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ep157.食料人質


 森の中の洞穴は、黴と汗のにおいに満ちていた。

 雨風をしのぐのがやっとという浅い横穴の奥で後ろ手に縛られたまま膝を突かされているのは人質でもあり、彼らの食糧でもあった。

 年の離れた姉弟や、頭に頭巾を巻いた旅人風の男に老夫婦、恰幅の良い男など顔ぶれに統一性はなく、それもそのはずで彼らは森を抜ける同じ馬車に乗り合わせただけの関係である。

 連絡便に乗って森を抜けた先の町へ向かうはずだった彼らは、その道中を山賊に襲われ彼らの拠点まで連行されてしまったのだ。


 この辺りに山賊が出るという話なんて聞いたことないのに、と震えている老夫婦の認識は正しい。

 祝勝会のつもりか、六人ほどで焚火を囲んで酒を飲んでいる男達は金属部の錆びた革鎧や毛皮の腰巻などの装備に武器を持ったまま大声で笑いあっていた。


「わ……私たちをどうするつもりだ! 金や荷物は全て引き渡したはずだ、これ以上私たちに何をしろと言うのだ!」


 恰幅のいい男が、視線の先で酒を飲み交わす山賊達に言う。御者でもあり、連絡路の管理を任されている商会ギルドの面子としてせめて乗客を守ろうという意思が男からは感じられた。

 あるいは荷車を引く愛馬を目の前で惨殺された恨みもあるのだろう、その語気は強い。しかし、山賊のうち錆びた剣を持った一人が下卑た笑いを浮かべながら人質の前まで歩み寄ると、男の顔はウッと恐怖に歪む。


「何をしろって、決まってんだろそんなもん」

「な、なにを……」

「そう焦るなって、すぐにわかる。何せ、俺たちゃ昨日から腹ベコなもんでな。今は誰にしようかって相談中だ」


 それを聞いて、恰幅のいい男の顔からサッと血の気が引く。まさかこいつらは人でありながら人を食う気か、というおぞましい想像がまったくの妄想であるとはその場の誰もが思えなかった。

 老婆は沈痛な表情を浮かべ、その夫が妻を労わるように目を向けていた。山賊の男はゆっくりと体の向きを変える。


「女はしばらく可愛がってやるからなぁ、後回しってことになったぜ。よかったなぁネエちゃん」


 しゃがみ込んだ山賊が、捕らえられて膝を突いている金髪の女性の頬を撫でる。饐えた垢のにおいに負けじとキッと睨むが、山賊はへらへらと笑って受け流した。


「そうなると一番のご馳走はそこのガキってことになるんだよなぁ。若い肉は柔らかくて高値がつくって親父も言ってたもんな」

「ひっ……!」

「! やめて! 弟には手を出さないで……!」


 女性の隣で縛られた男児に山賊が目を向けた。まだ十歳かそこらだろうという金髪の弟がそのひと睨みで竦みあがるのを庇い、姉が悲痛な声を上げる。

 それを歯牙にもかけない態度で横目に見ながら、山賊は愉快でたまらないという笑みを浮かべる。


「どうすっかなぁ~、お前のお姉ちゃんが俺たちの機嫌を取ってくれるってんなら食うのは後にしてやってもいいけど……」

「し……します、何でもしますから……だから、弟だけは見逃してください……!」


 ぎゃはは、と山賊の哄笑と対照的に、人質たちの表情はひどいものだった。

 泣き出した老夫婦に、恐怖に涙を溜めて硬直している弟と反抗できずに従順に首を垂れる姉、恰幅の良い御者の男は汗をかいて何かないかと目を回している。

 暴力をチラつかせた人非人の行いに抗えるものはなく、屠殺を待つ家畜のような面持ちでその場の誰もが項垂れていた。


「よぉし、じゃあこうするか。姉ちゃん、あんたが俺たちに食べさせたいヤツを選んでくれよ。そしたら俺たちゃ今日のとこは大人しくそいつを食うからよぉ」

「え……」


 食うというのが何か別の意味であることを期待するまでもないのは、後ろに控えながら酒を飲んでいる山賊達が血走った目で人質達を眺めているからだ。

 その目はまるで餌をお預けされている動物のように鬼気迫るものがあって、傍に大きな鍋や刃物があるとなればなおさらというものだった。


「あ……え、っ……」


 この中の誰かを? と女は反射的に横に並んだ人質達を見る。老夫婦は目が合うと怯えながら首を振り、御者の男はしばらく何かを言おうとして口をぱくぱくさせたと思ったらそのまま俯いてしまった。

 弟は目に涙を溜めながら、ただ自分たちの身に降りかかる恐怖に怯えている。

 当然だが、この姉弟はここの誰と関係があるわけでもない。

 たまたま馬車に乗り合わせただけの他人だ。そうわかっていながらも、間接的に殺人に手を貸すような選択を軽々しく行えないのは人として当然の反応だった。

 選べない、選べるわけがない。悲痛に染まる姉の顔に、山賊の男はニタニタと卑劣な笑みを向ける。

 窮する女の横で、こそりと耳打ちする声があった。


「俺を」

「えっ……?」

「俺を指名してください」


 滑らかなガオリア語で囁かれた言葉に女が目を向けると、ぐるぐると布を巻いて頭巾にした男と目が合った。

 薄暗い中でまっすぐこちらを見ている瞳は、間違いなく自分を指名しろと言っている。女がまだ何か戸惑っているのを見咎めて、男は「いいから」とだけ言った。


「……こ、この人……を」

「……へぇ、勇気があるじゃねぇか。まあでもいい選択だな、俺も脂身より赤身肉の気分だったからよぉ」


 山賊は不満そうに男を眺めた後で、まるで女の判断を褒めるような声を上げる。自分たちと同じ考えだったと示す山賊は、女の苦渋の決断を歓迎するような屈辱的なトーンだった。


「よぉし、そんじゃぁ鍋の準備といくか。その勇気を称えて、おいしく食ってやるからな」


 自分の優位を確かめるように、縛られた男の四肢をじろじろと見る山賊がじゅるりと涎を溢れさせると、すっくと立ち上がって踵を返す。

 捕らえた人質達が争ったり怯えたりするさまを眺めていたかった山賊としては、自ら犠牲になると立候補してその場を収めた男の態度は鼻持ちならないものだ。

 しかし、老夫婦の痩せた肉や脂身の多い御者の肉よりはしっかりした体つきの青年の肉のほうが食指をそそるのもまた事実で、そのチョイスに溜飲を下げて準備に取り掛かるのだった。


 一方で、女は今のうちに縄を解けるかと身じろぐが、ぎっちりと手を縛る縄が解けるわけもない。

 それに拘束を解いたとしてもこの洞穴の出口はまさに今山賊達が屯って火を焚いている一か所しかなく、逃げるのは困難であるようだった。

 女は苦しい顔で隣を見た。頭に布を巻いた男と目が合って、にこりと微笑まれる。


「あの……わ、わたしっ、あなたを……」

「謝らないでください、いいんです。今は自分たちが助かることだけ考えてください」


 男の声はよく通り、落ち着いていた。これから殺され食されるというのに微塵も慌てた様子のない男は、にっこりと微笑みながら人質達に聞こえるように言う。


「大丈夫、すぐ助けが来ますよ」


 どうしてそんな顔で何の根拠もないことを言えるのか。勇気づけるためにもっともらしいことを言っているだけではないのか。

 助けなど来るわけがない。

 その場の誰しもがそう思ったが、心の奥底で誰もが期待しているそれを否定することは誰にもできなかった。


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