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Exep3.黒い太陽-3

 逃げた女が何かを叫んだ時点で嫌な予感がした。

 通りを歩いていた人の目がぎろりと桐生に向けられて、その視線に込められた怯えや恐怖、義憤の理由など知る由もない桐生は、武器を構えて殺気立つ兵士達が路地の向こうに見えるや否や反射的に駆け出していた。

 背後から響く怒号と足音に、どうして、と逃げ回りながら思う桐生が、自分が何をしたのかと理解しているわけもなかった。

 この世界で魔法を使ってはいけなかったのか、と思うのがやっとで、魔法の格付けや扱いについてなど知る由もない。

 ただ桐生は、自分が好いた女の顔をした他人に、全力で拒絶されたことに酷くショックを受けていた。


 門を抜けようと思っても、街に入ってきたときには見なかった数の兵士達が怒号を飛ばしながら周囲を見回していて、自分を探していることは明らかだった。


 道も言葉もわからぬ異国の地を半狂乱になって逃げ回る桐生が如何に優れたアスリートだとしても限界があった。

 街を取り囲む壁に行く手を阻まれ、袋小路に追い込まれた桐生は道を引き返そうと踵を返すが、すぐ後を追って槍や盾を構えた前時代的な兵士たちがなだれ込んでくる。

 周囲を取り囲まれてスタジアムの控室ほどの広さしかないそのスペースは、すぐに桐生を睨み槍の穂先を突き付ける兵士達でいっぱいになった。


「は……はは、なんスか皆さん……俺のファン……とかってワケじゃないですよね……?」


 自分に向けられる殺気に思わず後ずさると、背中が土壁にぶつかる。肩で息をする桐生の頭の中では答えの出ない疑問が堂々巡りをしていて、許容量を超えたようにズキズキと痛んでいた。


 先頭で盾を構えて槍を構える兵士は犬が二足歩行しているような異形をしていたが、マズルを開いて全く聞きなれない言語で怒号を飛ばす。


『止まれ! 魔法を使おうとしたら殺す、金の魔術師として身分を証明できるものを出しなさい!!』

「な……なんつってるかわかんねぇっスよ……なんなんだよ、もう……!」


 一、二歩踏み込めばそのまま突き殺せる位置で兵士達は桐生を取り囲み何事かを叫んでいる。その殺気といい、明らかに緊張した様子にただ事ではないのだなと桐生も理解して思わず両手を挙げて降伏の意思を示す。

 それでも桐生が両手を挙げる仕草をするだけで、今にも突き殺さんばかりに槍先が揺れて異形交じりの兵士達が内臓を震えさせるような怒号を上げる。

 一流のアスリートである桐生とはいえ、これだけの人数から敵意を向けられた経験はない。況や凶器も然りだ。


『なぜ金魔術師がこの街にいる?! 通したのは誰だ?!』

『この場で殺せ!! 連中は人に害を成す悪魔だ!!』

『殺すんじゃない! 生け捕りにするんだ、お前! 身分を証明できるものはないのか?!』

「な……なんなんだよ……俺、何もしてねえだろ……!!」


 どうして俺がこんな目に、誰か助けてくれ。恐慌状態にある兵士達はどんどんと殺気づいて、互いに言い争うようにまくし立てている。

 愛のある両親の下に生まれ、大勢の祝福を受け、観衆を魅了してきた才能あるサッカー少年でしかない桐生に、筋骨隆々とした兵士たちに凶器を向けられる恐怖に耐えられるわけがなかった。

 俺はただ普通に暮らしていただけなのに。なんで、どうして、意味が分からない、家に帰してくれ。

 感情が溢れ出す。


「う、うぅ……! や、やめてくれ……!!」


 激情が騒ぎ出す。体の奥からふつふつとしたパニックが沸き起こる。

 今すぐ叫び出したい。もう何が何だかわからない。

 誰か助けてくれ、俺はただ、家に帰りたいだけなのに!


