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ep158.勧善懲悪って親父も言ってた

「よぉし、待たせたな。そろそろ料理の時間といくかぁ」


 錆びた鋸を片手に、山賊が男を立たせる。乾いた血や脂でべっとりと汚れた刃物は表面になんだかわからない肉片が付着したまま乾いていて、それが何に使われるのかを物語っている。

 岩壁をくり抜いたようなジメジメとした横穴に繋がれたままの人質達は血の気の引いた顔でその調理器具に目を向けて、無言のままやめてくれと訴えるが飢えた山賊にそれを気にした様子はなかった。


 頭髪を隠すような頭巾を巻いた男は言われるがままに立ち上がる。その表情は一つも崩れておらず、揺らいだり怯えているような様子はなかった。


「随分余裕そうだなぁ。強がるのはよせって、ほんとは英雄気取りで名乗り出たことを後悔してんだろ?」


 男の態度を虚勢と決めつけるのは、山賊がこれまでにも同じような態度を見てきたからだ。


「どんな強情っぱりでもなぁ、ちょっとずつこいつで肉を切り出してやるとすぐ素直になるんだ」


 見せびらかすように錆びた鋸を振りかざすが、男の顔は揺らがない。山賊は上機嫌に、聞いてもないことをべらべらとまくし立てる。


「俺ぁ肉屋の生まれでよぉ。さんざん親父に物覚えが悪いとか手が遅いとか怒られたもんだぜぇ。怒られるたびに飯抜きにされてなぁ……でもある日、俺をどやす親父をちょっと突き飛ばしたらぐったりして豚みてえに動かなくなっちまってよぉ。それで気づいちまったんだわ、人間も家畜も変わらねえ、肉には違いねえってなぁ。ヒヒッ」


 唐突に昔話を始める男の口調はもはや正気とは思えなかった。人肉を食らう山賊に相応しいと言えば相応しい狂気にその場の誰もが絶句するが、鋸を突き付けられている男だけは冷静だった。


「今じゃあ豚や鶏よりもでけぇ肉を捌くのは俺の役目だ、親父も泣いて喜んでることだろうよ。だからお前も、美味しく捌いて食ってやるから安心しろよなぁ?」

「……それで、残りの人達も全員殺して食うつもりなのか?」


 男が押し殺したような低い声で尋ねる。山賊はにやりと笑みながら、冥土の土産とばかりに答えた。


「殺しゃあしねえよ、すぐにはなぁ! いっぺんに何体もシメてたら肉が腐っちまうだろうが。安心しな、きっちりお前を食べきるまでは手を出さねえよ。親父から飯を残すなって教わったからなあ、ヒッヒヒ!」


 これまで何人もそうやって食ってきたのだろう。黄ばんだすきっ歯を覗かせて下卑た笑いを浮かべる山賊に、もはや人の心があるとは思えなかった。

 こうなってしまえば、もはや人の形をした魔物だ。理性なく欲望のままに生きる獣以下の下衆であることを理解して……男は、小さく笑った。


「……は? 何笑ってんだ、状況わかってんのか?」

「いや、その。よかったなって思って」


 落ち着いた声からは気が触れたとも思えなくて、その場の誰もが困惑する。恐怖を感じていない素振りの男を訝しむ山賊に、男は言う。


「そういうことなら、別にこっちも遠慮する必要とかなさそうだなって」

「はぁ……?」


 言っていることがわからない。まさか何か抵抗を企んでいるのか、と山賊が身構えるが特に何かが起こるわけでもないし、後ろ手に縛られたままの男が行動を起こす様子もない。

 頭に布を巻いた男は少しだけ気まずそうに言う。


「……うーん、やっぱり漫画とかアニメみたいにはタイミングよくいかないな……そろそろだと思うんだけど」


 マンガ? アニメ?

 何の話だ、と山賊が口を開こうとした時だった。


 洞穴内に僅かに風が吹き込んだと思ったら、山賊が背を向けていた仲間達から「誰だテメェは!」という声が上がる。

 振り返った山賊が見たのは、巌のような大男のシルエット、そして武器を振りかぶった山賊仲間の一人がその態勢のまま嘘のように吹き飛んで岩壁に激突しずるずると崩れ落ちる姿だった。


「……大層な鍋で出迎えてもらって悪いが、悪趣味すぎて俺の口には合いそうにねェな」


 抜き身の大剣を肩に担いで、洞穴の出入り口を塞ぐように立つのは虎獣人の大男だった。

 山賊達が用意している火や鍋、鋸などの調理器具をじろりと一瞥して、虎は僅かに身を屈めて臨戦態勢を取る。


「なんだぁ? もう嗅ぎつけやがったか……!」

「正義の味方気取りかテメェ、出しゃばるんじゃねえ! お前の肉もいただいてやるよ!」


 見張りに立たせていた一人をやられたこともあって、自分達を誅しに来た追っ手を何人も返り討ちにしたこともある実力派の二人が先手必勝とばかりに虎に飛び掛かる。

 刃こぼれした斧と、切っ先の欠けた剣による一撃を前に、虎が動くことはなかった。

 代わりに、ぶわりと突風が洞穴を吹く。虎を挟むように襲い掛かった山賊たちが戸惑ったのは、吹き抜けた風に押し返され体勢を崩したからだ。


「ぐッ、うお、ッ……!」

「なっ、何だぁ?!」


 下から上に吹き上げた風圧は、大の男をよろめかせるほど強烈だった。見えない壁にぶつかったようによろめき、一歩下がって足を止める山賊達の隙を虎は見逃さない。

 虎はそのまま、肩に溜めていた大剣をコンパクトに横に振り抜く。両刃の剣の腹を叩きつけて、二人まとめて横に吹き飛ばすように薙ぎ払うと山賊達はふわりと宙に浮き、団子になったまま数メートルほど転がった後に壁に激突した。


