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ep161.ヤドカリ

 背負い紐のついた鞄に旅用の麻袋の中身を詰め替えると、俺は露店の側から立ち去った。

 良いものを買えた。冒険者試験を終えてからずっと鞄が欲しかった俺は、収入もないのに新調する必要があるのかというオルドの正論に打ちのめされて結局は慣れ親しんだ麻袋を荷物入れにしていた。

 持ち運ぶにも口紐が手に食い込んで痛いし、担いで歩くのもなんだか疲労が溜まるそれとようやくおさらばできた俺は、しかし捨てずに革のリュックサックの中に丸めて麻袋を詰め込んでおいた。

 角が三本生えた魔鹿の毛皮をなめしたというそれは手触りも良く、刃物では貫けない強靱さを併せ持つという。肩にかける背負い紐も食い込みすぎないようにとバンド状に仕立てられていて、現代で使うものと同じくらい運びやすかった。

 唯一の難点は、これを背負っていると剣を背中に渡せないことだが、せっかく両手が開いているので手で持ち運ぶことにして、俺は市場の中を歩く。


 食料品は買い直す必要はないし、旅先で使っている塩や脂の類もまだ残っている。

 この頃には俺の料理の腕もそれなりに上達していて、乾物ばかりでも美味しいスープを作れるようになっていた。

 それに硬くなったパンを浸して食べつつ、オルドが道中で捕まえた野生動物を捌いた肉を焼いて食べるのがこのところの定番だ。時に乾いた果物やにおいの強いチーズもつまんだりするその食事は、まさにファンタジー世界の食事という感じでそれなりに満足している。


 ただし、向上心を忘れたわけではない。俺の食事を、あるいは料理をランクアップさせる何かがないかと市場をひとしきり歩いた俺は、闇市場に続く路地に目を向けた。

 盗品や出所不明の品物ばかりが並ぶ店が集まった路地通りは、石造りの建物の隙間にずらっと露店が続いていて、日陰になっていることもあって怪しさが拭えない。

 大人の他にも店や仕入れの手伝いらしい女子供が走り回っている大通りと比べると、出入りしている客は男の一人客ばかりで、何となく不審に見えてしまう。


 君主の住まう城下町だけあって治安について心配することはないだろうが、それでもどことなく擦れた空気を感じてしまう。

 本来なら立ち入るべきではないのだろうが、俺は見るだけだから、と言い訳しつつそちらに足を向けた。


 以前立ち入った時のことを明確に記憶しているわけではないので当然といえば当然なのだが、露店を出している人物は見たことない顔ばかりだった。

 もしかしてどこに誰が店を開くかは決まってないのかなと思ってしまうのは、隣り合う露店同士で品ぞろえがバラバラだからかもしれない。

 箱いっぱいの果実やキノコなどを売る食料品店があると思えば、その隣には獣臭い毛皮に加えてロール状になった織物を売る衣料品店が並んでいて、数件またいだ先には肉を捌いて売る肉屋が出ていた。

 いったい何の肉なのかというのは恐ろしくて聞けなかったし、関わり合いになるつもりもなかったがそれなりに買って行く人がいるのが驚きだった。冷蔵施設もないのにこんなところの肉を買うもんだなぁと思いつつ、ムッとする生臭さに耐えながらその前を通り過ぎた。

 そして、この露店への出店は特に決まったルールがないのだというのを確信したのは、とある店の前を通りがかった時のことだった。


「ドウゾー、ゼヒミテイッテクダセー。ドウゾー」


 聞き覚えのある声。ちらりと目を向けると、痩せぎすの猫人が接客をしているところだった。抱いた既視感が確信に変わるのに時間はいらなかった。店頭に並んだ、見上げるほどの鎧甲冑に目が留まる。


「……あぁ、これまだ売ってたのか」

「ドウゾドウゾー、ユイショアル、甲冑一式、デスヨー」


 ちらりと声の主に目を向けると、どことなく遠くを見るような目つきで通りに呼び掛けている。品物の前で足を止めている俺のことなど気にしていないようだ。


 あの時も思ったが……しかし立派な鎧だった。

 装備すれば肌を露出する部分など一切存在せず、その全身を板金で守れることだろう。その分重量は凄まじいだろうから俺向けではないだろうが、それでも男心をくすぐられるものがあった。

 憧れというべきか、ロマンというべきか。せっかくこういう世界なのだから一度くらい着てみたいよな、甲冑。

 でもそれはそれで着慣れないものを着て戦うのは現実的じゃないだろうし、実用化できる程度の防具に留めておいたほうがいいのだろうかとも思う。

 いずれにせよ、こんなフル甲冑装備を俺が着れるわけでも買えるわけでもない。

 そう思いつつ、何故かこの鎧からは目が離せなかった。

 なんでだろう、これを見ているとどうしてか落ち着かない。単に俺の男心が騒いでいるだけとも言い難いざわつきを感じる。

 何か仕掛けでもあるのかな……と疑った、その時だった。


『……き、……せよ』

「……えっ?」


 何か、声が聞こえた気がした。誰かが俺にすぐ隣で語り掛けたような、そんな声の近さだった。

 思わず周りを見回すが、傍に誰かいるわけでもない。この世界で俺に話しかけてくるような知り合いの姿を探すが、周りに見知った顔はなく、それどころか誰一人として俺に関心を向けてはいなかった。

