ep141.魔法教授ユールラクス
目標:冒険者試験に合格しろ
学校一つ分ほどの敷地を有する王城内には、城下町とは比べ物にならないほどの魔法設備に溢れている。
それは現代日本から来た俺から見れば生活を支えるインフラ設備そのものだった。電気や機械もないこの時代に温水がかけ流しになっている大浴場、照明代わりに淡く発光する魔石などが壁に掛かっていて驚いてしまう俺は、それらの整備を担っているのが魔術師達と聞いて更に驚いた。
確かに魔術師は職に困らないと聞いていたが、それがこんな社会奉仕的な仕事だとは思ってもいなかった。
数年かけて、あるいは一生涯かけても手に入らない魔力に目覚めた特別な存在であると言っても過言ではないのに、やっていることはただの技術者であると知った俺の中で魔術師に対するイメージがガラガラと崩れていく。
宮廷魔術師なんていう大層な肩書とは裏腹に、やっていることは上下水道の水質調査、および敷地内照明用の魔石の手配などのインフラ整備がメインという事実に耐え切れなくて、ほかにどんなことをしているのかと訪ねた俺にユールラクスは快く答えてくれた。
王城内の魔術師棟では、浄水機能の管理開発や下水道スライムの研究など城内で使われている魔法設備の他に、様々な魔法やその魔法が込められた道具の開発が宮廷魔術師達によって行われているという。
魔術師ギルド所属の魔術師たちが個人で開発する魔法道具の何十倍もの資金と労力をかけて生み出される大がかりなものもあれば、個人の要望を叶えるために単独で開発される小規模なものもある。
例えば直近では、料理係のメイドから賓客を驚かすために果物を凍らせた氷菓を作りたいと要望があり、水と風の魔法を駆使し冷気を生み出す魔石を開発したらしい。
物を凍らせるほどの魔法を作り出した、と聞けば少しだけ心が躍るが、それってつまり冷凍庫じゃんと水を差す自分を否めない。
もっとこう、宮廷魔術師って言うくらいだから一人で戦況を動かせるような魔法が使えたり、あるいは国政を担うための予知や予言をしたりと崇高な使命を帯びているものではないのか。
国民一人一人の生活が変わるようなものや数万もの魔物すら退ける結界、そして時に王都ごと浮上させる防衛機構などといった国家規模のものを極秘裏に開発していたりしないのだろうか。
そう思ったが、そもそも初めて出会ったマジックアイテムも元々は『猫と話せるようになりたい』という目的のために開発されたことを思い出して、俺は想像と現実の差異に肩を落とすのだった。
魔法に対して神秘的で超自然的なものというイメージを持っていたが、どうやらここでは日常生活を快適にする便利技能として扱われるほうが多いようである。あの虎の使う風魔法を便利だなーと思っていたが、それも当然というわけだ。
実際血生臭いことに魔法を使うくらいなら、今ある生活を便利にするために使ったほうが平和だし合理的であることは疑いようもない。
そして、そのための開発を可能にしているのが魔術棟の地下に設けられた広々とした倉庫だった。
小高い丘に建つ王城……を掘った地下倉庫には魔石加工に適した鉱石類や、魔力を帯びた魔物の素材、それに瓶詰めの薬品なんかが所狭しと詰め込まれている。
俺達が持ち込んだ錫食い鉱石もそこへ運び込まれることとなり、安定供給が見込めるとすぐに研究が始まった。
加工方法や性質などの調査をユールラクス主導のもとで行い、体内の魔力を吸い上げるという石を用いて非魔術師である一般人の魔力解放の可否を確かめるための実験もこの研究の一環だ。
二週間の間、この石と寝食を共にする勢いで自由時間以外のほとんどを訓練と実験に費やした俺は言わば一人目の被験者にして成功例で、魔法が扱えるようになった今でも予後観察のためにきちんと体調を記録するようにと徹底されていた。
体の内側に目を向けて自ら魔力の扉を開くのと違い、石に引き出させるこのアプローチはわずか半月足らずで俺を魔力に目覚めさせたが、それによる影響が生活に出ないとも言い切れないとのことだった。
魔力は血管を走る目に見えないエネルギーのようなもので、元来長い時間をかけて瞑想するのは秘されていた魔力を体にゆっくりと馴染ませるためだ。
それを経ずに圧倒的な速度で魔力に目覚めた俺の体を、自らの魔力が侵さぬとも限らない。
そういうところを懸念し手厚くケアをしてくれるのは俺としてもありがたい話だったので、今も素直に従っている。
それを思えば、兵士長であるテオドアをつけてくれたのは偶然ではないのかもしれない。
一般人を半月で魔術師に作り変えてしまう研究に対する守秘義務、あるいは何か問題が起こった際にある程度の越権行為が許される立場、その二つがこの鷹にはあるだろう。
俺の知らないところでこの研究について密約が交わされていてもおかしくはない、むしろ自然なことだろう。
しかしその真偽の程は定かではなかったし、念願の魔法を扱っている事実を思うだけでいまだに心が浮き立って高揚してしまう俺にはそれを確かめるつもりもなくて。
俺は慣れたように真鍮のペンにインクを含ませながら、自分の魔法をついに発現させた日のことを思い出していた。
一時的に剣に魔力を与え、切れ味を向上させる魔法は分類だけで言えば鉱物を操る土魔法に相当するらしい。
刃物に材質以上の力を与える魔法は、刃先となる鋼の性質や組成について十分に理解した者が編み出しやすい魔法らしく、しかしユールラクスは俺にそんな知識があるわけがないこともわかりきっているようだった。
どちらにしろ剣について深く理解していないと難しい魔法であることは間違いない、と言っている横で、バスケットボールほどの大きさをした鉱物の塊を見事な断面で真っ二つに切り分けた俺は自分自身に深く感動したのを覚えている。
剣を振るう俺の頭にあったのは、ミオーヌの町での成功体験だった。
破れかぶれで振るった剣で大百足の足を切り飛ばした時のように、手に握る剣の柄から刃先までが一本の腕として動くイメージを思い描く。
それは厳密には想起だったのかもしれない。あの時どうだったかというのを探っていた俺の魔法の完成は、オルドから風の刃を放つときのコツを聞いたことが決め手となった。
そのままだと刃が弾かれてしまう硬い対象物をどのように断つのか、刃はどのように入り、どのような断面を残すのか。
ほとんど思い込みに近い、脳内で描いた結果を剣一本で現実に再現させる。この剣を振るえば、対象はこのように切れるはずだと信じてやまぬ一撃は、見事試し切りのクズ鉱石をざっくりと切り裂いたのだった。
初めて魔法を使って剣を振るった時の、ろくに動かしてもない腕が筋肉痛のように軋む感覚は今でも覚えている。
きっとこの先慣れることはないだろうその感覚を聞かれた俺は、魔法を実現するに当たってのイメージや想像の過程を忘れないうちに語った。
興奮冷めやらぬ様子で語る俺の言葉に頷いた後で、銀髪のエルフは長い髪を揺らしてから予め決めていたことのように言う。
「スーヤさん、この魔法については……あまり頻繁に繰り出さないほうが良いかもしれませんねぇ」
意図が分からなくて戸惑った俺に、ユールラクスは「せっかくですから少しお勉強していきましょうねぇ」と朗らかに続ける。その顔は、研究者というより魔術の師そのものという顔だった。




