Exep8.美の毒婦-End
アフロディーテの遣いとしてアパシガイアに呼ばれた有馬光羽が、悪事の限りを尽くしてきた非行少女であることを知る者は多くない。
一般的には勤勉で真面目な女生徒として知られていた彼女は、齢十八にして売春から違法薬物まで一通りを経験していた。
金銭を対価に体を許し、時に男達に年端も行かぬ女学生を斡旋する窓口として懐を蓄えていた光羽が美の女神の遣いとして呼ばれたのは光羽本人にも失笑ものだった。
自分などにそんな清そうなお役目を与えていいのかと肩を竦める光羽だが、女神アフロディーテは光羽の素行などには目もくれなかっ。
ただその美貌についてのみ評価する女神の尊大な物言いによれば強欲も色欲も傲慢も、すべての罪は美しいだけで許されるとのことで、そういう意味では美の女神らしいなと光羽は思った。
そして、集められた神の遣いとやらの中で光羽が誰よりも男の扱いに長けているのも事実だった。
故に、湖畔の町に送られた光羽は真っ先に路上で言葉もわからぬ男を誑かし、自ら娼館の門を叩く。
言葉も通じず、読み書きもできない黒髪の見目麗しい少女に奇異の目を向けるものは少なくなかったが、そもそもで読み書きのできる娼婦というのも稀なので誰も何も気にしなかった。
職を求め、ここで働きたいと身振り手振りで訴える少女を採った娼館の主人には見る目があった。今や光羽は西のパルテイユ皇国からの客人や、旅立つ冒険者にも噂されるほどの人気の娼婦となっている。その常連客には各地の商人ギルドの重役や、お忍びで夜遊びに来た貴族なども含まれていた。
男を悦ばせる技術に長けている光羽はその才をこの世界でも遺憾なく発揮し居場所を得ていった。人間以外の、動物の見た目をした獣人には戸惑ったが、所詮男は男に過ぎない。
見た目の異質さに慣れてしまえば、それに人語を解し知性のあるように振舞っている獣人どもが自分相手に鼻息荒く動物さながらに盛っている姿を見るのはそれなりに愉快だった。
男と肌を重ねる中で、この世界での言葉も片言程度には話せるようになった光羽は、自分がどうやって死んだのかも覚えていなかった。
最後に思い出せる記憶は、駅について家までの帰り道をながらスマホで歩いていたことだけだ。猫の動画を見ていた気がする。
それで気が付いたら、ヴェールで顔を隠した豊満な女神の前に立っていた。
犯人の顔を見ることなく即死した光羽は、その下手人について思い当たる節が多すぎた。
バイトだと偽ってレイプ魔達に女の子を流し、ストレスとPTSDで髪が禿げたアイツか、あるいは金払いのいいパパを欲していたので女の子を薬漬けにするのが趣味な六本木住みの親父を紹介してやったアイツか。
しかしどれもこれも、自分から紹介して欲しいと言ってきたから紹介してやったというのに、一通りを経験した彼女らは仲介料を受け取った光羽に決まって恨み節を口にするのだ。
光羽はその気のない女子に無理強いはしない。警察に相談され、すぐに足がついてしまうからだ。だが自分から金が欲しいと望んで光羽に相談してくる女は警察に行けば自分も捕まるという罪の意識から泣き寝入りするケースが多い。
もっともそうならないよう手を尽くしてくれる顧客ばかり光羽は厳選しているのだが、ともかく。
まさかその復讐のために殺しまでするのかと思うと極めて逆恨み甚だしいなと思わなくもないが、今すぐ生き返りたいほど生に執着があるわけでもない。
死んでしまった現実をすんなり受け入れた光羽の倫理通念はとっくに歪みきっており、神の遣いとして他人を殺すことに抵抗はなかった。
光羽が売春行為やその斡旋業などの犯罪に手を染めてきたのはひとえに金のためだ。
人間なんてよくわからない、考えていることや大事にするものなんて人によって違うのは当然で、光羽は昔から自分以外の他人を気持ちの悪いものにしか見えなかった。
