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ep140.試験の晩に

目標:冒険者試験に合格しろ

「で、どうだ。落ちたのか?」


 二つ並んだベッドを眺めるように、壁に向かい合って置かれた机。茶菓子でも並べればそのままお茶会ができそうな足の低いテーブルを挟んで、歓談用の長ソファが置かれた部屋は、ちょっと豪華なホテルの一室という間取りだった。

 木綿のくずを寄せ集めて固めた粗雑な紙に、握ったつけペンで習ったばかりの字を綴る俺は背中に投げかけられた声に答える。


「や、多分大丈夫だと思うけどな……でも、まさか同じ受験者の中に試験官がいるなんてなぁ。そういうのってよくあることなのか?」


 初めのころはインクがダマになったり、滲んだりしてろくに字も書けなかったが、今はそれこそ落書きできるくらいにはペンの扱いにも慣れたものだった。

 紙に今日あったことを日記形式に綴りながら尋ねる俺に、ふてぶてしくソファに座した虎が答える。


「よくあること……っつゥより、使い回された方法ってとこだな」

「そうなの?」

「そりゃそうだろ。試験官相手に接する態度と、同じ目線の受験仲間に対する態度が違うのは当然だ。そいつがどんなやつかを見たいってンなら、後者を見定めるのが一番手っ取り早ェ」


 オルドの言い分はわかるが、そんなことゲームや漫画の中だけだと思っていたので、現実にあることなんだなぁと感心してしまうばかりだ。

 それを思うと、その意図を見抜けずただ漫然と剣を振るうだけの結果となった今日の自分の働きは、上出来とはあまり言えないのかもしれない。


「そうかー、悔しいなあ……ゴーレムどもの殺気はわかりやすいからどうとでもなったんだけど、その術者ってなるとなかなかわからないもんだね」


 あの白獅子との長い鍛錬を……半ば一方的な蹂躙と化していたあの時間を経て、俺は自分の身を守るためにとある力に目覚めていた。

 それはこれまでも俺の命を救ってきた咄嗟の閃きにも似た第六感のようなもので、今となっては身体を脅かす存在や、他人の放つ殺気についてはかなり鋭く察知できると自負している。

 故に今回の試験で言えば、ゴーレムども……こっちで言うと土人形達の敵意や殺意ははっきりと感じられたが、それを操る術者の意識は察することができなかったのだ。

 試験というだけあって術者にはこちらを殺そうとする気がなかったのかもしれない。となると察知は不可能だが、仮にダイレクトに術者からの殺気を掴んでいればもっと活躍できたし合格も確実だっただろう。

 そう考えると……はぁ、といまいち今日の分の勉強にも身が入らない。


 ふてぶてしくソファに腰掛けているオルドが、街で買ってきたという乾いた木の実の粉を練って焼いた菓子を自分の手で摘まんで口に放り込む。

 少し悩むようにしかめ面をして、ざくざくと音を立てて咀嚼しながら言葉を選んでいるオルドが口を開いた。


 だが、それより先に机にかけている俺に声をかける者がいた。

 傍に立って、俺の書く紙の手元をじっと見ていた鷹は、翼を邪魔しない軽装な鎧姿で腕を組むとツヤのある嘴を上下に開く。


「やれることはやったのだろう? ならば心配せずとも結果は後からついてくるさ。男子ならばびくびくせずどっしり構えておくものだ」

「そうですかねぇ……」

「ウム、自信を持て。……それと、そこ、綴りが違うぞ」


 俺は手元の紙に、サラマンド・グレアデンという貴族の娘が来ていたこと、その女性が火の魔術師であったことを綴っていたところだった。

『魔術師』という単語の間違いを指摘され、その横に正しく単語を書く。ちなみにこの世界の文法はどことなく英語と似ていて、前置詞や動詞の変化などの規則性には既視感があった。