 気のせい……などであるはずもない。店主が俺を呼んだのかな、と何の気なしに正面の甲冑に視線を戻して……その兜の奥、額当てと面頬の隙間に何かが蠢くのをはっきりと認めた。

 そして、聞き覚えのない男の声が頭の中に響く。


『……交信、応答願う。当機は貴機に救助を要請します。繰り返す、当機は貴機に救助を要請します、応答願う』


 思わず、うわっと声が出た。

 通りを歩く人々が僅かに俺を訝しむが、すぐに興味をなくしたのは幸いだった。しかし、この鎧の持ち主である猫人の店主は一度ぐりんと俺に目を向けたというのに、売り込みに来るでもなく視線を正面に戻して「ドウゾー」なんて棒読みで呼びかけ続けている。

 今になって気づいたが、どことなく茫然自失とした様子である。何かあるとすれば、それは目の前の怪異ともつかぬ喋る鎧に原因があるに違いないと直感して小声で呼びかける。


「……あ、あの……? もしもし……?」

『交信、応答あり。当機は貴機に救助、および現在地の照会を要請します』


 思い過ごしや聞き間違いなどではない。直接脳内に響くこの声は、はっきりと目の前の鎧から発されている!

 聴力を介していないはずの声は明らかに指向性があった。音は空気の振動となって発されているので近くに行けば当然大きく聞こえるし、遠ざかれば小さくなるが、今俺が聞いている声もまた同じように、目の前の鎧からはっきりと聞こえるのだった。


「え……っと……こ、この鎧の中に、誰かいるんですか?」


 周りを見ても、この頭に響く声に戸惑っているような人が他にいるわけでもない。

 関わらないほうがいいと思いつつ、中に誰かいるのかと思って聞いてみた俺に、鎧は身じろぎ一つせず答える。


『肯定、当機はフローレス領第三近衛兵団所属の自律型不定形監視装置、機体名はエインゼリアル』


 その瞬間、俺の真後ろを通行人が通り過ぎた。思わず振り返るが、この市場の常連らしいうらぶれた男は甲冑というより急に振り向いた俺に注意を向けていて、やがてその興味も失せたようだった。


 ということは、本当にこの声は俺以外に聞こえていないのか。だとしても、頭に響く言葉に対して声を発して返事をするのも怪しくて、俺はしばらく何も言えずにそこで呆然としている。

 あるいは、何が起きているのかわからなかった。その声は、あるいは響きは生まれ育った現代日本とも、ようやく慣れてきたこの世界とも異なるように聞こえたからだ。


『当機は長期的な休眠下にあったため、貴機に職務復帰の補助を願います』

「補助……って」


 俺の戸惑いを無視して、鎧から響く男の声は続けられる。何をさせるつもりだ、と少し身構える俺に、甲冑は事務的に続ける。


『肯定、第一に現在位置の情報を要請します』


 未知との遭遇に、俺はこの問いに素直に答えていいのかと訝しんだ。何か不味いことをしているのではないか、下手に関わり合いにならないほうがよいのではと防衛本能が騒ぎ立てる。

 しかし何か大きなイベントの幕開けのようにも感じて、ここ数か月で格段に図太くなってしまった俺は何かあれば戦えばいいやと軽視して言葉を返した。


「現在位置は……ベルン王国の王都内だけど」


 堅苦しい問い合わせに、まさか座標とか求められるんじゃなかろうかと危ぶんだが、俺の言葉にしばし間を置いてから鎧が答える。


『……確認、当該地区は人間の生息区域と記録あり。認識に差異が生じている可能性があります』


 その言葉に俺は驚くことはなかった。むしろ、やっぱりそうなのか、と納得するほどだ。

 少しだけ警戒心を強めて、俺は尋ねる。


「てことは、やっぱ人間じゃないのか?」

『肯定、当機は魔族フローレスの魔力により作成された監視装置です。一般的には、魔物と分類される仮想生命体となります』


 魔物と聞いて思わず剣に意識が行くが、対話のできる魔物なんてこれまで会ったことがない。

 善悪の、あるいは斬るべきが否かの判断をつけるためだと言い訳して、俺は好奇心のままに言葉を続けた。


「作成された、ってこの鎧をか?」

『否定、この甲冑は主人により当機に与えられた外装であり、当機は業務達成のため定められた肉体を用いません』


 てことは中に何かいるのだろうか、と思った俺と同じように、目の前の甲冑も論より証拠と考えたらしい。

 触れてもいないのに、ヘルムの面頬がぱかりと上に開く。本来顔があるべきはずのその空間は、何もないがらんどうとなっていた。

 自動的に開いたそこに意識を向ける俺は、次の瞬間思わず叫び出しそうになった。

 ぬるり、と半透明の何かが……凝固した水のような、あるいはゼリーのようなそれが、甲冑の首元からせり上がりヘルムの内側から俺に手を振っていたからだ。


『このように、当機は最適化された柔軟性を持っています。一般的に、当機のような魔物のことは、人間は……』

「す、スライム……?」

『肯定、その名称で呼称されるようです』


 俺の脳裏をかたつむりやヤドカリのイメージが過ぎったのは、言うまでもないことだろう。

本日はここまでとなります、次回更新は少し先の7/16です!

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