ep155.道の導べ
目標:冒険者試験に合格しろ
「あら! スーヤ様、手続きはお済みで?」
ビエーゼに見送られながら地下から上がってきた俺は、ギルド内を見回すように灰色の髪を揺らすサラに出迎えられた。
俺を待っていたのか、と思ったが引き続ききょろきょろと周囲に視線を配っているあたり目当ては俺ではないらしい。
「えぇ、おかげさまで無事に。……ずっとギルドにいたんですか?」
「いいえ、ゼレルモ様を探しに先程来たところですわ。見かけてませんこと?」
どういうことだ? と疑問符を浮かべる俺に、サラがむくれた様子で説明してくれたが、どうやら今晩の宿を決めるときに揉めたようで、それで離別したとのことだった。
「わたくし達はこれから仲間としてやっていくのですから、親睦を深めるべきだと思いますの。それなにのゼレルモ様ったら、『同行はするが馴れ合うつもりはない』って言って、あんなに大きなお耳をなさってるくせに聞く耳もなくって……」
なるほど、それで単独行動してるあのハイエナを探しているということか。というか、結局同行することには同意したんだなと俺がいない間にどんなやり取りが交わされていたのかと少しだけ気になった。
そういうことなら、と俺は首を振って答える。
「残念ながら、俺も今手続ぎを終えて出てきたばかりなので……ちょっとわからないですね」
「そうですわよね……あっ、ということはスーヤ様もあの不思議な石板に触りまして?」
「はい、ビエーゼさんに連れられて触りましたよ。……サラさんも?」
まさか同様の現象が、と期待した俺を他所に、サラは誇らしそうに答える。
「えぇ、わたくしも触りましたとも! 誰がどう見ても立派な貴族のわたくしが!」
「は、はぁ……」
何をそんな喜んでいるのかというのは俺にはわからなくて、少し気圧されながら曖昧な返事をする。
「しかも、まさかビエーゼ様とも再会できるとは思いませんでしたわ! 実はわたくしが仲間を集めようと思ったのはビエーゼ様から助言いただいたからですのよ」
サラの生家であるグレアデン家と所縁あるビエーゼは、その娘であるサラを特別目にかけているようだった。
なので個人的にアドバイスをしたのだろうが、それを聞き入れて忠実に守ってるのを見る限りお互いの仲はそこそこ良好らしい。
「本当ならスーヤ様にもご同行いただきたかったのですが……すでに組まれているなら、仕方ないですわね」
「残念ながら……お誘いいただいたのに、すいません」
「あら、こちらこそ失礼いたしましたわ。謝っていただきたかったわけではありませんのよ」
自分が残念そうなトーンで口にしたことを恥じるようにサラは頭を下げる。
それから切り替えるように努めて明るく切り出した。
「大丈夫ですわ、同じ冒険者ならどこかで会うこともありましょう! 炎のように燃え広がる名声を聞けば離れていてもわたくしの活躍がきっと伝わるはずですわ!」
えへんと自信満々に言うサラに俺は呆気にとられるが、すぐに力強くうなずき返した。
「はい、楽しみにしてます。俺だって、下位冒険者で終わるつもりはありません、ひとまずの目標は中位冒険者ですから」
「まあ、スーヤ様も? 実はわたくしもですのよ」
「えっ……そうなんですか?」
「えぇ、貴族たるもの常に上の格を目指していかなければなりませんもの! うふふ、一緒に上がれればいいですわね」
華やかに笑うサラが自分と同じ中位冒険者を目指しているとは知らなくて、俺は少しばかり驚く。
すでに銀の魔術師として魔術師ギルドにも認められているサラなら、すぐに昇格できそうな気もする。そこでふと、ビエーゼとの会話を思い出した。
「サラさんは……すでに魔術師ギルドの一員なんですよね?」
「? ええ、そうですわ」
「それなら……その、失礼かもしれないんですけど、どうして冒険者を目指してるんですか?」
口にしてみると思ったより踏み入ったことを聞いていることを自覚して、俺は言い訳するように続ける。