 スペルや発音だけは異なっていて、例えば魔術師を表す単語は音にすれば『メャアジ』という具合に訛らせたようなものになっていた。

 この世界が現代の地球とどう繋がっているのかはわからないが、何もないところから文明が興ったとしてここまで言語が似通うことはあるのだろうかと疑問に思ってしまう。

 ただ、そのおかげで一か月ちょっとで自分の名前や簡単な文章なら読めるようになったのだから不思議に思いこそすれ文句を言う理由はないだろう。

 もっとも、便利な耳飾りをつけている俺にとっては目の前で音読されても日本語にしか聞こえないのだが、さておき。


「……こんな日にまで書く必要あンのか? つぅか、なンでお前が教育役なんだよ」


 鷹の指摘通り修正しながらペンを動かす俺に、ソファで退屈そうにしている虎が不満そうに声を上げる。

 威嚇するように背中の翼をはためかせて、俺の隣でテオドアが鋭い目をオルドに送る。


「フン、日々欠かさずに鍛錬を繰り返すことの重要性がわからぬどこぞの俗物よりは適任だろう」

「お前ただの兵士だろォが、適任もクソもあるか。大体自分の務めはどうしたンだテメェ」

「馬鹿め、今日はもう上がりだ。自由業とは違うのでな」


 虎と鷹がぎゃーぎゃーと言い争いを始めるが、しかしオルドの言い分はもっともだった。


 今でこそ慣れたように俺のたどたどしい書き取り練習を監督しているテオドアは、元々はベルン市街の東西南北に位置する門を守る門番達を統括するエリート兵士長だった。


 どうもベルン兵士達の序列は、高ければ高いほど王城の防備に携わる役職に就くようで、特にテオドアは領地を持ち独自の兵団を持つ爵位持ちの騎士達にとってはベルン王城を守る兵士達の代表の一人という存在であり、現場の監督も担う中間管理職という具合だった。

 そもそも王城内に顔パスで立ち入る時点でそれなりの役職だとは思ったが、それほど立派な身分の鷹がどうしてこんな教育係の真似事などしているのかというと……きっかけは、やっぱりユールラクスだった。


 日中は俺の魔法の訓練を手伝いつつ商会ギルドから納品される錫食い鉱石について様々な実験をしている銀髪のエルフは、その夜まで自分の研究が続くことが多々あった。

 そのためユールラクス自らが読み書きを教えるような時間が取れず、誰か代わりをと考えたのだが。

 黒髪黒目という異国然としすぎている人間を相手に何も聞かず読み書きを教えてくれるような人物がなかなか見当たらず、人選には苦労したという。


 偏見がなく、口が堅そうで、幼児レベルの読み書きでも誠実に教えられる人。

 宮廷のまだ年若い教育係にそんな人物がいないかと掛け合ったユールラクスが、頼んでみてはどうかと提案されたのがこの鷹だった。

 なんでも兵士になる前は子供に読み書きを教えていたことがあるそうで、若年の教育係も幼児相手のあやし方をよく相談したことがあるという。


 そこで、ユールラクスが駄目元で当たってみたところ、この鷹の兵士長は意外にも業務の後であれば、と快諾してくれたという顛末だ。

 ちなみにオルドは誠実さという観点から候補からは除外された。

 実際に見せたわけではないが、幼児レベルの俺の作文を見て大笑いする様子がありありと想像できたからだ。


 将来有望な若者には等しく教育の機会が与えられるべきだ、という信念があるというテオドアは、誠実に、且つわかりやすく俺に英語と似た公用ガオリア語の読み書きを教えてくれた。

 ここ最近は基礎を卒業して、その日一日あったことを頭の中で考えて文章を作り、日記として書くことで文を書く練習を行っていた。

 作文しながらわからない単語は俺がテオドアに日本語で聞いて、手元に書いてもらって……という作業を繰り返してきたので、おかげさまで今の俺の語学力は中学一年生レベルまでには伸びたはずだ。

 単語の読み方といい文法などほとんど英語と変わらなかったが、単語の綴りや文法を一から理解するのは難しく、しかし有意義な時間だった。


 ただ一つ問題があるとすれば。


「あーもう! はいはいそこまで! こっちは勉強中なんだからいちいち喧嘩するなっての!」


 この鷹と虎の相性は最悪で、そりが合わないのか互いが気に入らないのか何かにつけて口論をするので巻き込まれる俺としてはうんざりだった。

 椅子の上で振り返った俺に怒鳴られて、牙を剥いて鷹に唸っていた虎はびくりと身を竦ませる。それから不満そうに言い返すと、鷹も追従した。


「いやだってコイツがよォ」

「そっちが先に嚙みついてきたのだろう」

「まだ続ける気かよ……いい大人なんだからいちいち喧嘩売るなよな、オルド」


 なんで俺だけ、という顔をする虎に鷹がざまあみろと言いたげな笑みを浮かべていて、子供の喧嘩そのものだなとなんだか全身の力が抜けていくようだった。


「テオさんも、あんまり煽らないの。背中から羽むしって羽ペンにしちまいますよ」

「ぬッ……す、すまない。気をつけよう」


 怒られて肩を落とすくらいなら最初からしなきゃいいのに、と思わなくもない俺はその後に更に何か続けようとして、やっぱりやめた。

 そんなことより、今日一日の振り返りを終わらせよう。

 手元の文章は、魔法を扱ってゴーレムを両断したことを書き付ける局面に差し当たっていた。魔法を使った時のことを自分でまとめるために、その時イメージしたもの、魔法の前後での体の調子や、魔法の規模と消耗の度合いをなるべく詳細に綴っていくのは、ユールラクスとの訓練の中で散々言われてきたことだった。


 紙に向き合ってがりがりとペンを動かす俺を横目に、自由になった両腕を動かして肩を竦めながら「終わったら風呂でも行くか」と言うオルドのためにも、今はただ静かなうちに黙って手を動かしておこうと思った。

本日はここまでとなります、次回更新は4/9です。

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