無視していた。
自分達の仕事に専念している魔術師達も落ち着かない様子で研究デスク傍のエルフと甲冑を気にした様子だが、ユールラクスは腕組みして思案顔を見せる。
「ふろーれす、ふらうれす……うーん、聞き覚えはあります、が……ねえ、オルドくん?」
「あ? なんで俺なンだよ」
「ほら、ついこないだも読んでたじゃないですか。北部大陸の終端を見に行く旅の章で……」
「……おい、もしかしてそれ……」
どこか思い当たる節のありそうなユールラクスに次いで、オルドが声を上げる。
話の中身にはピンとこないが、中位冒険者として歴の長いこの虎も、領地を持つほどの魔族の名前なら小耳に挟んだことがあるのかもしれない。何か知っているのか、という俺に二人は続ける。
「実は……ユピテルの冒険記第七巻に魔族のフラウレス伯というのが出てくるんですよねえ。名前が似てるってだけにしては、ちょっと共通点が多いなと思いまして……」
「いや、ただの創作物の話だろうが……」
ユピテルの冒険記、というと俺がこの世界の言語、ガオリア語の読み書き勉強のために読んでいた流行りの私小説のことだ。
貴族や金持ちの間で流行っている文学作品、にしては少し突飛で活劇的な内容なのだが、冒険者や未開の地が多いこの世界の常識を考えればごく一般的な題材なのかもしれない。
そのため、俺が読んでも慣れ親しんだライトノベルのようで親しみがあった。
ちなみに俺はまだ三巻までしか読んでないので、少しネタバレを食らった気持ちだが、さておき。
「共通点って、どんな人物なんですか?」
「いえ、そこまで詳細に書かれているわけではないんですねぇ。ただ、北部大陸を縦断するユピテルの良き友として人魔の垣根を超えた絆が語られているだけで……」
「何かほかの情報とか、場所とかっていうのは……」
「ねェな。最新刊でもそんなことは語られちゃいねェよ」
きっぱり断言したのはオルドだったが、その言葉は確信に満ちていて疑う余地はなさそうだった。
「よしんば書いてあったとして、ただの創作の話を現実とごっちゃにするのもどうかと思うがな。あれは空想、架空の物語だろうが」
「わかってますよぉ、僕も似ているなって思っただけなので……それ以外だとちょっとピンと来るものはないので、詳しい人に聞いてみたりしますね。ごめんなさい、力になれなくて」
『承認、当機は貴機らに継続調査を希望する』
「……どうでもいいが、その頭に響く声はなんとかなんねェのか」
聴覚を介さず意思が伝わってくる念話は、自分以外の思考が脳に挟まってくるようなものだ。
オルドは心底うんざりした様子でそれを指摘するが、本気でどうにかなるとは思っていないようだった。
「大体、なんで自分のいた場所すら覚えてねェんだ。どう考えてもその時点で怪しいだろうが」
『解答。当機に命じられた最後の指令はフローレス城館内部の監視、および報告であり、当機はその目的のために作成された個体です。故に自律型ではあるものの、城館外部へ巡回することは想定されておらず、相対的な地図の入力は概観されていたためです』
「だとしたら、なんでそれがこんなところにいンだよ」
『不明。記憶領域に該当情報無し。推測、休眠時に何者かによって当機が輸送された可能性があります』
なんだそりゃ、とオルドが肩を竦める。ユールラクスが質問の後を引き継いだ。
「その、休眠状態っていうのになっていたのは、どうしてなんですか?」
『不明、何らかの指令が下された可能性があります。また、当機は機能低下時に活動保全のため自動で活動を停止する休眠状態に移行しますが、自主的にこの移行がされることはありません』
「誰かに命じられたか、自分で眠りについたか……そこを思い出すことはできないんですよね?」
『肯定。当機は何らかの記憶措置を受けている可能性があります』
「ただ忘れただけじゃねェのか」
オルドが軽口を叩くが、メカっぽい喋り方の甲冑スライムがそれに嚙みつくことはなかった。ユールラクスは興味深そうに聞き取りを続ける。