「ほら、サラさんほどの魔法使いなら冒険者にこだわらなくても魔術師として大成できるんじゃないかなって思って……魔術師の方がいろいろと仕事が多いらしいじゃないですか?」
「……ふふ、魔術師としてのお仕事も大変なことには変わりありませんのよ」
えっ、そうなんだ、というリアクションを取る俺に、サラは壁際に立ったまま一瞥を向ける。
「でも、そうですわね。魔術師として研究したり、己の炎を生かして高めるお仕事でもきっとわたくしは名を残すことでしょうね。それも、危険の伴わない安全な職場で」
自信満々に言うが、実際あの炎はかなりのポテンシャルを秘めているように感じた。俺はそれを茶化すことなく頷いて返す。
「その、俺の相棒も魔法使えるのに冒険者やってるようなやつで……だから別におかしいこととは思わないんですけど、サラさんはなんでなのかなって思いまして」
「ええ、わたくしも同じ立場でしたら、わたくしに対して同じことを思うでしょうね。それも、魔法が使える上に貴族の生まれともなれば、ゼレルモ様のような反応が一般的というものでしょう」
だったらどうして、と問いただしたくなるのをぐっと堪えた。しかし顔には出てしまっていたのか、サラは腕を組んでギルドの片隅の壁に凭れると、困ったように笑いながら語り始める。
「……あまり、気持ちのいい話ではありませんわよ?」
それからサラはかいつまみながら語ってくれた。
公爵領の伯爵令嬢だったサラは、その生まれと見た目から周囲からは冷遇されていたという。
後ろ指をさされる自分を庇って守ってくれた父と母の役に立つために、魔法と知識を蓄える日々を過ごしていた。
それでもグレアデン領内に職を得れるような機会には恵まれず、自分の未来はそれこそ修道女くらいになるしかなかった。そんな時だった。
テレビもインターネットもスマートフォンもない中世ファンタジー感溢れるこの世界では、噂話は数少ない娯楽の一つだということを俺は知っている。
村人から貴族に至るまでみんなが大好きなそれを、父と母が夜半過ぎに話しているのが聞こえたそうだ。
それは、領地の相続権もなく、修道士や司祭を目指すべく宗教や神学を学ばされていたカーター公爵の次男坊が、冒険者になると言って身分を捨てて家出したという話だった。
今ではどこで何をやっているかもわからないその放蕩息子に、貴族の身分を捨ててまで自由になりたいものかねと呆れ顔で語る父の話は、サラの心にすっとしみ込んでいくようだった。
グレアデン伯爵家にとって、カーター公爵家はその上位に当たる爵位の血筋だ。この時代の爵位とは、厳密には違うが現代日本で言うところの町長、市長、区長、県長……のようなものだ。
この肩書きを至上主義としたものが貴族社会で、つまりはその話は親交のあった上司の息子が家出をした、という類のニュースなのだろう。
サラはその次男とも顔を合わせたことがあるという。
幼少の頃の話なので直接何を話したかというのは覚えてないが、間違いなく交流があった。
野心や欲望に溢れた貴族と違って、厭世的で物憂げなあの横顔は今でもはっきりと思い出せると語るサラの口ぶりはどこか熱っぽい。
そして、その彼が冒険者になるために血筋も地位も家族も、そして押し付けられる自分の運命を全て捨てて家を出たというニュースは七歳かそこらの少女には衝撃的だったという。
貴族の、それも女の身で冒険者としての生活を選ぶことがこの世界ではどれだけ奇特なことかを物語るように、身の上を語る女の顔が僅かに陰る。
それでも、サラは自分で選んだのだ。
近い将来。自分がやるべきことを見出せず、家の恥になるようならいっそ外に出よう、と。
狭い領地の噂の的になり、隠れるように神に仕えて祈って生きるくらいなら、自らの手と足と炎で自分も運命を切り開いて生きてやる。
そう心に決めたサラは、家人の目を盗んで特訓を重ね、今日に至ったのだった。
