ep143.明日はお休み
目標:冒険者試験に合格しろ
俺が決めたのは、三つ。
簡単に魔法を扱わず奥の手として秘しておくこと。
魔法は想像が保証されてから扱うこと。
そして最後に、生き物に対して振るわないことだ。
そもそも魔力というのも体力と同等のリソースだ、使いすぎれば己に帰ってくることはオルドを見ていたのでよくわかっている。
それを思うと、自分の想像力と合わせて温存しておくことに異論はなかった。
想像の保証というのは、早い話が刃で断つ対象は想像通りの中身をしているかどうか、ということを担保するためだ。
無作為に剣の軌道上にあるものをすべて両断するわけではない俺の魔法は、岩を岩と思って切断するのと、中に溶かし鉄が詰まった岩を切断するのとでは想像のアプローチが異なる。
想像力が失敗で傷つかないためにも、これは守るべきだろうというのは理解ができた。
しかし最後の取り決めは、ユールラクスの口から出たものだった。
「もちろんガチガチの甲冑を着込んだ相手が自分の命を狙っていて今にも殺されかねない、なんてことになったら話は別ですけどねぇ。ですが、ただの山賊や獣なんかはスーヤさんくらいなら普通の剣でも十分でしょう?」
それには同意した。王都の屋敷に来てから、こっそり夜中に中庭で剣を振ったりオルドやテオドアに剣筋を見てもらったりしているので、魔法の鍛錬をしつつも剣の腕が鈍ることはないように気を遣っていたからだ。
「それに……嘆かわしいことですが、魔法の力を私利私欲、あるいは衝動のままに振るう輩もいます。スーヤさんに限ってそういう心配はないと思いますが、ただでさえ魔術師は人から嫌われやすいですし、必要以上に魔法を使わないという魔術師の習わしだと思っていただければ幸いなのですが……」
それを聞いてハッとしたのは、今でこそ俺も魔法が使える側だが大多数の民衆にとってはそうではなく、魔術師というのは魔法という得体の知れない恐ろしい力を自分達だけが使える集団であるということに気が付いたからだ。
ついこの間誰もが魔法を使える社会を少し恐ろしく感じたのと同じように考えている人が現時点でいないとも限らない。
平凡な多数派が特別な少数派をよく思わないのは人の世の道理だ。魔術師がその力で社会奉仕的な仕事を請け負っているのは、そういう理由があるからなのかもしれないと思うのは考えすぎだろうか。
「最初に言った通り身を守るためなら仕方ないですし、この辺りのさじ加減は難しいと思いますが……すいませんが、お願いできますか?」
せっかく魔法を覚えたのに、とその制約を煩わしく思う気持ちもあった。
だが、そう思うことこそが自らの攻撃性を認めるようなもので、新しく得た力を存分に振るいたいとはしゃいでいる自分がいることにそこでようやく気が付いた。
誰かと争うことはもちろん、傷つけあって戦うことなど忌み嫌っていたはずなのに、新しく得た魔法という暴力をいつしか手放しで喜んでいる自分がいた。それを受けた相手がどうなるのか、というのは想像するまでもないことだというのに。
現に今日だって、知的生命体とは言い難いゴーレムを目の当たりにしたとき、こちらに対する殺意をはっきりと身を体に受けたとき。
俺は少しだけ心が躍ってしまったのだ。
これなら存分に魔法を振るえる、遠慮なく斬れる、と。
自分の中に危うい思想が芽吹いていることを、ユールラクスはもしかしたら見抜いていたのかもしれない。
あの白畜生のように殺し合いや武力を尊ぶつもりは毛頭ない。
毛頭ないのだが……新しい剣や魔法を手にしたとき、それを試してみたいと思う気持ちは、それと何が違うというのか。
日記を書き進めながら少しだけ憂鬱な気持ちになった俺は、結びの言葉に悩んで『これからもがんばります』と書き添えてペンを置いた。
「……ふぅ」
「おっ、仕事は終わりか?」
それから一息つくと、ペンを置く音に耳聡く丸耳をぴくりと動かしたオルドが室内のソファからこちらに目を向けてくる。
その手には俺の読み書きの練習用にとユールラクスにもらった冒険譚を綴じた書物が握られていた。
伸びをして席を立つと、隣の鷹がインクが半乾きになった紙片を手に取る。提出物のチェックをされる学生のように、それが読まれるのを隣で見ているのも気まずくて、後ろの虎に向き直った。
「ん~……っふぅ、それ読んでたの?」
「おう、久しぶりに読んだが……やっぱおもしれえェな」
少し意外だったのは、その物語は伝記の形を取った創作の冒険譚だったからだ。
