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Exep4.黒い太陽-4

 それからどこをどう彷徨い歩いたのかはもはや桐生本人にもわからない。

 過激になってくる追手や、殺気立った兵士達の目を掻い潜るためには容赦なく焼き殺す必要があった。そのたびに、自分が何をしているのかというのは更に曖昧になって現実味を欠いて感じられる。

 街中であろうと容赦なく矢を射かけられ、武器を振り上げて血走った眼を向けられるたびに強く拒絶されていると感じる。

 この世の誰にも必要とされていない、それどころか命を狙われていると錯覚するほどの敵意に晒され続けてなお桐生は生きていた。

 しかし過度なストレスで血色の良かった桐生の肌は荒れ、頬はこけ、十代後半にして髪には白髪が混じり始めている。

 それどころか自分を殺そうとしていた兵士達を焼き殺したにおいが鼻に残って離れない。

 あれだけ食べたいと思っていた肉料理も、今はとてもじゃないが食べられそうになかった。


 その辺に干してあった布切れで身を隠し、押し通るように街を出た。

 森の中を当てもなく歩き、口が渋くなる木の実を齧りながら川の水を飲み腹を下した。

 泥と腐葉土まみれになりながらのたうち回り、気が遠くなるような痛みに意識すら遠くなった桐生が次に目を覚ました時は、ベッドの中にいた。


「……あれ……?」


 思わず身構えるが追手の気配はない。天蓋付きのベッドは広く、庶民向けのものでないことは明らかだ。

 壁一面に張られて採光の良い窓ガラスからは今が昼であることがわかる。灯りに誘われる虫のように桐生はベッドから抜け出して窓際に立った。


 周囲をぐるりと建造物に囲まれた中庭の様子が窓から窺えた。地上まではだいぶ高さがあるので、二階か三階かの居室にいるのだろう。

 ここは屋敷か、それとも城か。いずれにしろどうして自分がこんなところにいるのかとも思ったが、疲弊しきった心はもう何が起きても動かないように感じた。

 そう思った桐生は、しかし眼下の中庭に現れた侍女めいた人物の一団を見て、わずかに目を見開いた。


「……ヒト……じゃないのか……?」


 上半身が人間の形をしていながら、下半身がそのまま大蛇になったような異形の者は、魔物と呼ぶに相応しく悍ましい見た目をしていた。

 それだけでなく、よく目を凝らせば中庭に生えている木だと思っていたものには顔があり、鳥だと思っていたものは口から緑色の霧を燻らせている。

 爽やかな新緑の景色に溶け込んだ異形達は、自然にそこに暮らしていた。


 見渡せどそれ以上中庭に人の形をした何かが現れることはなく、ストレスで起伏の少なくなった桐生の心を混乱が占めたころに背後からかけられる声があった。


「お目覚めですか、我らが王」


 思わず振り向いた。それと同時に炎を巡らせる。扱い慣れない炎も今となっては自在に扱えるようだった。

 自分の身の回りを幕のように漂わせた炎から飛んだ火の粉がベッドや床をわずかに焼いた。


「いけません、家具が燃えてしまいますので……ご安心ください、我らは貴方様に仇なす者ではありません」


 天蓋、そして絨毯に炎が燃え移ろうという時だった。一陣の風が吹いて、桐生の炎が立ちどころに勢いを失くす。

 もう一度炎を起こそうと相手を睨みつけて……桐生はまたもや驚いた。


「お迎えが遅くなり申し訳ございません。人の里には我らも手出しが難しかったもので……しかしこうしてお目見えすることが叶い幸甚の至りというものです。お体の具合はいかがですか?」


 白い襟付きのシャツに黒い燕尾服、そして質の良い革靴に身を包んだ執事然としたその男は……黒い山羊の頭をしていたからだ。

 ぐるりと円を描いた角、長い鼻先に大きい鼻、そして何よりも特徴的なのが……本来二つあるべき眼が、一つしかないことだった。

 その悍ましい見た目に思わず手先が強張る。ハロウィンの仮装でもこんな化け物みたことない。命を狙われること以上に、根源的とも言える精神的な恐怖を覚える桐生は、恭しく一礼する単眼の黒山羊の所作を黙って見ていた。


「色々と疑問がお有りでしょうが……まずはこちらへ、湯浴みのご用意ができておりますので。その後、食事といたしましょう」


 ここにきてようやく気付いたが、脳に響いた日本語と耳で聴いている音が嚙み合っていない。

 聞こえている言語が何を喋っているのかはわからないのに意味は理解できる。酷く奇妙に思えて困惑したが、紳士的な物言いをして頭を下げる黒山羊からは今のところ敵意は感じられない。

 そしてそれ以上に、湯浴みという風呂の誘いは抗しがたい魅力があった。森の中を彷徨い続けていた自分の体からは、未だに苔や腐った土のようなひどいにおいが漂っている。

 ひとまずは彼の言うとおりにしてみてもいいかもしれない。

 仮にそれが罠だとしても、どう切り抜けるかなんてわかりきっているはずなのだから。

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