「当時のわたくしはただ家の名を汚さぬよう、気遣ってくれる両親の邪魔にならぬようにとだけ考えて生きていた陰気な女でしたわ。だからこそ、それらを自ら投げ捨てて自由を選んだという話は遠い世界での出来事のようで……それでも、なぜか他人事とは思えなかったのです」
「それで、サラさんも……?」
「ふふ、でもお父様とお母様に嫌気が差したわけではありませんのよ? その公子様がどうかはわかりませんが、この髪と見た目のために塞ぎこみがちだったわたくしにもお父様とお母様はよくしてくださいましたから。高価な本を与えてくれたり、家族の一員として同じように接してくれて……ですから、それを裏切ってしまうようで少し申し訳なくもありましたわ。なんて親不孝者なんだろうって」
「……でも、冒険者になることを選んだと」
家庭のことをずけずけと尋ねるほど肝が据わっていない俺が聞いてみると、サラは恥ずかしそうに言葉を引き取る。
「お恥ずかしながら、その通りですわ。……ですが、わたくしが冒険者になると決めたのは家名をこの大陸に轟かせるというわたくしにしかできない大義のため……というのはもちろん、実は冒険者を続けていればあの方に会えるのでは、という思いもありますの」
「あの方って……その、家出した貴族の次男とかっていう」
こっくりと頷いたサラは、そのまま灰色の巻き髪を揺らして足元に視線を落とす。
「お父様やお母様、そして色んな方が言う通り冒険者稼業というものは楽ではないのでしょう。世間知らずなわたくしに務まるようなものでもないと理解もしておりますわ。それでも、あの方だって同じ思いをして冒険者を続けているはず。そう考えると、不思議とわたくしもがんばらないとって力が湧いてくるようで……ですから贅沢は言いません、そのお姿を一目見るだけでもできればって思っておりますの、内緒ですよ?」
辛く苦しい道のり。前を向くことも困難で、ここで引き返してしまいたいと思うことだってあるだろう。
だがその道の上に続く足跡が、先を行く誰かの見えざる後ろ姿が足の向かう先の導となる。そんな存在を、俺も知っている。
「憧れの人なんですね……どんな人なんですか? 見かけたら教えますよ」
両親の気持ちを裏切りながらも冒険者になるしかなかった身上が俺と似ていたからか、あるいは単純に同情したからか。
俺は道行く先々で、サラが想うその人を見かけたら教えてやるくらいはしてやろうという気持ちになっていた。
それに、単純に興味があった。サラが年頃の女の顔で語る、公爵子という地位や名誉を捨てて冒険者を目指したというその人に。
「それはですね……」
そして語り始めたその時。
長い間あの忌々しい白獅子に殺され続けた俺の五感は、誰かと話しながらも無意識のうちに周囲を探っていた。
視界の端に映った人影にどういうわけか視線が引っ張られる。ピントを合わせてその像を映して、その理由がわかる。
「あっ……サラさん、あそこ……!」
「えっ? ……あ!」
割り込むように俺が声を上げると、サラが俺の視線の先を見て目を見開く。
それと同じタイミングで、背中を丸めたハイエナと目が合った。口元は明らかに「げっ」と動いていた。
「ゼレルモ様! ここで会ったが百年目でしてよ!」
その文句こっちの世界でも言うんだ、なんて的外れな感想を抱く俺に、サラが早口に言う。
「申し訳ありませんがスーヤ様、わたくしはこれで……この話はまた今度ゆっくりいたしましょう!」
「は、はい大丈夫です。サラさんも、お気をつけて!」
「えぇ、またどこかで! ウェスタ様のご加護がありますよう祈ってますわ~! ゼレルモ様、お待ちになって〜〜〜!!」
そう言って俺に背中を向けると、ばたばたと人ごみをかき分けてギルドの出入り口から飛び出していった。
その足取りは一流の狩人として場数を踏んできただろうハイエナを果たして捕まえられるのかという懸念を感じさせないほど軽快だ。
髪を揺らし、逃げるゼレルモと同じように未だ見ぬ夢を追いかける女の背中は、どことなく頼もしかった。