どちらかというと血生臭いこのアパシガイアの……フェニリア大陸の世界観とは似つかわしくない俺寄りなファンタジックな内容で、架空の地を生きる冒険者の主人公が谷底に落ちた先で城のような大きさをした鈍色の竜と友人になったり、虹の橋を渡った先で空に浮かぶ黄金の雲を見つけたりという話が続くものだった。
病院でよく読んでいたライトノベルみたいだな、と俺が思ったのは今でも新作が出ていて既刊がいくらか出ている、と聞いたからだがそれ以上に毛色が俺に合う作風であることは間違いない。
ただ、オルドもこういう創作物を好むんだな、と思って聞いてみた。
「オルドもこういうの読むんだ。活字とか嫌いだと思ってた」
「ガキの頃に一通り読ンだくらいだな。オススメは三巻だ、主人公が反逆の濡れ衣で親友の手で投獄されるンだが……」
「あ、オイ! まだそこまで読んでないからネタバレすんなって!」
俺が非難するのも「読むのが遅いのが悪い」なんてちっとも悪びれずに言い返してくるので強い目で睨みつけてやった。
虎は肩を竦めてそれ以上は何も言わなくなったが、単語や文節を調べながらなのでまだ二巻の途中までしか読んでない俺は今晩にでも読み切ってしまおうと心に決めた。
「……ウム、いいだろう。ではこちらは私からユールラクス殿に渡しておこう。この度は試験ご苦労だったな」
「あっ、ありがとうございます!」
インクの乾いた紙をくるくると丸める鷹が、猛禽類らしい鋭い目でちらりとオルドを見た。
「……ジュピテルの冒険録か。懐かしい、幼い頃私もよく読んだものだ」
「えっ、テオさんも読んだことあるんですか?」
「ウム、こう見えてもちょっとした男爵家の生まれでな。領地こそ狭かったが、本に触れる機会の多い幼少期を過ごしていたのだ」
「へぇ……そうだったんですね」
なんでそこで生まれの話が出てくるのかはよくわからなかったが、俺は軽く相槌を打っておく。
「当時は私も冒険者になるんだ、なんて鼻息を荒くしては父と母に考えを改めるようよく宥められたものだよ」
この世界での冒険者の扱いというのは現代日本でいう日雇い労働者のそれに近い。それを思えば、貴族がそんな仕事になるなんて、と反対する気持ちもわかるだろう。
そういえばサラも同じような境遇だったな、と今日見かけた女のことを思い出す。彼女もまた、同じような苦労をしたのだろうか。
「そういう貴族の子供が多かったらしいな。そんなもんだから作者に向かって発刊を禁止しろ、なんて言い出す貴族もいたくらいでなァ」
「あぁ、うちの子供を冒険者なんてバカな仕事に誘惑しないでくれと大騒ぎになったものだ……っと、失礼スーヤ殿」
テオドアが俺に向かって頭を下げる。そんなバカな仕事を目指している俺が大丈夫です、なんて返していると後ろからまた虎が騒ぎ出す。
「テメェ俺に詫びはねェのか」
「さて、では私はこれで……そうだ、スーヤ殿。明日の書き取りは無しとするので、存分に体を休めてくれ」
「えっ、いいんですか?」
さっき毎日継続することが大事、って言っていたのにどうしてという顔の俺に、テオドアは手の中の紙束をぺしぺしと叩きながらどことなく満足げに頷く。
「あぁ。スーヤ殿もだいぶガオリア語が書けるようになってきたからな。試験で随分がんばったようだから、ご褒美がわりと言っては何だが存分に羽を伸ばしてくると良い」
「おい、無視か? 鳥野郎いい度胸だなコラ」
「やったー! ありがとうございます!」
明日は久しぶりに街中を見て回ることにしよう。なんだかんだこの一か月間バタバタと装備を見繕ったり、魔法の訓練と試験が常に頭にあって満足に街を見物できていなかったからだ。
ちなみに後ろから噛み殺さんばかりにぐるぐる唸って威嚇しているオルドは動物そのものだったし、鷹との口論に今更何か言うつもりもなかった。
「なあオルド、明日暇だろ? 街中見て回ろうぜ」
「ぅぐるる……あァ? なンで俺が……」
まだどことなくへそを曲げている様子の虎に、いい大人が拗ねるなよと言いそうになるのをぐっとこらえてご機嫌取りに努めた。
「いいじゃん、なんだかんだで最後に二人で出かけたのもだいぶ前だろ? それにほら、約束してたチーズフォンデュとかなんだかんだ食えてないし、俺の試験のお疲れ様会でもしようぜ!」
「……まだ結果も出てねえだろうにもう打ち上げか?」
「い、いいだろ別に! 実際がんばったんだぞ?!」
痛いところを突く返答は、しかし先程より怒気が薄まっているように聞こえる。
あとちょっとだ、と思った俺が何かを言うでもなく……オルドははぁっと溜息を吐く。
「……連れて行くからには、たっぷり飲ンでもらうからな?」
そう言って、いつも通り意地悪く笑ったのだった。
本日はここまでとなります。次回更新は4/16です。