「じゃあ、そのフラ……フローレスという魔族について、何か思い出せることはありますか?」
『拒否。解答の権限がありません』
「はァ?」
声を上げたのはオルドだった。
『監視装置である当機は鹵獲時を想定した措置として、主人であるフローレス様についての守秘義務が課されています。故に質問に解答する権限がありません』
「お前、人に助け求めといて何言ってンだ」
明らかに苛ついた様子で虎が言うが、ユールラクスはむしろ納得したような様子だった。
オルドの不機嫌が高まる前に、たまらず俺が口を挟む。
「何も言えないのか? 例えば、見た目の特徴とか教えてもらったりするだけでもいいんだけど……」
『否定。解答の権限がありません』
ダメそうだ。俺が肩を竦めると、ユールラクスは短気な冒険者を宥めるように言う。
「まあまあ……見た目から割り出せるとも思ってませんから、それは大丈夫ですよ。何か他のことから探していくしかなさそうですねぇ」
「つぅか、コイツの言うことを信じていいのか? 本当のこと言ってるっつぅ確証もねえンだぞ」
変わらず噛みつくような調子で虎が言う。疑り深いのは中位冒険者の彼らしいといえば彼らしい。
『否定。当機に虚偽の申告をする機能は存在しません』
「どうだか。こんな街中に入り込んでンのも敵意からで、人間を攻撃したり征服しようとしてるって方がよっぽど自然だがな」
虎の指摘はもっともだった。
ここまで知能が発達した魔物が王都の真ん中に存在するということを思えば兵士たちの緊張した様子も納得できるし、仮に敵意を持っているとしたらそれをむざむざ王城まで連れてきた俺は史上最大の大間抜けということになるだろう。
『否定。当機の行動指令および処理順序には人類に対する加害行動は存在しません』
「へぇ? じゃあお前が勝手に動き出すワケか?」
『否定。前提として、当機は戦闘個体ではないため人類との直接戦闘行為は推奨されていません。同様に、敵意という概念は装置である当機は持ち得ていません。よって、当機は貴機らに全面降伏の意を示すとともに、事態の共同解決を図るための同盟を申し出ます』
淡々と頭に響く言葉は平坦で、感情が介在せず理路整然としている。
その正論に虎は不愉快そうに眉根を寄せるのを、俺が横からフォローする。
「俺も、そう思う。こいつ、向こうから俺に話しかけてきたんだ。王都で何かしようって言うならただ潜伏してるだけでも良かったはずなのに、わざわざ正体までバラしてきたんだから本当に何か事情があるんだと思う」
「どうだか。まんまと城の中まで連れ込んだ以上何も企んでねえことを祈るがな」
見知らぬ動く甲冑、しかも魔物入りのそれを俺が城砦内に連れ込めたのは殆ど鷹の兵士長の口添えのためだ。
そんな怪しいものを入城させるわけにはいかないと反発するのを、テオドアに俺が頼み込んで何とかここまで連れ込めたのだが、これで何か問題でも起ころうものなら誰の責任になるかなんて考えずともわかることだった。
警備に無理を言わせたのは少し迂闊だったかもしれないが、逆にこの場にいる面子以上に何かあったときに対処できそうな人員はほかにいないだろう。
ユールラクスは持ち込まれた厄介ごとにも動じず、俺を安心させるように笑んでから指摘する。
「しかし、休眠状態だったのに何故急に目が覚めたんですか? それもわざわざ、スーヤさんの前で」
どきっとした。甲冑は、変わらない調子で回答する。
『解答。当機の活動再開に必要エーテル量を受領したためです』
「あの、俺結構こいつの鎧を気に入って立ち止まって眺めてたんですけど、それでどうやらエーテルを流し込んじゃってたみたいで……」
「ふぅん……? 大気中に放散される人由来のエーテルを摂取するってことですかね? 斬新な補給方法ですねぇ……!」
目を輝かせるユールラクスに、俺は胸を撫で下ろした。