「やっ……やめろおぉぉおッ!!」


 瞬間。

 視界が赤で染まる。瞬きの間に周囲を包む灼熱の炎は明らかに桐生の身をも飲み込んでいた。

 まるでその場の空気が炎に置換されたように、その場にある万物が炎で包まれる。

 炎は皮膚を焼き、眼球を焼き、喉を焼き、肺を焦がす。目の前が真っ赤になった桐生が慟哭し続ける限り、その炎は続いた。


「ッ……あっ……え……」


 鼻を衝く刺激臭。ムッとした錆のにおい。唇や肌にまとわりついてベタつく何か。

 もはや何人いたのかもわからない。後に残っているのは、人型に焼け焦げた黒い塊がその場に残されていた。

 呆然としていた桐生のクレバーな頭脳は即座に理解する。

 自分は炎を操る力を手に入れた。そして、自分を取り囲んでいたはずの兵士達は消え、ここには何かが大量に焼け焦げた跡が残っている。

 では、大気中に舞っているこの肉の焼けるにおいは。


「ッ……ヴ、おえッ……!!!!」


 違う、違う、違う。

 俺じゃない、やってない、違う、こんなはずじゃない。

 押し寄せる罪の意識、人の命を奪った後悔、自分が自分じゃなくなったような恐怖に、桐生はその場に蹲って嘔吐する。

 飲まず食わずだった胃からは酸っぱいものがこみ上げて、鼻にツンと沁みる痛みがこれを現実だと訴えている。


 これを正当防衛だと割り切れるほど異常ではない桐生は、その正常さ故に慟哭する。もう吐くものが何もない胃から、ぶすぶすと炭化したそれを見るたびにこみ上げてくるものをげほげほと吐き出し続けた。


『……あ……嘘……』


 そしてそこに現れたのは……よく知った顔の女だった。


「あ……違っ……お、俺は……ッ」


 蹲っている桐生は涙と鼻水、そして唾液でぐちゃぐちゃになった顔を上げる。それだけでも女はびくりと身を強張らせて怯えるが、足元に転がっている焦げた遺体の傍にしゃがみ込む。


『フレディ……ヒューゴ……みんな……そんな……わ、わたしが……わたしがみんなを呼んだから……?』


 まだ熱を残しているその体に触れて、女は呆然と呟いている。桐生もまた、半狂乱になって叫ぶ。


「違うゥッ!! おッ俺はァ! あんなッ、武器を向けられたから!! 仕方なくッ、やめろって言っただけで、殺すつもりなんかぁ……なかったのにっ……!!」


 涙を流しながら弁明する桐生に、女は怯えながらも、しかし強い軽蔑の目つきを向ける。

 どうして、どうしてどうしてどうして。

 そんな顔をするのか。俺は、キミのためにがんばってきたのに、キミに喜んでほしかっただけなのに。


 虫のように地べたに蹲っている桐生に、強い目つきを向けた女はそのまま上体を起こす。

 柄が焼け焦げて赤く熱された金属部分だけが残った槍の穂先を素手で掴むと、女は手を焼きながら絶望に満ちた顔で桐生を睨む。


『悪魔っ……あんたなんかに、街のみんなを殺させはしない……!』


 よろよろと立ち上がった女が、じゅうじゅうと手を焼く切っ先を桐生に振り上げる。

 そのまま振り下ろせば脳天を貫くだろうことは明らかだ。そして言葉もわからない上に錯乱している桐生は、どうして愛しの彼女が自分にそんな目を向けて武器を振り下ろそうとしているのかも理解できない。


「あ……あっ……」


 見上げた空に太陽が輝いている。槍の切っ先がその中にあって、愛しのマネージャーの顔は殺意と敵意に歪んでいて。

 どうして俺が殺されなくてはいけないんだ。身を呈して庇ったのに。

 そうだ、思えば。


 お前を庇ったから、俺はこんな目に遭っているんだ。

 じゃあ、お前が死ねばよかったのに。


 ごっ、と一瞬だけ視界が赤く染まる。

 地面から噴き上がるような火柱が上がって、上体を起こした桐生はもはや顔も判別できなくなったそれを抱き留める。

 炭化した肉に囲まれた桐生はしばらくそのまま放心していたが、やがて追手の気配を鋭敏に感じ取ると、来た道を戻るようにふらふらとその場を後にした。


本日はここまでとなります、次回更新は5/28です。

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