「……軽いな、まともな飯食ってねェんじゃねェか?」


 振り抜いた剣を構え直しながら、虎が言う。そのまま煽り交じりの言葉とひと睨みで山賊達を牽制すると、得体の知れない風を操る虎を前に残った山賊も思わず後ずさる。

 うろたえる山賊達とは対照的に、助けが来たのかとうずくまった人質達が希望に顔を上げた。しかし、その中でも人質と相対していた主犯格の山賊は比較的冷静だった。

 それは事前にこの頭巾の男と話していたからかもしれない。口ぶりとタイミングから察するに、こいつが何らかの方法でこの場所を知らせ、手引きしたことに間違いはないはず。

 であればやることは単純だ、手駒の半数を一瞬で失いながら、鋸を持った男は人質の腕を引っ張り自分の前に立たせた。


「動くんじゃねえ! こいつがどうなってもいいのか?! てめぇらがグルだってのはわかってんだぜ!」


 頭巾の男を盾にしながら、ら錆びた鋸を後ろから喉元に突きつける。襲った馬車の乗客を生かしておいたのはもちろん食料として活用するためだが、こういう場合に人質として扱うことを想定していないわけはなかった。

 形勢逆転とばかりに山賊は正面から虎を睨みつけた。仲間の命を盾にすれば迂闊なことはできないだろうと目論んだ虎の顔は、しかし一切歪むことはなく、むしろ愉快そうにニヤニヤと口を開く。


「おぅ、随分似合ってるじゃねェか」

「……うるさいな、いつ来てくれるのかと思ってヒヤヒヤしたんだからなこっちは」

「そう言うならもっとわかりやすく手がかり残していけってンだ、これでも急いで探した方なんだからよォ」


 ぺらぺらと言葉を交わす男と虎が既知の仲であるのはもはや疑いようもなく、人質の中に紛れ込んでいたこの男が助けを呼んだに違いなかった。


 行く先々で人攫いを繰り返してきたため武力行使もお手の物という山賊達から見ても、目の前の虎は明らかな手練れだった。

 しかもどうやら風を操る魔術師ときた。どうにかしてこの場を切り抜けるためには人質達を盾にするしかない、と焦りながら山賊は威嚇の怒号を飛ばす。


「動くんじゃねえっつってんだろうが!! てめぇのお友達もろともこいつらを皆殺しにしてやってもいいんだぞ、えぇ?!」


 怒鳴る声に、山賊の背後で人質達が希望を持った目を再び怯えに曇らせる。

 しかし虎は依然余裕そうに構えたまま続けた。


「手ェ貸すか?」

「いらねえよ、当初の予定通りだ」

「そうか」


 平然と会話を続ける虎と自分の前の男には少しも怯えた様子がない。闖入者の虎と面識があるらしいこの男の命は一番人質として価値があるはずなのに、それが効いているようには見えない。

 もしかして自分が加害できないとでも思っているのか。舐めやがって、それならもういい。死ぬ一歩手前の傷を負えば考えも改まるだろう、と山賊は鋸を持つ手に力を入れた。

 その時だった。

 がつん、と自分の鼻に衝撃が走って、目の前に星が飛ぶ。


「ぁがッ……!」


 自分に背中を向けている男から伸び上がるような頭突きを食らいながら、しかし意識はしっかり鋸に向けられていた。

 その喉に当てがった鋸を引いて頸動脈ごとズタズタに裂いてやろうと腕に力を入れるのと同時に、男の体がすっと沈み込む。

 男の喉を滑るはずだった刃は顎を引きしゃがみ込んだことで空を切り、表面が凹凸したギザギザの鋸刃が頭に巻かれた頭巾に絡まってそれを剥ぎ取った。


 ばさり、と黒髪が露わになると、いつの間にか拘束を解いていた両手を床に突き、前に倒れ込みながら背後へ突き出すような蹴りを放つ。

 鳩尾を狙った蹴りを間一髪で避けながら、山賊はずきずきと痛んでくしゃみが出そうな鼻を抑えて鋸を黒髪の男へ……下位冒険者のスーヤに向けた。


「そうかそうか……俺らの飯の中に、ネズミが紛れ込んでやがったのか。汚えヤツらだ!」

「それ、悪いことしてる側が言うのか……?」

「飯の邪魔をするヤツぁ肉になって死んじまえって親父も言ってた! ぶっ殺してやらぁ!!」


 激昂した山賊が鋸を振り上げて襲い掛かった。怒りのままに袈裟に振り下ろされた一撃をギリギリまで引き付けてから躱すと、スーヤは視界の端の虎を呼ぶ。


「オルド!」

「わかっ……てるっつゥのっ、ほらよ!」


 まだ動ける山賊の一人に前蹴りを放った虎が、隙を見て背中に渡していた剣を脱ぎ捨てて鞘ごと投げ渡す。

 横に薙ぐ一撃を今度は背後に退がって避けたスーヤは、相手から目を逸らさないままそれを受け取り、実に手慣れた所作で鞘から抜いた剣を構えた。


「さぁて、冒険者らしく山賊退治と行こうか」


 殺すか殺されるかの瀬戸際にあってなお、その声はいつになく楽しげであった。


本日はここまでとなります、次回更新はちょっと先の6/25です!

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