だからこそ、ベッドの上では相手は余計なことを考えることもない。性欲に身を任せる相手の姿は欲望や本能に忠実で、それなら光羽も理解できた。
そんな他人と性欲以外の価値観を共有しようと思うのなら、金銭しか光羽には思いつかなかった。
金をたくさん持っている者は偉く、誰もが憧れる存在だ。
皆が欲しがるものをたくさん持っていたいと思うことの何が悪いのか。
そう思っていた光羽がこの殺し合いに乗ったのは、神の遣いとして生き残った際に与えられる褒美とやらは、神ですら羨み、欲するものだと自分を迎えたアフロディーテは語っていたからだ。
光羽は金銭こそが至上の価値だと思っていたが、それを超えるものがあるというのなら。
それが何なのか、見てみたい。
たったそれだけのために一人の人間を手にかけた光羽は、拾い上げた鎌をまじまじと見つめていた。
刃先が血や脂に汚れた様子もなく、つややかな銀刃を小屋の中で光らせているそれは元は芽美の持ち物だ。
あの女、女が男に体を売ることを汚いもののように言いやがって。それでしか金を稼げない女を無自覚に下に見るタイプだと光羽は考えるが、今となっては答え合わせのしようもないことだ。
鎌に意識を戻す。最初はスコップの形をしていたはず、何か変形するボタンでもあるのだろうか。
光羽がその鎌を手の中に持ったまま、最初のスコップの形を思い出すとぱっと光り出す。それから頭の中で思い描いていた小さいスコップの形になって、これは便利なものをもらったなとほくそ笑んだ。
芽美や光羽がやってきたフェニリア大陸で使われている公用語、ガオリア語を最初から理解できるようなスキルを芽美が女神デメテルから与えられていた反面、光羽が女神アフロディーテより賜ったものはただ一つ、『魅了』だけだった。
生来から外見の良い光羽は、今となっては人を引き寄せてやまぬ魔性の魅力を持ち合わせている。
最後まで疑うことなく芽美が逝ったのは、その姿を目にした者の庇護欲を掻き立て、無条件に好意的に感じてしまう認識阻害魔法を光羽が常時発しているからだ。
元から人畜無害に振る舞うことに慣れている光羽は、最初から芽美のことは殺すつもりだった。
追いかけて、太腿に括り付けたナイフで刺すつもりだったが相手が得体の知れない農具を向けてきたので、懐柔策に切り替えようと考え泣き落としにかかったものの、まさかこうまでうまくいくとは思わなかった。
この事に関して、光羽は少し反省した。魅了とかいう形の無い、ワケのわからない能力のみを与えられているのでまさか武器代わりになるものを携帯しているとは想像できなかったのだ。
それを考えると、警戒された状態で仕掛けるのは今後は控えた方がよさそうだ。
反面、懐に入りさえしてしまえばこちらのものだ。
困ったときは泣き落としに頼るのもいいかもしれない、と光羽は血に濡れた衣服の腰にスコップを差すと、ローブで体を隠すように羽織りなおした。
それから鬱陶しい涙をもう一度拭った。はっきり言って泣こうと思えばいつでも泣ける。日本にいた頃もSっ気の強い相手とはベッドの上でわざとらしく泣いてやったりして相手を喜ばせたもので、相手の情に訴えるなどそれに比べればはるかに容易いことだった。
さて、北東と言っていたか。
光羽は今間借りしている娼館を出て、そこに拠点を移すつもりだった。
収入のため、定期的に出勤するようにすればオーナー達も納得してくれることだろう。何曜日か、あるいは何日おきに出勤するかを今から考えると、いよいよバイトのシフトみたいだなと思った。
しかしその前に。
どこかで血を洗い流す必要があるな、と思いながら光羽は小屋を後にする。
横たわる少女の骸が発見されたのは、その涙もとっくに乾いたころだった。
本日はここまでとなります、次回更新は4/11です。




